第40話 迷いの先を見つめて


「ありがとうございます」


 淀みなく流れるような所作で出された麦茶に、僕は恐縮して頭を下げた。


「あらあら、いいのよ。そんなにかしこまらなくて」


 柔和な微笑を湛えたまま、七宮さんは向かい側に腰を下ろす。


 僕が今いるのは、玄関から進んで少し中に入ったところにある座敷の部屋だ。いぐさの匂いがふわりと香っており、手入れの行き届いた床の間や書院などは僕の家とは大違いだ。おそらく、客間としていつ誰が来てもいいように、普段からしっかり掃除がされているんだろう。


「それで……今日は光里ちゃんに会いに来てくださったんですよね?」


 麦茶をひと口飲んでから、ゆるりと彼女は切り出した。


「えぇ、まぁ。風邪で休んでる光里さんに、先生から欠席中のプリントを渡してくるよう頼まれまして」


「そうでしたか。でも、ごめんなさい。光里ちゃん、少し散歩に行ってくるってさっき出かけてしまったの。入れ違いになっちゃったわね」


「あぁ、そうだったんですね」


 七宮さんの言葉に、図らずもホッとしたのがわかった。なんとも情けないな、と思う。そんな自分に苦笑しつつ、僕も彼女に習って麦茶を口へと運んだ。


「ところで、光里ちゃんとはいつから付き合ってるの?」


「っ!?」


 危うく、麦茶を吹き出しそうになった。が、どうにか堪え、喉へと流し込む。しかし全てが食道へ流れ込むわけもなく、結局盛大にむせた。


「あらあら、ごめんなさいっ。大丈夫?」


「ゲホッ、エホッ……は、はい……」


「そんなに動揺しなくてもいいのよ。光里ちゃん、いないんだし」


 ティッシュを僕に渡すと、彼女は徐に麦茶をコップに注ぎ足した。なんだか完全に向こうのペースに呑まれている気がする。


「その……僕と光里さんは、そんなんじゃないですよ」


 改めて麦茶を渇いた喉へと滑らせ、ようやくひと息つく。七宮さんは、僕が麦茶を飲み干すのを待ってから、ゆっくりと口を開いた。


「もしそうだとしても、あなたは光里ちゃんのことが好きでしょう?」


「えっ!?」


 今度は、声が裏返った。


「違うの?」


「いや、えと……」


「違わないでしょう?」


「え、え、えぇ……?」


 いきなり何を言ってるんだ、この人は。

 やっと落ち着いた心が、またザワザワと波打ち始めていく。


「だって、あなたの顔にかいてあるもの」


「か、顔に……?」


「そう、顔に。人の表情は、思っている以上に豊かなものよ」


 柔らかな微笑みが、幾重もの皺が刻まれた口元に浮かぶ。まるで、全てを見透かされているような気分だった。

 思い返せば、初めて会った時も七宮さんはこんな感じであれこれ聞いてきていた。



 あの、夕方の墓地で。



 確か、複雑そうな顔をしていた光里が叫んで、その追求を止めたんだっけ……



「……ふふふっ。意地悪して、ごめんなさい」



 つい二ヶ月ほど前のやりとりを思い出していると、不意に七宮さんが小さく頭を下げた。思わず、僕の口から「え?」と呆けた音が漏れる。



「あなたの顔が、あの時の光里ちゃんと似てたからつい……ね」



「あ……」



 夕暮れに浮かぶ、光里の顔が思い起こされた。



 焦ったような、戸惑いのような、そんな表情をしていた。



 どうしてかわからなくて、僕自身も驚いて……――



「その表情を浮かべた理由は、きっと違うんでしょう。もしかすると、とっても大変なことで悩んでいるのかもしれない」



 彼女はひどく真面目な顔つきで、僕を見ていた。そこには、先ほどまでの少しふざけたような色は微塵もない。



「でも私は、どちらも見過ごせなかった。少しでも肩の力を抜いて、少しでも笑って、そして向き合って欲しかった。空元気でもいいの。物事はね、それくらいの方がうまくいくものよ。そんな、おばさんのお節介」


「七宮さん……」


 ふふふっ、と今度は笑って、七宮さんは残った麦茶をひと息に飲み干した。やがて、氷が音を立ててコップの底へと落ちる。



「さて。おばさんのお節介も済んだことだし、今度はあなたの番ね」



「え?」



「何か私に、聞きたいことがあるんでしょう?」



 風鈴の音が、どこか遠くで夏の風を知らせていた。




 *




「どうして、そう思うんですか?」


 たっぷりと間を置いてから、僕は尋ねた。


 正直、まだ迷っている。


 七宮さんに聞きたいこと。それはもちろん、たくさんある。

 僕は、光里と、光里の能力について向き合わないといけない。その中で、実際に能力で生き返った人に話を聞けるのは僥倖だ。


 だけど、果たしてそのことに触れていいんだろうか。


 一度亡くなり、そして文字通り、この世に蘇った人。


 そのきっかけとなる能力について、聞いていいんだろうか。


 ある種、その人にとっては最大の謎であったり、不安の源であったり、唯一の希望であったりする。むしろ知りたいのはこっちだと逆ギレされてもおかしくない。そんなデリケートな問題に、触れていいんだろうか。



「きっとあなたは、光里ちゃんの不思議な能力について気にしているんでしょう?」


「え…………あ、はい」


 今しがた悩んでいたことが、予想外にも音となってストレートに飛んできた。あまりに直球すぎる質問に、思わず正直な返事が口をついて出る。


「だったら、光里ちゃんの能力で生き返った当人である私に、聞きたいことがないはずがないじゃない。ね?」


「ね? って言われましても……」


 なんだか、想像以上に軽い。もしかして、僕が考えすぎているんだろうか。


「優しいのね。大丈夫よ。おばさんはそんなことで取り乱したりしないわ」


「……わかりました」


 僕は再度気を引き締め、七宮さんに目を向けた。

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