第32話 想いの先にいる人は
それから、なんとなく身の入らない授業を受け、昼休みに笹原を問いただすものらりくらりとかわされ、気がつけば調理の予行練習の時間になっていた。
「調理かー。俺苦手なんよねー」
家庭室への道すがら、事前に持ってくるよう言われたエプロンをくるくる振り回しながら、笹原がぼやいた。
「まぁ、文化祭まであと少し、らしいからな」
文化祭は、七月最後の土日だ。つまりは、あと二週間ちょっと。この時期になると、僕たちの高校では文化祭の模擬店で出す料理を試しに一度作り、試食することになっていた。個人的には、まだ二週間もあるのに、と言いたいところだが。
「まぁ、しゃーねーか。それに、隣のクラスと合同だからな」
ニヤリと笹原が笑う。ったく、またこいつは。
そう。面倒なことに、今回の試し作りは、クラス数の関係もあって二クラス合同で行われるのだ。
当日家庭室を使うのは、調理担当に割り当てられた生徒で、人数としてはちょうどクラス全体の半分くらい。今回の試し作りも当日調理をする人だけなので、授業との兼ね合いや日数の関係上、必然的に二クラスが合同になる。
つまりは、光里のクラスと一緒なのだ。
「なんでよりにもよって……」
しかも、光里も当日の担当は調理らしい。
本当にタイミングというものは、悪い時はとことん悪い。まるで、何か別の力が働いているみたいだ。
「んなこと言って、本当は楽しみなんじゃないか?」
「はぁ?」
どうにも、今日のこいつはやたらとしつこい。
諦念を抱きつつも、文句のひとつでも言おうと口を開くと、ちょうど家庭室に着いた。中では既に、エプロン姿のクラスメイトが何人かいて、楽しそうに談笑している。そして、
「りんちゃーん! その材料はこっちだよー!」
薄い茶色の、ギンガムチェックのエプロンと三角巾に身を包み、明るく叫んでいる光里が見えた。
「あの柄……」
前に、サプライズボックスを買いに行ったショッピングモールでの会話を思い出す。
――ねねっ! これ可愛くない?
壁にかけられていたカラフルな布を指差して、無邪気にはしゃいでいたっけ。
――ふふん、陽人もまだまだだね
僕が意外そうにしていると、得意そうに笑ってもいたな。何がそんなに嬉しいのか。
本当に、まったく……――。
「おい? 陽人? 早く着替えないとチャイム鳴るぞ?」
「あ、あぁ。今行く」
どこかむずがゆくて、感じたことのない温かな気持ちがひっそりと心の中に満ちていくのを、僕は感じていた。
***
慣れないたい焼き作りを終えた放課後。僕たちはせっせと後片付けに勤しんでいた。
「くっそー。たい焼きって意外に難しいのな」
皿を洗いながら、悔しそうに笹原がうめく。
「そうか? 家でやるような小さいやつよりも焼きやすかったけど」
彼が洗った皿を拭きつつ、僕はつい数十分前のことを思い返す。
使ったたい焼き器は、当たり前だが家庭用のものではなく、業務用。試し作りは当日の練習も兼ねているので、生地担当も含めて調理班全員が一度は焼くことになった。
そして、さすがは業務用のたい焼き器だった。家庭用のたい焼き器よりも大きく、火力も強いのでしっかりと焼ける。右に左にと、ひっくり返す時なんかは少し楽しいくらいだった。
あんまり難しい要素はなかったような気もするが、笹原はとんでもないというふうに首を振った。
「焼きやすさはな。でもあんこをはみ出さないようにするには最初の生地の入れ方が重要だし、クリームとかあんこより難しいし……」
「こ、こだわってるんだな」
まるでたい焼き奉行のような語り口調に、思わず苦笑する。たい焼き、ましてや業務用のもので焼いたことなんてないだろうに。
「まぁな。姉さんも呼びたいし、その……良いやつ食べさせたいじゃんか」
朝の仕返しにちょっとからかってやろうか、なんて思っていると、彼は唐突にそんなことを言った。こいつ……
「……ははっ、やっぱ姉弟だな」
「え? なんて?」
「なんでもねーよ」
もはやいじる空気でもなく、僕は皿拭きを再開した。
いつもはあれやこれやと言い合いをしては、どうにも憎たらしいことばかり。
でも、心の底では大切に思っていて、何かあれば助けたくて、特別な日には喜んでもらいたくて。
本当に懐かしくて、羨ましい限りだ。
「へぇ〜、お姉さん想いだね!」
「うぇっ⁉︎」
「へっ⁉︎」
柄にもなく感慨に浸っていると、不意に明るい声が耳元で聞こえた。反射的に振り返ると、そこにはエプロン姿の光里が、笑顔を浮かべて立っていた。
「ども! 二人も後片付け?」
「そ、そうだけど」
あーびっくりした。皿落とさなくて良かった。てか、絶対今のわざとだろ。
「ねぇ……今の俺の話、聞いてた?」
呆れつつも心を落ち着けた僕とは違い、笹原の顔はさっきよりも数段赤く、引きつっている。しかし、光里は気にするふうもなくパッと目を輝かせて大きく頷いた。
「うん、もちろん! さすが笹原くん、優しいね!」
「わ、わ、忘れてくれーー!」
笹原はさらに耳まで赤くすると、後で捨てるつもりだったゴミを引っ掴んで一目散に家庭室を飛び出していった。
「……私、何か変なこと言った?」
「姉弟がいればわかる」
彼女に悪気はないんだろう。でも、シスコンとか思われたくないし、何より人に指摘されるととにかく恥ずかしいのだ。
「そ、そうなんだ……後で謝っておかないと」
「いやそこまでする必要はない」
「へ?」
「まぁ、難しいんだよ。それより、何か用があったんじゃないのか?」
とりあえず、洗った皿まで拭き終わってから、僕は光里に向き直った。すると、今度は光里が驚いたように目を丸くした。
「え、なんでわかったの?」
「え、いや、なんとなく?」
言われて僕もハッとする。そういえば、なんでわかったんだろう。
「ふふっ。なんでわかったのー?」
「お前は、また……!」
笹原に向けたのと同じ笑顔に、次は僕の番かと身構えた、その時だった。
「――天之原! ちょっといいか?」
聞いたことのある声が、家庭室に響いた。
ハリのある、それでいて爽やかな声。
この声は、確か……
「え? うん、わかった。それじゃあ、また後でね!」
「あ、ああ……」
光里は僕に軽く手を振ると、声をかけた男子の元へ走っていった。そしてそのまま二言三言話すと、徐に家庭室を出て行く。
「そうか。あの時の……」
パタンと閉まった家庭室のドアを、呆然と見つめる。
僕は、あの夕暮れ時の屋上での出来事を、思い出していた。
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