第43話 予想外の言葉
「落ち着け……きっと、大丈夫……」
そう自分に言い聞かせてみるも、緊張は和らぐところを知らなかった。
高鳴る心臓。
暑さとは異なる冷や汗。
若干揺らいでいるような気さえする視界……
リノリウムの床を踏み締め、一歩ずつ前へと進んでいく。何度か深呼吸を繰り返し、ようやくその病室へと辿り着いた。
ドクン、と心臓が一際大きく跳ねる。
病室と廊下を隔てる大きな扉の前には、一枚の札がかかっていた。
面会謝絶。
笹原からの電話でも、受付でも話を聞いていたから、驚くことはなかった。まだ目を覚まして間もない美咲さんは、例え元気でも一般の来院者では会うことができない。今回僕は、本人が希望したから特別に会うことができる。
「……大丈夫」
もう一度息を深く吸い、そして吐き出した。汗の滲む手を持ち上げ、目の前にそびえる扉を小さく叩く。
「よう。やっと来たか」
想像よりも軽やかに扉が開き、聞き慣れた声が鼓膜を震わせた。たった五日程度なのに、それはひどく懐かしかった。
「元気そうじゃん」
「なんとかな」
扉のレールを境に、僕らは軽く挨拶を交わす。彼は少し痩せていたけれど、顔色は良さそうだった。
そして、促されるまま僕はその病室へと、足を踏み入れた。
「やほ〜! 元気してた〜?」
そこには……倒れる前と全く変わらない、のんびりとした口調で笑いかけてくる、美咲さんがいた。
「……美咲さん?」
「そうだよ〜。え、もしかして、顔忘れちゃったとか〜?」
パリパリパリ。
「いや、なんか……思ったより元気そうですね?」
「え〜、そんなことないよ〜。生死の境を彷徨ってたんだから〜」
呆然とする僕の様子に満足したのか、美咲さんはケラケラとあけすけに笑った。そしてその間も、美咲さんの口からは香ばしい音が規則正しく響いており……っていやいや、ちょっと待て。
「そのポテチは?」
「ん〜? 弟の差し入れ」
「嘘つけ。姉さんが買ってこいって俺をパシらせたんだろ。マジでバレたら洒落にならないし、身体も本調子じゃないんだから小袋で我慢しとけよな」
ベット横の丸椅子に腰掛けた笹原は、不満そうな声をあげた。でも、そんな口調とは裏腹に表情は穏やかで、口元を緩ませながら美咲さんを見つめている。
「もう〜わかったわよ〜。じゃあここは、陽人くん。大袋の……」
「元気に退院してくれたら、いくらでも買ってきますよ」
美咲さんの軽口を受け流しつつ、僕は笹原の隣に腰掛けた。「ちぇっ」と小さく舌を鳴らす彼女は、本当にいつも通り。
けれど。ここまで彼女と一緒に誕生日サプライズ計画を進めてきた僕には、そのらしくなさが際立って見えた。
「言質とったからね!? とか、言ってくれないんですね」
「……」
美咲さんは答えない。むしろそれが、彼女の今の状況を雄弁に物語っていた。
「美咲さん、やっぱり……」
「うん。多分、陽人くんの思ってる通りだよ。聞いちゃったんだね。私の病気のこと」
「……ごめんなさい」
「いや〜、謝ることないよ〜。言ってなかった私も悪いし。それに、今日話したかったことのひとつでもあるから」
「今日話したかったことの、ひとつ?」
意味深な言い方だった。
美咲さんはクスリと小さな笑みをこぼすと、笹原に少し席を外してくれるよう言った。事前に話していたのか、笹原は何も言わずに頷くと、足早に病室を出て行った。
「今日話したかったのはね。私の病気のことと、君自身のこと。そして……」
美咲さんはそこで、一度言葉を区切った。
黒い大きな瞳が、僕を見据える。
「――君の、お姉さんのことだよ」
窓の外では、分厚い雲が立ち込め始めていた。
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