緑の悪魔はめぐまれる

インスタントなオレンジ

第1話



 ――キーンコーンカーンコーン


 四限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「飯だあああ!」


 待ってましたと言わんばかりに俺の席の前に座る親友、東浩一。小学生以来の友達なのでいつもこうして一緒に弁当を食べている。

 凄い勢いで飯にむしゃぶりつくので、僕が半分を食べ終わる頃には完食するのだ。


「あーまたピーマンじゃん……」

「宝んとこの母ちゃんほんとに意地悪だよな」

「はぁ……」


 弁当の中身を見て意気消沈する。

 僕はピーマンが嫌いだ。唯一大嫌いだと言っていい。それなのに僕のお母さんはそれを克服させようと弁当に入れ続けるのだ。

 いつもは無理して食べているのだけど、そろそろ僕の味蕾が限界だ。


「この前残したら出禁になっちゃったから、浩一食べてよ」

「……なんだよそれ。お前んとこ鬼畜過ぎだろ……。でもすまん。実は俺も苦手なんだよな」

「まじか……」


 どうしよう。頼みの綱にもダメと言われてしまった。となると、やっぱり食べないとダメなのか……。この緑色の悪魔に含まれるあの苦い味が口に染み込んでいくのを想像すると、気が重い。

 そんな僕の様子を察したのか、浩一が口を開いて――、


「うーん、なら捨てちゃえば?」

「その手があったか!」


 僕の中の暗闇を照らす一筋の光。やはり持つべきものは友だった。

 僕は浩一を笑顔で褒めながら、それに相応しい場所へと向かった。



 △▼△▼△▼△



「バレないよね?」

「一々こんな所のゴミ箱の中身を漁る奴なんていないだろ」

「まあそうだよね」


 僕たちの中学校には、校舎と校舎の間にある誰も寄り付かないような所にゴミ箱がある。統計なんてとったことないけど、かなりの穴場だから、この学校にいる半数も知らないんじゃないだろうか。だからここを選んだ。校舎にあるゴミ箱に捨てると先生に見つかるかもしれないし。

 そして僕は『ゴミ箱の中に入るな』という、何のためのものか分からない木造の注意書きが立て掛けてある所の、くすんだ緑色をしたゴミ箱にピーマンを捨てた。蓋がされているので中までは見えないけど、これで大丈夫だろう。


 なんだか、イケない事をしているようでハラハラドキドキする。悪い事をしている自覚があったから、見つかったらどうしよう、なんて考えてしまう。これが背徳感ってやつだろうか。


「相変わらず、ここの注意書き意味分からないよね」

「あー、それな。なんでも昔、かくれんぼでゴミ箱の中に入ってそこから抜け出せなくなって餓死した生徒がいるって噂なんだよ。で、これは再発防止ってことらしい」

「え? あははッ! そんな馬鹿な子なんているわけないじゃん! そんなんでビビらすつもり?」


 かくれんぼごときで死ぬなんてあり得ない。怪談話としては落第点だったけど、冗談としては及第点。というか面白かった。

「本当なんだけどな……」という浩一の呟きが聞こえたかもしれないけど、気のせいだ。



 △▼△▼△▼△



 あれから、僕は何事もなく今日の授業を終えた。今日はピーマンを食べなかったので舌を蝕むヒリヒリする感覚がない。なんて気が楽なんだろう。

 

「今日は良いことが起きそうだなー」

「宝、今日はいつもより元気じゃない? やっぱりピーマン食べなかったから?」 

「イェス!」


 家が近いので帰り道も一緒の浩一にも、僕の気分の良さが伝わるらしい。今の僕のテンションは爆上げだった。お母さんには、今日もピーマンを食べたよって嘘をつこう。


 いつも通る信号が赤信号を示したので、暇つぶしに止まって周りを見渡す。なんだか世界が明るく見えた。普段見る建物が、草木が、青空が、とても輝いて見えた。こんなにも世界って素晴らしかったのか、とさえ思う。

 そして残す背後にどんな素晴らしい物が目に映るだろうかと期待して、振り向いてみると――、


「あれ?」

「どうした?」

「いや、あそこにあるゴミ箱、今日ピーマン捨てたゴミ箱に似てるなって」 

「ん? ……あ、確かに。でもまあ、ただ単に同じ製品なんじゃね?」

「そうかなぁ……」

 

 電柱の側に立っていたゴミ箱が、例のゴミ箱の瓜二つだったのだ。土で汚れて塗装も剥がれ落ちかけている緑色のゴミ箱は、確かに今日見たことがあるものだった。

 そのことに妙な違和感と肌寒さを感じた。


「ま、気のせいか」

「まあそうだろ。……あ、今日久しぶりにゲーセン行く? 幸太郎が新しくできたゲームやったって自慢してたんだ。俺達も行ってみようぜ?」

「まじか! 行く!」


 もうあのゴミ箱のことなんて、頭からすっぽ抜けていた。



 △▼△▼△▼△



「遊んだ遊んだー」

「あれ面白過ぎ。今月のお小遣い全部使っちゃったわ」

「幸太郎が自慢しただけあるねあれは」

 

 新作の格闘ゲームの台がとにかく面白過ぎて、予想以上にお金と時間を使ってしまった。店員さんに六時になったことを知らされなかったら、あのままもう一時間くらいは遊んでいたと思う。

 ゲームセンターの外に出ると、冬場ということもあって、もうすっかり日が暮れていた。これはお母さんにまた叱られるな、と嘆息しながら、夜の町を歩く。

 すると――、


「……あれ、あそこにも同じゴミ箱がある」

「あ、ほんとだ」


 またもや、忘れかけていたゴミ箱が目に入った。

 今度は家の石垣の側に立っていた。浩一はそれがどうした、みたいなあっけらかんとした様子だ。


「じゃ、俺こっちから帰るから。また明日なー! 母ちゃんに折檻されるなよー!」

「……ああ、また明日ー!」


 背中を走る悪寒に気付かないフリをして、浩一に別れの挨拶をする。一緒についてきて欲しいなんて、恥ずかしいから言えなかった。



 △▼△▼△▼△



「…………」


 一人で歩く夜道が、こんなにも怖いことはなかった。


「…………」


 やっぱり、なんかつけられている気がする。


「そこか!? ッ!!」


 我慢出来ずに振り向くと、そこにはやっぱりあの汚いゴミ箱があった。それも、かなりの至近距離。五メートルくらいだろうか。


「あ、ああ、あ……」


 もしかしたら、と思ったことが現実だった。やっぱり、このゴミ箱は僕を追ってきている。僕がピーマンを捨てたせいで、怒っているのに違いない。

 間違いない、復讐される。その予感に足が震え出して、体に力が入らない。


「……ぅ」

「!?」

「……とう」

「ぁ、ああっ」

「……ありがとう」

「…………」



「――食べ物を、ありがとう」


 まだ、幼さの残る、少年の声がした。くぐもっていて、高くて、それでいて悍しくて。生きている者の声とは、思えなくて。


「うああああああああああああ!!」


 恐怖に支配されていた体に鞭を打ち、全速力で逃げる。

 走りながら背後を見てみると、ゴミ箱の底から何も纏っていない足を二本突き出して、負けず劣らず全速力で僕を追いかけてきていた。


「ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう――」

「な、なんで、お礼を、言ってくるの!?」


 呪詛のように感謝の言葉を唱え続け、何かに取り憑かれたみたいにソレは追いかけてきていた。狂気さえ感ぜられて、とにかく怖かった。


「ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう――」

「怖い! 怖いよぉ! 誰か助けてーーッ!!」


 助けを求めるが、返事がくる前に息が切れてしまい、ついには塀に囲まれた行き止まりに追い詰められてしまった。


「ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう――」

「やめて! 近づかないでッ!」

「ありがとうありがとうありがとうありがとう――食べ物を、ありがとう」

「どういうこと!? ピーマン捨てたことは謝るから!」

「ピーマン。ピーマンピーマンピーマンピーマン――ありがとう」

「……ッ!」


 ダメだ、会話が成立しない。どうすれば事態が良くなるのかと、頭を必死に働かすが、冷静な思考ができない。


「食べ物もっと欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい――美味しそう」

「……僕は、美味しくなんか、ない」


 コレに『捕食される』という本能的な危機を感じた。だけど、もうどうしようもない。

 ソレは僕との距離を縮めて――、


「いただき、マス」

「うあああああああああああああああ!!!!」


 ゴミ箱の蓋が開き、中身が見える。その中は黒い靄が蔓延していて、まるでブラックホールのようだった。

 そしてソレに呑まれる瞬間、理解した。浩一から聞いた変な噂のこと。あの時は冗談だと思っていたけど、その被害者が目の前にいるコレだったとしたら、辻褄が合った。きっと、極限状態になるまで空腹を感じて、何か食べたかったに違いなくて、そのまま死んだことに未練を感じて、僕があげたピーマンはきっと天の恵みのように感じたに違いなくて。

 だけど、それに気付いたのはあまりにも遅過ぎて――


「おかあ、さん……ごめんな、さい」



 △▼△▼△▼△



 静寂が支配するその空間で、その場に存在するのは汚いゴミ箱だけだった。


 やる事を終えたソレは、あるべき所に戻っていく。



 ――次なる『餌』を求めて。

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