第34話 答えのない問い
蝉時雨が、澄んだ青空に響き渡っていた。
太陽は容赦なく午後の日差しを校庭に浴びせ、南風は嫌がらせのごとく砂埃を舞い上がらせている。
「夏だなー」
前方で、ピッと短い笛が鳴った。それを合図に、目の前の背中にかけていた手の力を緩める。そして今度は、その向きを右から左へ。
「七月も中盤だからな」
もう一度鳴った笛に合わせて、再び手に力を込め背中を倒していく。すると、どこかでポキリと小さな音が弾けた。
「いってーな! 相変わらず力強すぎるんだよ!」
「いやだから、笹原の体が硬すぎるんだって」
「くっ……校内でも有数の人気者女子と親密なご関係なんだから、少しは俺に優しくしろーー!」
「はぁ? お前はいったい何を……」
その時、ピーーーーッと一際長い笛の音が鳴り響いた。
「そこ、まだ授業中だぞ。柔軟体操を終えるまでが体育だ」
家に帰るまでが遠足、に因んだような言葉で注意され、僕らは一先ず謝る。先生は満足そうに頷くと、高らかな笛の音とともに柔軟体操を再開した。もちろん、それに伴って僕らの会話も密やかに続くわけだが。
「んで? 最近どうなんよ?」
「なにが?」
「とぼけんなよ。近頃、天之原さんとよく一緒に出かけてんだろ?」
笹原の言葉に、どきりと心臓が跳ねた。でも、次の瞬間にはこの前の出来事が脳裏をよぎり、それはすぐに落ち着いていく。
「……光里とは、何もないよ」
「は? マジ?」
「ないって」
言葉の終わり際、ぐいっと手に込める力を強めた。「ぬあっ!」という小さな悲鳴が聞こえた気がしたが、力は緩めない。その先を、追求されないために。
そう。僕と光里は何もないし、何かあるはずもない。
光里はただの友達で、隣のクラスの人気者で、デタラメな能力を持っていて、なぜか僕の生き返らせたい人を聞いてくる、かなり不思議な女の子。ただ……それだけだ。
「はい、そこまで! これで今日の体育の授業は終わり。各自しっかり水分補給をするように!」
夏の青空にこだます指示の下、僕らも立ち上がった。隣で笹原が何やら喚いているが聞き流し、他の生徒に付いて校舎の方へ歩いていく。
そうだ。今は、光里とのことは忘れないと。だって、今日は……
「なぁ、そんなことより、今日大丈夫なんだよな?」
「そんなことってやられた身にもなって……って、え?」
「え? じゃねーよ。今朝言っただろ? 今日、お前の家で光里とお祝いするって」
「……あ、あぁ! もちろん、大丈夫。なんか、悪いな」
しかめ面から一転、こそばゆそうに笹原は視線を逸らした。
「今日くらい気にするなって。改めて、誕生日おめでとう」
「おう、サンキュー!」
ここ二週間の、集大成を見せる日だ。
***
六時間目。
体育の時にあれほど照り付けていた日差しは雲間に隠れ、幾分涼しい風が頬を撫でた。
数学の先生が微積の解説をしている中、僕はぼんやりとこの後にすべきことを考えていた。
今日の作戦はこうだ。
まず朝のうちに、笹原に「誕生日おめでとう」をサラリと言って、サプライズの気配を消す。美咲さんは、「誕生日忘れているフリからのサプライズ大作戦」をやってみたかったようだが、さすがに漫画やドラマでやり尽くされているし、気づかれそうなので却下になった。
そして、笹原の家で誕生日パーティーをする約束をとりつけ、放課後の帰り道でお菓子やジュースを買い込んで笹原宅へ。その道中には、カモフラージュとして、いかにも誕生日プレゼントが入ってそうな紙袋を光里に持ってもらうことになった。ちなみに、中身は本当に僕と光里で買った笹原へのプレゼントなので、何か言われても問題はない。
とりあえずこれで、笹原のささやかな誕生日パーティーの体裁は完成する。まさか、玄関に入ってすぐのところで、美咲さんや笹原の両親が待ち構えているとは夢にも思わないだろう。
残る課題は、帰り道での現在地を、笹原に気づかれないよう美咲さんにメッセージで伝えるだけだ。
――ふふっ、ドキドキしちゃうね!
――幹也、喜んでくれるかな~
――もう美咲さん、また零れてますよ!
――あ、ごめんごめん。ついうっかり~
クッキーやビスケットを頬張りながら嬉々として話す美咲さんと、それを呆れつつもどこか楽しそうに見つめている光里の顔を思い出す。
美咲さんは見事な技術で、本当にサプライズボックスを二週間ばかりで完成させた。その完成品は僕もまだ見ていないが、前に写真で送ってくれた製作途中のものを見る限り、あの百均グッズが驚くような代物に変貌しているのだろう。
「本当に、すごいな……」
美咲さんだけではない。
光里も、文化祭の準備で忙しい合間を縫っては、美咲さんからの追加資材の注文を買いに行ったり、僕らだけで何かプレゼントを用意しようといろいろな案を提示してくれた。
そういった行事や祝い事から離れていたとはいえ、本当は僕のような時間のあるやつが率先すべきなのに。本当に、あの二人はすごい。
そこで、ふと思う。
僕は、どうなんだろう。
最近は本当に目まぐるしく日々が移ろい、気づけば一週間が終わっている。
朝に自分の頬にあるやけどの痕を気にすることも減ったし、人の視線やひそひそ声にイライラすることもなくなった。
笹原や光里に持つ感情も、あの花火祭りの日に自覚して以降、さらに少しずつ変わってきている。話していて楽しいと素直に思えるようになったし、二人のことをもっと知りたいとさえ思うこともある。
そして光里には……特別な感情を抱いてしまっているのだと思う。
確実に、変わった。変われた。
それは間違いなく、光里たちのおかげだ。
でも。本当にそれでいいのだろうか。
あの日。僕が、僕だけが生き残ってしまった。
助けて、と姉に言ってしまった。
結果。今こうして、僕だけが助かって、それなりに楽しく毎日を過ごしている。
あの事故の原因も、対向車の行方すらわかっていないのに。
本当に……こんな毎日を過ごして、いいのだろうか。
キーンコーン、カーンコーン。
そこで、僕の意識は引き戻された。
チャイムが鳴り終わると同時に、学級委員の生徒が号令をかける。慌てて立ち上がると、視線が手元のノートへと留められた。
「やっべ……」
そこにある数学のノートには、僅か数行しか書かれていない。後で笹原に頼み込んで見せてもらわないとな……誕生日だけど。
そんな、以前なら思わないようならしくない思考に、また苦笑して。
「おーい! 行くよーー!」
数学の先生と入れ違いに飛び込んできた明るい声を合図に、勝負の放課後が始まった。
……いや、まだホームルーム残ってるぞ?
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