第50話 橙色の光の中で


 幅の違う石段を一心不乱に降っていく。


 そこは、橙色に染まっていた。


 僕は何度、この色を見ただろう。

 

 そして、考えただろう。思い出しただろう。



 僕にとって、橙色は不吉な色だ。



 真っ先に思い浮かぶのは、炎。

 家族を失ったあの日を思い起こさせ、僕の顔にその痕を残した、忌むべきものだ。どれだけ日が経とうとも、身を焼かれるあの痛みだけは、記憶の奥深くに根付いてしまっている。



 それだけじゃない。

 橙色は、夕焼けの色だ。


 光里の能力を見た時。

 彼女に向けられた告白を聞いた時。

 美咲さんが倒れた時。

 僕が薄い決意を固めた時……。


 この色は、僕にとって目を背けたくなるような時ばかりを思い出させる――。



「ひかりぃぃーーーっ!」



 彼女の名前を、全力で叫ぶ。声に驚いたのか、カラスが一羽、夕陽の方へ飛び去っていった。



「おいっ! 聞こえてんだろーーっ!?」



 相変わらず、墓地に人気はない。幾分か弱まった蝉の鳴き声や、すぐ近くの公道を走る車の走行音ばかりが響いている。


 でも、彼女がここにいるのは間違いない。



「おーいっ! 勝手に、力なんか、使うなよーっ! 僕は、僕は……そんなこと、一言も、頼んで、ないから、なーーーっ!」



 息も絶え絶えになりながら、僕は最後の石段を蹴った。舗装されていない砂利道に、小石の擦れる音が鳴る。小さな凹凸に足をとられるもなんとか立て直し、僕は再び駆け出した。



 どこだ? どこにいる?



 薄暗い墓地で、僕は必死で辺りを見渡した。足を踏み締める度に、嫌な思考が次々と浮かんでくる。



 もし、光里が能力を使っていたら。

 もし、光里が能力を使い終わっていたら。

 もし、僕の姉が不思議そうに立ち尽くしていたら……。



「くっ……!」



 そんなわけない。まだ大丈夫だ。きっと、大丈夫だ……。

 頭を振って無理矢理思考をかき消すと、僕はさらに足を前へと進めた。




「――っ!」




 視界の先。墓地の入り口がみるみる大きくなっていくと同時に、人影がひとつ、佇んでいた。


 逆光でその姿はほとんどシルエットだけど、間違いない。あれは――



「光里っ!」



 僕の叫び声に応えるように、その影はゆっくりとこちらを向いた。落ちた影の中でも輝きを失わない瞳が、僕を見据える。



「ふふっ、早かったね」



 柔和な笑みが浮かぶ。

 嬉しさとも、悲しみとも違う笑顔。あれは……



「うるせー! そんな、何もかも悟ったみたいな顔で笑うなよ!」



 彼女に掴みかからんばかりの勢いで、僕は叫ぶ。その笑みが意味するところを、僕は絶対に認めたくなかったから。



「んーじゃあ、どんな顔をすればいいの?」



 相変わらず落ち着いた口調で、彼女は続けた。無性にイライラして、つい拳に力がこもる。



「素直な表情してろよ。いい加減、そうやって自分の気持ちを偽るのはやめろ」


「……」



 強めの風が吹き、彼女の長い髪がなびく。その細く長いシルエットが彼女の口元を隠した刹那に、笑顔は消えていた。



「……わかった」



 無感情な表情で、光里はそれだけを言った。あれほど響いていた蝉時雨も、今ではどこか遠い。




「光里……お前、まさかもう能力を……?」




 数瞬の沈黙の後、僕はここに来るまでに一番気になっていたことを尋ねた。心臓が肋骨の下で、一際大きく脈打つ。





「……ううん。まだ、だよ」



 彼女は少し躊躇うように、首を横に振った。

 その反応を見て、僕は思わず膝から崩れ落ちた。

 


「よ、良かった……」



 彼女が能力を使う。

 しかも、今彼女が立っている場所は、紛れもなく僕の家のお墓の前だ。

 この状況での肯定は、僕にとって最悪の言葉でしかない。




「…………どうして?」




 膝立ちのようになっている僕に近づくと、彼女はまた無感情な声で、そう聞いてきた。



「え?」



「だって……陽人は家族を、生き返らせたいんじゃないの?」



 色のない声が、また僕の鼓膜を震わせる。

 僕は、彼女の顔をしばらく見上げてから、ゆっくりと立ち上がった。



「……確かに、僕は家族に生きていてほしかった。できることなら……生き返ってほしいと、思ったこともあった」


「……だったら」


「でも。僕が家族に生きていてほしいのは、家族が大切な人だからだ。かけがえのない人だからだ。そしてその意味では……僕は君にも生きていてほしい」


「…………っ」


 光里の顔が、一瞬歪んだのがわかった。でも、瞬く間にそれは元の無機質な色を帯び、冷たく僕を見据えた。


「……なんだよ?」


「陽人は……何もわかってないよ」


「なに?」


「陽人、私の日記を読んだでしょ?」


 光里は、事実だけを確認するように淡々と聞いてきた。そこには、日記を読んだことを責めるような色はない。なぜかそれが、無性に僕をイラつかせた。


「……あぁ。読んだ」


「だったら、まだわからないことがあるんじゃない?」


「それは…………」


 図星だった。

 あの日記のおかげで、光里のこれまでの言動の理由や気持ち、何より光里の能力について知ることができた。決してその内容は良いものではなかったけど、それでも知らないよりはずっとマシだった。


 でも。

 あの日記には……事故については、ほとんど書かれていなかった。


「……事故について書いてなかったのは、私自身、日記にも書きたくなかったから」


 話しながら、彼女はくるりと身を翻した。


「でも、話すよ。最後だから。陽人には、知っていてもらわないといけない。私のせいで起こった、悲惨な事故の真相を――」



 どこか遠くで、一羽のカラスが夕暮れ時を告げていた。

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