最終話 労働組合法制定記念日


 ~ 十二月二十二日(火)

   労働組合法制定記念日 ~

 ※抽薪止沸ちゅうしんしふつ

  根本解決




「げっほげほっ! げほっほげっほっほ~!」

「頼むから、あと一日は寝てろ」


 元気な病人という意味の分からん生き物が。

 部屋を駆けずり回るクリスマスイブイブイブ。


 これが、タダの風邪じゃなく。

 潜伏期間四日くらいって言われるインフルエンザだったなら。


 俺はサンタから。

 薬をもらう羽目になる。


「部屋中にウイルスまき散らすな。うつるわ」

「げほっ! ごっほごほっ! おにいは頑丈だから平気平気!」

「明日帰ってくるお袋にうつしたら大変だろう」

「おお! そしたら凜々花がつきっきりで看病する! ごほっ!」

「お前の看病じゃだめだ」

「え? なして?」

「お前のは、なんていうか……、重い」


 ほんとなら、もうちょっと回復していてもよさそうなはずの、リビングに横になってる女。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 今にも泣き出しそうな苦笑いを向けるこいつの顔に。

 凜々花は加湿器の蒸気を直接ぶち当てる。


「……溺れるっての」


 そして、ごっほごっほ咳き込む秋乃の口に。

 無理やりおかゆを流し込んだかと思うと。


「ごっほ! これ食い終わったら、デザート出したげるね舞浜ちゃん! ごっほごほ!」

「ほんと、寝てろっておまえ。まだふらふらしてるやつが無理すんな」

「全然ばっちり平気のすけ! このあとデザートにウサギ剥いてリンゴにするんだ!」

「今すぐ寝ろ」


 怖い怖い。

 なんだよそのバーバリアン。


 まだぼーっとしているんだろう。

 ゆらゆら揺れてる凜々花の。

 やたらと熱い手を引いて。


 ベッドに押し込むと。

 秋乃の、ほっとした顔が俺を迎えてくれた。


「十分気持ちは伝わってるから。しゃべるな」


 俺の言葉に、深く息を吐いた秋乃が目を閉じる。

 運ぶ時にも無理させちまったし。

 朝から凜々花に絡まれて難儀だろうけど。

 こっちに連れてきて良かった。


 もっとも。

 俺一人じゃどうしようもなかっただろうけどな。


 ……朝まで一緒に看病に付き合ってくれたカンナさん。

 着替えとか頼むことできたし。

 交代で仮眠もとれたし。


 秋乃をこっちに運んでる姿を。

 偶然見つけてくれて助かった。


「よう! プリンとスポーツドリンク持ってきたぜ!」

「インターホンくらい鳴らせよお前は」


 つい習慣で。

 憎まれ口叩いちまったが。


 心の底から感謝してる。


 そんなカンナさんが。

 冷蔵庫にエコバッグの中身を押し込むと。


「よし、交代交代。お前も好きなことやってていいぞ?」

「いいのか?」

「いいって」

「そうじゃなくて。……店」


 ああ、そんなことかとか。

 へらへら笑ってやがるけど。


 夏には、数百円の売り上げに一喜一憂してたくせに。

 心配だっての。


「うちは労働組合がしっかりしてっからな! 経営陣にはしっかり意見が通る!」

「そうなんだ。……ん? 社員なんていたっけ?」

「あたし一人だけど?」


 さもありなん。


 今頃、枕を涙で濡らしているであろう店長さんを思うと。

 不憫でならねえ。


 ……でも。


「いつも、お前の事を信じると必ず裏切られて来たけどさ。今日は改めて礼を言わせてくれ。ほんとに助かった」

「変な奴だな。こんな時はそんなしゃっちょこばった礼なんていらねえ」

「そう言うなって。黙って聞いてくれよ」

「ただ、現金入った封筒渡せばいいんだよ」

「ほんと黙れお前」


 結局いつも通り。

 最後にはバカなこと言いやがるが。


 今回ばかりは。

 こいつの事を見直した。


「……二択」

「ん? 何か言ったか?」


 秋乃同様。

 俺なら答えも出せねえようなことを平気で選択できたこいつ。


 もしかしたら。

 カンナさんなら答えを出せるのかもしれない。


「……トロッコが目の前に迫って来ててさ。お前の目の前には切り替え機があるとして」

「なんだ? 心理テストか?」

「線路の先には、五人の人がいて。切り替えた先にも、一人いる。そんな時、お前ならどうする?」

「それ聞いてどうなる」

「俺には答えが出せねえんだよ」

「つまんねえこと考えて生きてやがるなお前は!」


 なんだその呆れ顔。

 俺が淹れてやったコーヒー、そんなツラで飲むんじゃねえ。


 一番高いの淹れてやったんだぞ?


「じゃあ、バカ兄貴は豚肉の生姜焼き食いてえ時にも悩むのか?」

「いや? ……ああ、なるほど」

「だろ? 多かれ少なかれ、人は自分の不都合に目をつぶって生きてるんだ。多分、誰だってそんな場にいたら何もできずにトロッコが通り過ぎるのを呆然と見守るだけだろ」


 声が大きくなったことに自分で気づいたカンナさんは。


 ちらりと秋乃の様子をうかがいながら小声で話し続ける。


「切り替える、見送る。その行為に善悪はねえ。もしも善悪が必要だってんなら、生姜焼きを食うことが悪かどうかまず議論しなきゃならん」

「確かにそうだ」

「そんなことで悩んで足踏みするくらいなら、全部の悪徳を受け入れてでも前に進むやつの方が、あたしは好きだな」


 話の切れ目に。

 洗濯機から乾燥終了のメロディーが流れると。


 カンナさんは席を立って。

 二人の着換えを取りに行く。


 その間に。

 さっきの言葉を頭の中で吟味していたんだが……。


「でもさ。やっぱり、見送るのと切り替えるの、どっちかが悪でどっちかが善って思うんだよ俺は」

「まだ言ってんのか。そんなばかばかしいこと考えてる暇あったら手伝えよ」

「凜々花のだけこっちにくれ」


 そして、パジャマの皺を二人して伸ばしてるうち。

 カンナさんは、楽しそうに話し出す。


「勉強ができるやつってのは、意外とバカだな」

「なんだと? じゃあ、お前には分かるのかよ。どっちが善でどっちが悪か」

「善悪の基準なんて簡単だって」

「簡単なわけあるか。この問題、世界中の天才が頭捻り続けてるんだぞ?」

「そうなのか? やっぱ勉強ができるやつらはバカだ」


 秋乃の着換えが足りないからと言って。

 わざわざ持ってきてくれた自分のパジャマ。

 その皺を取りながら。


 カンナさんは。

 ニヤッと笑うと。

 こんな答えを教えてくれた。




「どんなもんでもさ。善悪なんて、自分が好きな奴が、自分のことを好きでいてくれるかどうかで判断すりゃいいじゃねえか」




 …………え?




 思えば一か月もの間。

 悩みに悩んだトロッコ問題。


 考えるだけばかばかしい。

 カンナさんが言ったそのわけは。


 切り替えようが。

 切替えなかろうが。


 自分の行動が起こした結果。

 それを見た身の回りの連中がどう思うか。

 それだけで判断すればいい。


 そういうこと?



「俺が、もし、五人を救いたいと思って切り替えたら……、どう思う?」

「ひでえとこに居合わせて難儀だったなって思う。あと、どんだけの怪我負うか知らねえけど、ひかれちまったおっさんからクレームつけられたらあたしが文句言ってやるって思う」



 …………だよなあ。


 俺だってそう思うわ。



 …………あれ?

 これ、成り立ってる?




 なんだこのこたえ!!!




 ――そういえば。

 最近二度も。

 似たようなことを見聞きした。


 デパートの屋上。

 田んぼの畔。


 あの子供たちも言っていた。

 自分が悪であることは受け入れるが。

 お母さんには嫌われたくないという気持ち。




 …………なんだ。


 簡単なことじゃねえか。




 呆然とカンナさんを見つめてたら。

 何を思ったか、こいつは席を立って。


 俺の髪をぐしゃぐしゃ撫でながら。


「どっちを取ったら善か悪か、ね。それをお前さんが言うかね」

「え?」

「だって。両方とったからこの有様なんじゃねえか」


 好きな人に嫌われなければどっちを取ってもいい。

 あるいは、その条件を満たしていれば。

 両方取っても構わない。


「……なるほど」

「だろ? あたしはお前がどんな思いでバカ浜抱えてたかってことにしか興味ねえ。もしも医者が、お前のやったことを悪だって言っても、あたしは善だと思う」

「そりゃ心強い。……これからも、目の前に二択が出たら。心の赴くままに動くことにするわ」

「そうしろ。……さて、こいつら着替えさせるから出てろ」



 トロッコ問題に。

 さんざん悩まされた一か月になったが。


 まさか。

 こんな答えが待っていたなんて。


 例え凜々花がレールを切り替えようが。

 秋乃が黙って見送ろうが。


 そこに。

 道徳的な善も悪もあるはずがねえ。


 あるはずがねえから。


 この問題に。


 誰も答えを出せないでいるんだ。



「…………こらバカ兄貴。心の赴くままにもほどがある」

「え?」


 考え事してた俺が。

 まったく意図せず見つめていた先。


 ようやく焦点を結ぶと。


 そこには。


 布団から転がり出てる。

 秋乃の真っ白な足。


 太ももから先全部。


「みみみ、見てねえ!」

「ガン見してんじゃねえか」

「ほんとだ!」

「って言いながら見てるやつに言われてもよう」


 秋乃、パジャマ脱いだの?

 暑いからって何やってんの!?


 じゃあ。

 あの布団の下は……。


 俺の、見てない目に、秋乃が身じろぎする姿が映る。

 そして全く見ていない視線の先で。


 布団がめくりあがって……。



「短パンかい!」

「……お前、実はやましいこと考えながらこいつ運んでたのか?」


 夏物の。

 短いパジャマが現れた直後。


 肩を落とした俺のスケベ心が気付いたもの。


 それは。

 パジャマのおなかに貼ってあった紙に書かれた文字。




 ダイコン




「うはははははははははははは!!!」



 ……こいつの前で。

 何も考えずに心で行動すると。


 俺はいつまでも。

 からかわれ続けることになるんだろう。



 スケベな俺ですまん。



 心から謝ると同時に。

 にっこり微笑んだ秋乃の手が。

 身じろぎに合わせて紙をひっくり返す。



『嫌いにならないから安心して』



「……そりゃ助かる」


 俺は、反省しながらも。

 一か月間背負い続けて来た荷物が消えて軽くなった背中を思いっきり伸ばした。


 久しぶりに反った胸に。

 自然と送り込まれる新しい風。


 自分らしく生きていいと言われた事。

 素敵な人に囲まれている事。


 それらに感謝しつつ。

 無様な程の笑みを浮かべながら……。



「いいから早く廊下に出てけ!!!」



 俺は。

 今日も廊下に立つことになった。




 秋乃は立哉を笑わせたい 第8笑

 =友達と、どっちを取るか考えてみよう!=



 おしまい♪




 明日からの特別編! 

 せめて、フィクションのなかくらい。

 例年通りのクリスマスをお届けいたしましょう!



 秋乃は立哉を笑わせたい 第8.5笑

 『サンタが貰ったプレゼント』



 どうぞお楽しみに♪


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秋乃は立哉を笑わせたい 第8笑 如月 仁成 @hitomi_aki

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