第48話 想う気持ち(1)



「随分遅かったね」



 その場所に着くと、光里はあの日と同じように制服を身にまとい、小さく微笑みながら立っていた。長く艶やかな黒髪も、陽光に輝くクラスバッチも、あの日と変わらない。違うとすれば、制服が夏服になっていることと、僕が彼女に気づいていることくらいだ。


「まぁ、ちょっとな」


「ふーん……そっか。さっ、学校行こ? 今から行っても遅刻確定だけど」


 僕の曖昧な返答にも気にした様子はなく、光里は短く笑い、そして歩き出した。

 その様子は、きっと出会った頃なら普通だっただろう。僕も素っ気なくしていたし、彼女も必要以上に聞いてはこなかったから。でも、美咲さんが倒れる前の僕たちからすれば……少し、異常だ。


「聞かないのか?」


 堪らなくなって、僕は思わず聞いていた。


「何を?」


「何をって……遅れた理由とか」


「んー……じゃあ、なんで遅れたの?」


「じゃあってなんだよ」


「聞いてほしそうな顔してたし」


「そんな顔してねー」


「してたよー」


 夏色の日差しの下で交わされる、軽口の応酬。

 これは前と同じだけど、やっぱりどこかぎこちない。


「聞いてほしそうな顔って、どんな顔だ」


「こんな顔?」


 ムスッとした、どこか不機嫌そうな表情を彼女は作る。


「僕はそんな顔してない」


「えーいつもしてるじゃん」


「だったらヤバいやつじゃねーか」


 僕のツッコミに、フッと光里の表情が和らいだ。そのまま、二人して顔を見合わせて小さく吹き出す。

 


 これは、僕ら二人が過ごしてきた日常の先に築かれた、一場面だ。



「ふふっ。さ、学校いこ?」


 

 ――でも。僕が望む一場面じゃない。



「いや、今日はサボろう」



「…………え?」



 彼女の顔が、驚きで固まる。



「今日は一日、僕に付き合ってもらうぞ」



 立ち止まっている彼女を追い越して、僕は駅の方へと歩き始めた。





 *  *




 四月七日。


 今日、やっと彼と話せた。すごく緊張した。

 私は、うまく笑えていたかな。話せていたかな。心配だな……。


 私の能力を見せても、信用するまでは生き返らせたい人は教えないって言われちゃった。当然だよね……。


 でも。なんとか、彼の家族を生き返らせないと……。

 じゃないと、この力を得た意味がない……。


 

 この力については、わからないことも多い。

 優子さんを生き返らせてわかったこともあるけど、まだ足りない。


 せめてあと一回は……やらないと。


 優子さん、七宮さん……ごめんなさい。でも私は、この力について知らないといけないんです。だから……ごめんなさい。



 私は……やらないと、いけない。



 そして、彼自身も……。




  * *





 電車を降り、学校まで続く道の途中を曲がって、住宅街の中をしばらく歩いていく。早朝よりも暑い日差しがさんさんと照りつけており、額からは汗が噴き出していた。


「あちぃな」


「そりゃあ、夏だもん」


「まぁそうなんだけど。でもさ、僕らの通学路にある登ったり降りたりするあの坂道、あれがなかったらもう少し快適に登下校できたと思うんだよな」


「あーまぁ、それには同感かな。なんであんなふうにしたんだろうね」


 ここまで来る途中、予想外にも沈黙は少なかった。学校の授業や文化祭の準備の様子、平日の午前中の新鮮さなど、他愛のない会話が僕らの間に飛び交っていた。


 そんな雑談をしつつ歩くこと二十分。

 住宅街を抜け、多目的グラウンドや田畑を通り過ぎた先にある土手の上にようやく辿り着いた。


「やっぱこの辺りは気持ちいいな〜」


 青空に向かって手を伸ばし、思う存分伸びをする。川から吹き付ける風が肌を滑り、火照った身体を冷やしていく感覚がなんとも心地良い。


「ここって……」


「そう。ボラ遠で来た土手だよ。もう少し行ったら、あのアイス売ってる店があるから食べようぜ」


「陽人……」


 光里はまだ何か言いたげな様子だったが、僕が構わずに歩き始めると後を追うように付いて来た。

 そこからはなんとなく無言でアイスを買い、前と同じように近くの芝生の上に座る。

 

「美味いな」


「うん。美味しいね」


 川に臨み、夢中でスプーンを口へと運ぶ。バニラアイスのほのかな甘さが口に広がったかと思えば、この暑さで上がった体温に溶けていく。



 ――んーっ! おいしいっ!

 


 いつかの叫びが、風に乗って聞こえた気がした。


 ハッとして隣を見るも、黙々とアイスを頬張る光里がいるだけだ。

 あの時とは違い、満足そうな声も、幸せそうな表情もしていない。


 ……でもきっと、こっちが本当なんだ。



「……ねぇ、陽人?」



「ひょっ、え!? な、なに?」



 彼女の顔を盗み見ていた矢先に聞かれ、つい変な声が出た。「アハハッ、なにその声!」と笑われるかと思ったが、光里は特に反応を見せることもなく、川の方を見つめたまま言葉を続けた。



「陽人はさ、あのニュース見たんだよね?」



「……一ノ瀬優子が亡くなったってやつか?」



 僕の言葉に、彼女はこくりと頷いた。



「どう、思った?」



「どうって……メッセージでも送った通り、めっちゃ驚いたよ」



「……そう、だよね」



 光里は俯く。

 悲しそうな横顔に、ズキリと胸が痛んだ。

 彼女はきっと、にばかり囚われて、肝心なことを忘れている。



「まぁでも……優子さんは、生き返らせてくれて嬉しかったんじゃないかな」



「え?」



「たとえ短い間だったとしても、自分に会いたいと思ってくれて、そして会って……成長した光里の姿を見れて、嬉しくないわけないだろ」



 光里の家で見た、七宮さんと優子さんが光里に送ったという手紙。


 きっと二人は、両親を失い、さらに意味不明な能力を持ってしまった幼い光里のことが、心配で心配で仕方がなかった。

 でも、両親を失った喪失感と、未知の能力への恐怖の両方を和らげることは簡単じゃない。それに年齢的にも、いつまで見守れるかわからない。


 だから、あの手紙を送った。

 生きているうちはもとより、亡くなってからも彼女の心に寄り添えるように。

 少しでも、彼女の心に漂う喪失感と恐怖が薄れるように――。



「……だから。一度生き返らせるって決めたなら、後悔なんてするなよ」



 彼女には、そのことを忘れてほしくない。

 生き返らせた理由がどうであれ、光里の気持ちの根底にはあの手紙からもらった心強さがあったはずだ。そして、手紙を書いた二人の気持ちも、わかっていたはずだ。だから――二人の気持ちを無視するような後悔なんて、してほしくなかった。



「陽人……」



 僕が言い終わると、光里は何やら物言いたげに僕の方を見た。


 あ、まずい。


 その先に続きそうな言葉に思い当たり、僕は慌てて残りのアイスをかき込んで勢いよく立ち上がる。


 

「さ、さぁ! 次はまた電車だ! 早く行くぞ!」

 


「あ、待ってよー!」



 彼女の慌てた声が、キーンと冷えた頭に響く。軽く頭を振って夏特有の頭痛を紛らわし、歩を進めた。


 今は、これでいい。


 まだ……気づかれるわけにはいかないから――。





 *  *


 



 四月二十七日。


 やっちゃった……。どうしよ……。

 陽人に、気づかれちゃったかな……。


 どうしてあんなこと言っちゃったんだろ、私。ボラ遠で浮かれてた? いやでも、気をつけてたはずなんだけどな。ここ二週間も大丈夫だったのに、なんで……。



 もしかして、楽しくなってきてるから……?



 ダメ。ダメダメダメダメダメ!

 この日常を楽しいと思っちゃいけない!

 続いてほしいって思っちゃいけない!

 彼を元気にして、彼の家族を生き返らせるのが、私の役目なんだから!


 彼が元気になってくれてるからって、それが嬉しいからって、私まで心から楽しんでたらダメ!

 素っ気ないままでもあれこれ気にかけてくれたり、からかってくれたり、笑わせてくれたりするのは……その先にいるのがふさわしい人は、私じゃなくて、美沙さんでしょ……! 彼の家族でしょ!


 受け入れてほしいなんて思うな、私。

 


 私は、私は、私は……陽人に、笑っていてほしいんだ。



 だから……だから、私は…………



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