第37話 かけがえのない命


 美咲さんの病状について説明を受けた後、僕たちは帰路についていた。


 時刻はとうの昔に二十時を回っており、夜空には夏の月が煌々と輝いていた。夕方まで空を覆っていた雲は、そのほとんどが散り散りになり、行くあてもなくゆっくりと流れている。


 笹原のお父さんからは、もう夜も遅いから送っていくと言われたが、歩きたい気分だったので丁重に断らせてもらった。それは光里も同じだったようで、こうして僕らは並んで夜道を歩いている。


「……まさか、美咲さんの病気があんなに悪かったなんて、ね……」


 閑静な住宅街に、光里の暗い声が小さく響く。どこかで、驚いたように蝉が一匹、星空へと飛んでいった。

 

「あぁ、ほんとにな……」


 虫嫌いな僕は、本来なら多少なりとも反応するが、最早そんな元気も気力もない。ただ、彼女の言葉に頷くので精一杯だった。


「笹原くん、大丈夫かな……」


 光里の言葉に、右頬のやけどの痕が軽くうずく。

 自分の姉が、病床で臥せっている姿が浮かんだ。傍らで手を握るも、握り返してくれることはない。モニターが時節発する心電図の音ばかりが病室に響き、望んでいる声は僅かばかりも聞こえてこない。

 そんな、幾重もの不安に押し潰されそうな部屋の中は、生き地獄そのものだった。


「そうだな……後でメッセージ送ってみるよ」


 安心させるように、努めて優しく返事をした。

 笹原はきっと、今も病室で美咲さんに付き添っているだろう。明日学校に来るのも難しいと思う。何より……


「……笹原くん、今日誕生日なのにね……」


「あぁ……ほんとに、な……」


 本当に、あんまりだと思った。

 と同時に、その原因の一端を担ってしまったことが悔やまれた。

 もっと気を遣っていれば、こうはならなかったかもしれない。

 美咲さんがプレゼント作りを頑張りすぎないように、身体に負担をかけないように、僕にも何かできたんじゃないか。


 でも。今更悔いたところで、どうにもならない。

 ただただ、良くなることを祈るしかなかった。



「そういえば……美咲さん、いつからそんなに悪かったのかな……」



 ――姉さんさ、実は病気なんだ。



 光里のつぶやきに、花火祭りでの笹原の言葉が唐突に蘇った。



 ――神経難病っつーの? 原因わかんないけど、神経が仕事してくれなくて、それで上手く歩けないみたいでさ。



 あの時の笹原は、確かに少しおかしかった。いつもなら話さないような話を、やけに饒舌にしゃべっていた。そして……



 ――だからさ、こうやっていつも通り、前みたいに笑ってお祭りに行けるのが、幸せだなぁって思っただけ。



 らしくもなく、不恰好な笑顔を向けてきたんだ。

 もしかしたら、あいつは美咲さんの死の影を悟って、花火祭りに……?



「……もっと前から、なんだと思う」



 きっと、僕らが会った時には、既に……。




 沈黙が、僕らの間に漂った。




 僕は、美咲さんに振り回された日々を、思い返していた。



 あんなに元気そうにしていたのは、僕らのためなんだろうか。



 気を遣わせないために……?


 ……いや。多分それだけじゃない。



 きっと、死が近いからこそ全力でやりたいことをやっていた。



 好きなお菓子を食べたい、なんて身近なことから。


 弟のためにサプライズをしたい、なんて少し大掛かりなことまで。



 本当に、その時その時にやりたいことをやっていたんだと思う。



 後悔しないために。



 最期まで、しっかり生きるために……。














 ――生き物は……死があるからこそ、こうして頑張って生きようとする。






 そこでふと、あの時の言葉が脳裏をよぎった。





 ――少しでも死に抗って、今を懸命に生きようとするの。





 二週間前の、ショッピングモールで。



 いつもと違った様子の光里が、僕に問いかけてきたことを。





「……あ」





 そこで、僕は思い出してしまった。



 黙って隣を歩く少女の、不思議な能力を。





 ……

 




 …………





 ………………………僕は、





 

 ……僕は、彼女に言うべきなんだろうか。





 もし、美咲さんが亡くなったら。



 僕は、彼女に、をお願いするべきなんだろうか。






 ――陽人はさ、人を……生き物を生き返らせることって、いいことだと思う?






 あの時の問いかけが、リフレインする。






 ――人を……生き物を生き返らせることって、いいことだと思う?





 僕は、僕は、ぼくは……………――――




















「――なぁ、光里。もし、もし美咲さんが亡くなったら……生き返らせて、くれるか……?」






 やっぱり、生きていてほしいと思った。


 自分勝手かも知れないけれど、大切な人には生きていてほしい。


 直前にまで迫った死と向き合って、懸命に生きようとするその努力を薄くしてしまうとしても。


 僕はやっぱり……美咲さんには生きていてほしい。


 ――そう、思った。













「…………そっか」



 月光の下、足音が止まる。







 夜の闇にさえ紛れない黒髪を翻し、彼女は淀みのない所作でゆっくりと、振り返った。













「………………でも。それはできない」







 それは、溢れ落ちたような声だった。















「だって……――陽人から家族を奪ったのは、私だから」







 彼女の瞳は真っ直ぐ、いっぱいの涙を溜めて……僕を、見ていた。

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