第42話 記憶と景色
車窓の外は、真っ赤だった。
夕陽に照らされ、オレンジ色に染まった街並みが滑っていく。
この時間になっても、うだるような暑さはまだまだ健在で、その分冷房の効いた電車内は快適だ。
でもそれは、身体的な感覚だけ。美咲さんの元へ早く向かわねばという妙な焦りの感情や、七宮さんから聞いた多くの情報の処理に、僕の頭はオーバーヒート寸前だった。
「まさか、光里がお母さんを亡くしたのも十年前だったなんてな……」
噛み締めるように反芻する。それだけでは足りず、再度口の中で転がし、今度は音にせず息だけ吐き出した。
きっと偶然じゃない。あまりに出来過ぎている。
いくつか推測は立てられるが、光里がこの前言っていた言葉も考慮すると、あの時の対向車を運転していたのが光里のお母さんである可能性が高い。シングルマザーとして日々育児や仕事に追われ、そのストレスや疲れでハンドル操作を誤って……?
そして、母親の過労死に対する悲しみか何かが引き金となって光里の能力が発現するも、その事故のことを知って僕に近づいてきた……?
「……っ」
右頬に痛みが走り、咄嗟にやけどの痕を押さえる。ただれているわけでも、水ぶくれができているわけでもない。そこにはただ、乾いた硬めの皮膚があるだけ。その、はずなのに……。
「いや、でも……まさかな」
心を落ち着けるため、僕は一度深呼吸をしてから外に目を向けた。
地平線の彼方には、依然として赤い太陽が鎮座していた。周囲の空は陽の光を受けて赤く色づき、手前に近づくにつれて白く、青く、暗くなっている。独特のグラデーションに彩られた空には細長い雲が幾つも列をなしており、まるで夕陽までの道を示しているみたいだった。
そしてそこに、炎はない。
車内に差し込む朱色の光を身に受けても、熱くはない。あれは……過去の記憶だ。
ピロリン!
その時、ポケットから通知音が響いた。
「やべっ……」
急いで電車に乗り込んだせいで、マナーモードにするのを忘れていた。慌ててスマホを取り出し、設定を切り替える。幸い車内に乗客は少なかったが、やけどの痕も相まって視線を集めていたこともあり、僕は小さく頭を下げた。
「ふぅ……っと、誰だ?」
軽く呼吸を整えてから画面を確認すると、笹原からだった。
>>天之原さん、電話に出ないし、メッセージも既読つかないんだけど、なんかあった?
そんな言葉の後には、やたら目がうるうるしている変なネコのスタンプ。スタンプのせいで全体的にコミカルさが増しているが、事態はそれなりに深刻だ。
「光里は……まだ未読か」
笹原に「風邪らしいよ」とだけ返信してから、メッセージアプリの光里のアイコンをタップしてみる。
相変わらず、既読の文字はない。
笹原からの電話やメッセージでも反応がないとなると、もはや連絡のつけようがなかった。後は七宮さんにお願いした言付けだけが頼みの綱だが、果たして光里は来てくれるだろうか。
「……気にしてても仕方ないか」
どちらにしろ、僕はなるべく早く美咲さんの元へ向かうしかない。美咲さんの容体はもちろん、何か用事もあるみたいだし。
正直、今この状況で病院に向かうのは怖かった。電話での笹原の口調や、送られてきたメッセージの雰囲気は軽いが、きっと美咲さんは未だに危ない状況にあるんだろう。もし前にみたいに元気なら、直接電話をかけてきて「ポテチ忘れないでね〜」くらい言ってくるはずだから。
僕はまだ、完全に心の準備ができたわけじゃない。
死の淵に立たされ、残り時間が僅かとなった人に漂う独特の雰囲気が、怖い。
一定のリズムを刻む機械音だけが響く、静寂に包まれた病室が、怖い。
その傍らで微かな希望にすがり、ひたすらにその時を待つ自身の幻が……――。
でも……僕は、向き合わなければならない。
過去と向き合い、自分と向き合い、光里と向き合うと、決めたのだから。
だからこれは……その第一歩だ。
目的の駅名を告げるアナウンスが、車内に響いた。足元に置いていた鞄を持ち、僕はもう一度車窓の先を見つめる。
そこでは、地平線に沈んでしまった夕陽の残滓が、真夏の空を赤く、赤く染め上げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます