第46話 ここにいる理由


 昨日通った時は、見慣れない景色だった。



 近所にはない平屋。

 青々と生い茂った稲。

 歩いたことのない畦道――。



 けれど。二回目ともなれば話は別。



 真新しさは薄れ、多少なりとも慣れてしまい、気持ちは楽になる。



 だいたい何事も、二回目は心に余裕があるものだ。



 

 ――でも。今の僕は、全くの逆だった。




「はぁ、はぁ……」



 寝不足の体に鞭を打ち、必死に足を前へと進める。周囲を気にしている余裕はなく、何度も転びそうになった。でも、走るのを止めるわけにはいかない。



「はぁ……はぁ……」



 肺が痛い。足が重い。

 まだ朝も早く、陽はそんなに高くないのに、僕は全身汗だくだった。いつもなら、「今日も暑くなりそうだな」なんて思いながら朝ご飯を作っている頃。だけど今日は、独特の蒸し暑さや蝉の鳴き声など、汗を滴らせるに充分な夏の気配の中を駆けていた。



「はぁ……ふぅ……」



 住宅街を抜け、田畑を突っ切り、僕はどうにか目的地の近くまで辿り着いた。あとは、この短いながらも急な坂道を登るだけだ。



「ふぅ…………」



 小さく息を整える。

 ドクドクと脈打っていた胸のあたりが、呼吸に合わせて落ち着きを取り戻していく。まぁそれも、ある一定程度までの話だが。



「……っ、くそっ。やっぱダメか……」



 小休止の間、メッセージアプリを立ち上げてみるも、相変わらず光里のアイコンは沈黙を貫いている。昨夜の鬼電も合わさって、アプリのメッセージ欄はちょっと引くレベルだ。



「……まぁでも、行くしかないよな」



 事情が事情なだけに、こっちも諦めるわけにはいかない。


 昨夜のニュースは、あまりにも衝撃的だったから。



 *



「速報です。先日蘇ったと噂されていた元女優の一ノ瀬優子さんが、昨日、亡くなっていたことがわかりました」



 緊張したような、焦ったような、そんなアナウンサーの声がテレビから聞こえたのは、ちょうど夕ご飯を作ろうとしていた時だった。



「えー、繰り返します。元女優の一ノ瀬優子さんが昨日、亡くなっていたことが――」



 速報なだけに、大した情報はない。けれど、それすら頭に入るのに時間がかかった。


 一ノ瀬優子。光里の能力で生き返った、おそらく最初の人。


 その人が……亡くなった?


 続報のニュースを聞いていくと、死因は病死で、数日前から体調がすぐれなかったらしい。しかし、所々が曖昧な報道で、どうやら詳しいことは何一つわかっていないようだった。


 さらに、ネットニュースやSNSでは物凄い数の推測や憶測が飛び交っていた。幽霊説や集団催眠説、人体実験説なんてものまであり、タイトルだけで吐き気がして読むのをやめた。


 直前に病院で美咲さんから諭された手前、光里に連絡することは躊躇われたが、さすがに連絡しないわけにはいかなかった。

 既読すらついていないのにメッセージを送り続け、コール音しかしないのに電話をかけまくった。

 そしてもちろん、光里からは一切反応がなかった。


 どうしようもなくなって途方に暮れていたところに祖父が帰ってきて、かなり心配された。けれど相談できるはずもなく、体調が悪いと言い訳をして自室に閉じ籠った。


 その間。月明かりだけが差し込む薄暗い部屋の中であれこれと考え、思い出していた。


 光里の能力は、一時的に人を生き返らせるだけなのだろうか。

 今日話した七宮さんは、間違いなく生身の人間だった。幽霊や催眠な訳がないし、光里が能力を使うところも見ているから人体実験というのも有り得ない。







 つまりは、光里の能力にはまだ僕が知らない何かが隠されている――。









 ……まぁ。だから何だというのか。



 光里と過ごした学校での日々や、ボランティア遠足。花火祭り、買い物、文化祭の準備。どれも、僕の日常に彩りを取り戻させてくれた大切な思い出だ。


 どれだけ考えようと、もはや僕の気持ちは変わらなかった。



 僕は、光里と向き合いたい――。



 これまでのことも。これからのことも。



 光里の能力も含めて、全部受け止めて、そして……伝えたいのだ。





 ――覚悟、決まったみたいだね。





 数時間前に聞いた優しい声が、脳裏で響く。



 僕の、もう一人の姉のような、そんな存在だ。



「大丈夫です。心配しないでください」




 覚悟は、とっくに決まっている。そして――――





 *




「はい。どちら様ですか?」


 呼び鈴が鳴り止むと同時に引き戸が開いて、一日振りとなる女性が現れた。


「おはようございます。また会えて良かったです……七宮さん」






 ――――それを証明するために僕は、ここにいるのだ。

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