第35話 夕暮れに響く音
「アハハハッ! いやー、ごめんごめん!」
曇天が広がる夏空の下。住宅街に走る人通りの少ない道路の上を、透き通った笑い声が響いた。
「ごめんごめん、じゃねーだろ。慌て過ぎだ」
振り返った拍子に、右手に持った袋が揺れる。ついさっきコンビニで買ったお菓子やジュースが触れ合い、音を立てた。
「そ、そんなに楽しみにしてくれてたのか〜〜! ありがとう……!」
苦笑を浮かべた光里の隣で、笹原がおいおいと泣いていた。いや、正確には泣く仕草をしていた。さすがに、今のやりとりで泣くやつはそういない。
「それで、とりあえず最寄まで来たけど、この後はどう行けばいいんだ?」
「あー、そこの角曲がって、とりあえず真っ直ぐ」
案の定すぐに泣き止んだ笹原の声に従って、三つの足音が移動を始めた。
放課後。担任の先生の軽い注意を受けてから、僕たちは予定通り笹原の家へと向かっていた。あれだけ晴れていたのに、今はかなり曇っていて、気温も夏にしては比較的穏やかで過ごしやすい。ひと雨さえ来なければ、これ以上はない天気だ。
そして。美咲さんへの現在地報告も、滞りなく完了している。学校を出たことを伝えた時に、可愛らしい猫の了解スタンプが送られてきたきり返事がないが、おそらく準備にでも手をとられているんだろう。とりあえずまた、最寄駅を降りたこと伝えないとな。
「でもほんと、笹原くんの時間が空いてて良かったー。部活は大丈夫なの?」
「あぁ、元々木曜日はオフなんだ。それより、文化祭まであと一週間だけどそっちこそ大丈夫なの?」
「んー、多分? まあ、一日くらいなら大丈夫だよ!」
僕の後ろでは、光里が笹原とあれこれ話をしており、うまく引き付けてくれていた。光里は隠れて連絡するみたいなことは苦手らしく、光里が引き付け役、僕が連絡役になった。まぁ、光里が静かにしているところとかあんまり想像できないので、確かに妥当な線……
「それに、美咲さんも頑張って準備……わっ!?」
光里が言い切る前に、僕は彼女の手にあったお菓子の入った袋を半ば強引に奪った。そしてその数瞬を使って、素早く耳打ちをする。
「おい! 光里!」
「ご、ごめんごめん。ついうっかり……」
申し訳なさそうに、光里はまた苦笑いを浮かべた。よくよく見ると、表情もどこか固い。どうやら、僕が思っていた以上に緊張しているらしかった。
その辺りも含めてまだ言いたいことはあったが、後ろでは、「へ? 姉さん?」と笹原が不思議そうにしているので、それ以上の追求は諦めることにした。
「あー、今気づいたけど、こっちの袋の方が軽いみたいだから交換しよう」
「あ、そ……そうだね……?」
「よし、じゃあ光里はこっち持ってくれ。それにしても、ほんとに笹原の姉さんも来られれば良かったのにな。今も入院してるんだろ?」
手早く光里と袋を交換してから、平静を装いつつそんなことを聞いてみる。かなり無理矢理だとは思ったが、さすがにこの状況で美咲さんの話題に触れないのは厳しい。
「ん? あぁ、そうなんだよ。この前の検査も良かったみたいだし、せめて一時帰宅とかできたらいいんだけどな」
「そ、そうか……」
タイミング良く出た「一時帰宅」というワードにヒヤリとしたが、どうやら大丈夫なようだった。
それからも度々ヒヤリとする場面はあったがどうにか乗り越え、気づけば笹原の家の近くまで来ていた。
笹原の家は、駅からほど近いところにある住宅街の端にあるらしい。以前美咲さんから、「時報用の味気ない鉄塔が目印だよ〜」と聞かされていて、まさにそれが数十メートル先にポツリと立っているのが見えた。ちなみに、美咲さんがデザイナーを志したのも、幼い頃、その鉄塔をもっとオシャレにしたらいいんじゃないか、と思ったのが始まりだとか。
「全く、独特だよな」
「なにが?」
「あぁ、いや。なんでもない」
危ない危ない。僕も口に出ていたのか。
笹原に気づかれないよう、小さく深呼吸をする。サプライズまであと少しとなったからか、どうやら僕自身も気づかないうちに緊張していたようだ。
そういえば、鉄塔が見えたら最後の連絡をするんだったな。
茜色の空の下。朱色に彩られた田畑の中にそびえ立つ鉄塔に、もう一度視線を向ける。それは雨風に晒されてすっかり錆びついており、確かにあれをオシャレにできたら映えるような気がした。
「っと……」
なんて考え事に浸っている場合じゃない。さすがにそろそろ連絡しないと。
光里にアイコンタクトをして意図を伝え、笹原の気を逸らしてもらっている隙に、僕はそっとメッセージアプリを開いた。
相変わらず返信は来てないが、既読にはなっているし大丈夫そ……――
「――え?」
後ろから、驚いたような声が聞こえた。
反射的にスマホから顔を上げ、声のした方を見ようとして……それは目に飛び込んできた。
鉄塔から少し離れたところにある家の前。
つい先ほどまで、立ち並ぶ家々の影に隠れて見えていなかった部分に……救急車が停まっていた。
「うそ、だろ……?」
笹原が走り出したのと、救急車のサイレンが鳴り始めたのは、ほぼ同時だった。
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