第52話 どうか、どうか、どうか……
黄昏時の墓地に、風の鳴く微かな音が響いた。
それ以外は、何も聞こえない。
燃えるような橙色も身を潜め、少しずつ夜の闇が濃さを増してきていた。
「ひかり……」
かけがえのない人が紛れてしまわないように、必死に呼びかける。
でも、思った以上に声は出てくれなかった。
「わかったでしょ? ……十年前の、あの事故の原因は私なの。私が、陽人から家族を奪った」
一方、彼女の声色は先ほどから全く変わっていなかった。まるで遠い国の物語を読み聞かせているように、淡々と言葉を繋げていた。
「だから、陽人が私に向けるべき気持ちは感謝や好意じゃない。そんな綺麗な気持ちは、私にふさわしくない」
灰色に染まった声の出所に視線を向けると、目が合った。
「……もう一度言うよ。私は、あなたから大切な家族を奪った。それでも、あなたは同じことが言える?」
ハッとした。
光里の目元には、涙が溜まっていた。消え入りそうな陽光を受けて、それは微かに光っていた。
刹那に、あの日と重なる。
美咲さんが倒れ、病院に搬送された日。
月明かりの下、帰り道で見た彼女の、真剣で、今にも壊れてしまいそうな表情と――。
「――光里」
ふわりと、いつかの香りが鼻をついた。
それは、無意識だった。
自分でも驚くほど反射的に――僕は光里を抱きしめていた。
「は、陽人……?」
「僕も、もう一度言う。素直な表情、してくれよ」
光里は驚いたように身を硬くしていた。
意外にも、抵抗はされなかった。
思ったよりも細くて、柔らかな感触が制服越しに伝わってくる。
僕は、壊れてしまわないように優しく、気持ちが伝わるように強く、手に力を込めた。
「もう一度、言う。いい加減、自分の気持ちを偽るのはやめてほしい」
光里の話を聞くのが、怖かった。
彼女の話を聞いて、もし僕が光里を憎んでしまったらと思うと……聞かない方が何倍もいいと思っていた。
でも。実際に聞いて、生まれた感情は違っていた。
僕の心の中は……ただただ辛く、悲しかった。
「もう一度……言う。僕にとって光里は……かけがえのない人で、生きていてほしい、大切な人なんだよ……」
いつまで、独りでいるつもりなんだろうか。
いったいいつまで、心を偽ってるつもりなんだろう。
いったいいつまで……自分を苦しめるつもりなんだ?
いったい、いったい……――
「いつまで光里は…………涙を我慢しているつもりなんだよ!」
「…………っ!」
グイッと、強く胸を押された。咄嗟のことで思わず後ろに身を引くも、その力は随分と弱かった。
そして。離れて露わになった彼女の瞳からは……涙が零れていた。
「光里……」
「……っ!?」
彼女は慌てて目元を拭うも、涙は止めどなく流れ続けていた。
「なんで……どうして……」
まるで、これまでずっと溜めてきた気持ちが、
「どうして……やっと、やっと止まったのに……っ!」
溢れているみたいだった。
「光里……」
「私は……っ!」
絞り出すような声とともに、鋭く睨みつけられる。
「私は……陽人から、家族を……」
「知ってる」
「私は……ずっとそれを、陽人に隠し続けて……」
「あぁ、そうだな」
「そのくせ、一緒にいると少し……楽しいとか、思う時もあって……」
「それはなんか、嬉しいな」
「私は……わたしには……そんな資格なんて、ないのに……」
「いいから」
僅か数十センチの距離にいる光里を、僕は再び抱き寄せた。夏の暑さとは別の熱が、確かな形を帯びていく。
「確かに、僕は家族を失って荒んだ。毎日が意味のないものに思えて、誰かもわからない相手を恨んで、ひとり生き残ってしまった自分を責めた」
数ヶ月前まで、僕はそうやって生きてきた。
毎日鏡の前でやけどの痕を見つめ、憎しみを忘れないよう心に刻みつけた。と同時に、当たり前だった騒がしさが鳴りを潜めた朝に、言い知れぬ不安と、悲しさと、罪悪感を覚えていた。
「僕はずっと、過去に囚われていたんだ。十年も経ったっていうのに、まだまだ受け入れられてなかった。そんな毎日がずっと続いていくんだろうって、そう思ってた。でも……あの新学期の日に光里と出会ってから、それは少しずつ変わっていった」
無味乾燥な日々を生きていくのは、正直キツかった。
でも。一方で、楽だとも思っていた。
周囲と距離を置いて、過去だけを引きずり、漫然と生きていく。これ以上、得るものもなければ、失うものもない。起伏の無い、平坦な人生を送っていくだけでいい。
でも、そこに光里は現れた。
彼女の言葉は、僕の人生を根幹から揺るがしかねないものだった。
「いきなり現れたかと思えば、不思議な能力を見せつけられてさ。さらに、あなたの生き返らせたい人は誰なんて聞くもんだから、マジでびっくりした」
「……だって、それは……」
「ああ、わかってる。多分、僕も同じ立場だったら同じことをしただろうから。あの場では突き放したけど、あの言葉で僕は確かに考えたよ。僕の生き返らせたい人について、さ」
もし死んでしまった人が生き返るなら、誰を生き返らせるだろう。
普通なら、身近な人。家族や親戚、恋人、友達などがあるだろうか。そしてもちろん、僕にとってもそれは同じだった。
「やっぱり、失った家族を生き返らせたいって思った。また、父さんにキャンプで火熾しを教えてもらって、母さんの料理の手伝いをして、姉ちゃんとあれこれ馬鹿な話をしたいって、思った」
「なら……!」
「でも! それから光里と過ごした日々も楽しかったんだ!」
腕の中で響いた彼女の言葉に被せるように、僕は叫んだ。
「今まで対して話したこともないのに、いきなり朝に挨拶してきたり昼に弁当誘ってきたりして、ほんと何なんだよって思った。笹原もそれに乗っかってさ、僕の意見なんてそっちのけで机くっつけて食べだすし、話も雑に振ってくるし。ボラ遠の時もなぜか合流することになって、いつの間にか寄り道してアイス食うことになってるし。その後も、こっちが一方的に避けても絡んできて、仲直りしてからも強引で、真っ直ぐで……」
早口にまくしたてた。というより、気持ちが口をついて溢れてきた。一度溢れるとそれは止まらなくて、止まってくれなくて……
「そんな、非日常的な日常が……僕はいつの間にか、楽しいと感じてしまってた。最初はあんなに煩わしくて、面倒くさかったのに。周囲との接点なんて、必要最小限で良かったと思ってたのに……。僕は、光里や笹原や美咲さんと過ごす日々が、本当に楽しかったんだ」
抱き締めていた腕の力を弱めて、彼女を離す。遠ざかっていく温もりを惜しみつつも、僕はこれまでの彼女のように真っ直ぐ、その瞳を見据えた。
「だからこそ。僕は光里の命を犠牲にして、僕の家族を生き返らせるなんてことはしてほしくない。僕は、光里のおかげで過去に囚われていた日常を変えることができた。今が楽しいと思えるようになった。そして、これからしたいことだって考えるようになった」
何度もドキドキさせられた彼女の瞳は、まだ潤んでいた。今だってドキドキしている。でも、もう目を逸らすことはしたくない。
「だから光里も、どうか前を向いて生きてほしい」
強く、強く願いながら、僕は想いを吐露した。
どうか、届いてほしい。
どうか、思いとどまってほしい。
どうか、どうか、どうか……――。
無意識に、日記の内容が頭の中にイメージとして蘇った。
『だってこの力は……私の寿命を、与える能力だから……』
薄く、弱々しい文字で、ノートにはそう書かれていた。そして、
『私は、自分の寿命全てを使って、陽人の家族を生き返らせたいから……』
日記の最後は、そんな言葉で終わっていた。
だから…………
「陽人」
光里の声が、すぐ近くで聞こえた。
「ごめんね。ありがとう――」
そんな言葉とともに、淡い光が急速に、目の前を覆い尽くしていった。
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