第39話 ひとつの意思を携えて


 休み時間。今日もダメ元で光里のクラスに行ってみたが、やはり来ていなかった。


「光里ちゃん、大丈夫かな……。こんなに休んだことなかったのにな」


 教室の入り口付近で、か細い声がポツリと漏れた。声の主は、僕が唯一話せる光里の友達。僕よりも頭一つ分背は低く、肩ほどまで伸びた髪を後ろでひとつに束ねている。目尻は少し垂れていて、おっとりとした雰囲気を醸し出しており、名前は確か……光里からは「りんちゃん」と呼ばれてたっけ。


「何か言ってなかった? えっと……」


 光里と同じように「りんちゃん」と呼ぶわけにもいかず、口ごもる。すると、彼女は小さくはにかみ、「遅ればせながら、天音凛です」と自己紹介してくれた。


「えと、光里ちゃんだよね。うーん……風邪をひいたとしか聞いてないや」


「そっか」


 おそらく本当は風邪でなく、僕との一件で休んでいるんだと思う。口をきいてくれないとか、避けられるとかは予想できたが、文化祭直前のこの時期に学校を休み続けるというのは計算外だった。


「文化祭の準備も大詰めだし……光里ちゃんいないと不安だな……」


「あぁ、そういえば、光里は学級委員だったっけ」


「うん。まぁ、文化祭での学級委員の事前準備はほとんど終わってるみたいなんだけど、カフェの外装とか接客用の制服作成のスケジュール管理もやってくれてたから……」


「光里、そんなにいろいろやってたのか……」


 僕との渉外係での調整もそうだし、そのうえ美咲さんのサプライズ計画の手伝いまで……。さすがだと思う反面、どうしてそこまでやるのか不思議だった。


「なぁ、光里って……――」


「お、橘! ちょうどいいところに」


 彼女のことを天音さんに聞こうとした時、ハリのある声が上から降ってきた。と同時に、逞しい手が僕の肩を掴む。


「先生、声大きすぎです」


 振り返ると、そこには男子の体育を指導しており、笹原が散々お世話になっている陸上部顧問の先生が苦笑を浮かべていた。


「あー、すまんな。ついクセで」


「まぁいいですけど。それで、何かご用ですか?」


「あぁ、そうだった。橘、お前確か、笹原や天之原と仲良かったよな?」


「え?」


 唐突に出た二人の名前に、思わず呆けた声が出た。


「あれ? 違ったか?」


「いえ……まぁ」


 仲は良い、と思う。でなければ、毎朝変なやりとりをしたり、毎日一緒に昼食を取ったりしない。

 でも今は、状況が悪かった。そのせいで、結局僕は曖昧な言葉しか返せなかった。


「どした? もしかして今は喧嘩中とか?」


「いや、そんなわけでは……。でもまぁ、はい。仲は、いいですよ」


 自信なさげな僕の言葉に先生は暫く首を傾げていたが、まぁいいやというふうに表情を戻した。


「実はな、あの二人に渡してほしいプリントが溜まっているんだ。文化祭関係のものもあるし、悪いが届けてやってくれないか?」


 続けて出てきた突然の提案とプリントの束。今度はもう驚きのあまり声も出ない。このタイミングで……? 一周回って、そういえばこの先生は隣のクラスの担任もしてたなー、なんてどうでもいいことが頭に浮かんだ。


「橘?」


「あ、いえ。その……わかりました」


 名前を呼ばれて我にかえる。


 と同時に、僕の中でひとつの意思が生まれた。


 これはきっと、チャンスだ。



 *



 その日の放課後。切りのいいところまで看板の色塗りを終えてから、事情を言って準備を早抜けさせてもらった。

 まだ日が高い午後の蝉時雨の中、僕はなだらかな坂を下っていた。


「あっついな……」


 いよいよ夏も本番。日を追うごとに強くなる日差しや高くなる気温が恨めしい。快晴の青空を滑る雲も、身体を吹き抜ける南風も、夏の気配を濃く深くまとっている。


「えーっと、確か光里の家は……」


 地図アプリを凝視しつつ、僕は案内通りに突き当たりの角を曲がった。

 先生から聞いた光里の家は、思いのほか僕の家から近いところにあった。初めて会ったのが、駅から僕の家までの道中だったのも合点がいく。まぁ、あの時は待ち伏せていたような感じだったけど。


 そんな彼女とのささやかな出会いの場所も通り過ぎ、ルート案内に従っていつもの通学路から脇道へと逸れる。

 僅か一本道を外れただけなのに、そこから先は知らない世界だ。見慣れない住宅街に、青々と育った稲が生える小さな田んぼ。いつもの道からそう遠くない場所に広がる、いつもとは違う風景。なんだか、不思議な感じだった。


「……あと少し、だな」


 所々に点在する田畑の畦道を通り抜け、住宅街の角をさらに数回曲がると、少し急な短い坂が姿を現した。地図アプリによると、この坂を登り切って少し真っ直ぐ行ったところに、光里の家はあるらしい。


 この坂を登れば……。


 目の前にそびえる坂の前で、僕は足を止めた。道中も考えないようにしていたけれど、もう目と鼻の先というところまでくれば考えない方が無理だ。



 僕は、光里に会って……なんて言えばいいんだろう。



 そんな問いが、頭の真ん中にずっと渦巻いていた。一度考え始めれば、それは瞬く間に思考を覆い尽くしていく。


 どう切り出そうか。


 何から話そうか。


 そもそも何を話せばいいんだろうか……――。


 でも、答えはわかり切っている。美咲さんのこと。光里の能力のこと。これからのこと。そして……過去のこと。

 これまでずっと目を逸らしてきて、しっかりと話していなかったことを、話さなければならない。時間だって、もうほとんど残っていないのだ。


「よしっ」


 自分の心に喝を入れるように一声叫び、僕は足を前へ進めた。




「あら? あなた、もしかして光里ちゃんの彼氏さん?」


 


 唐突に聞こえた女性の声に、反射的に振り返る。そこには……――




「お久しぶりです。七宮春子です」




 僕が知る限り、この世で二人しかいない生き返った人のうちの一人……――七宮さんが、柔和な笑みを浮かべて僕を見ていた。


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