第28話 不安の影
光里と買い物をしてから、一週間が経った。
あれからの彼女は、驚くほどいつも通りだった。
「おっはよー!」
生徒玄関をくぐるなり、バシッと僕の肩を叩いてくる。その絶妙な力加減も、一際明るい声色も、何もかもがこれまで通り。
「だから毎朝叩くなって。そんなに叩かれると僕の肩が凹む」
だから僕もいつも通り軽口を返して、
「じゃあ凹む前に挨拶してよー。ずっとずっと待ち続けてるのにー」
彼女もそれに答えてくる。
本当に、いつも通り。「また朝から……」と呆れ顔で見てくる笹原も変わらない。
そんな日々が一週間も経ち、あの、僕が見たことのない光里は、影も形もなくなっていた。
光里には、僕にはない不思議な力がある。
それは、変えようのない事実だろう。この目で見たから間違いない。
もしかすると、その力のせいで、何か過去に辛い思いをしたのかもしれない。
そしてそれが、あの時の状況とひどく重なっていたのかもしれない。
でも、だとしたら。
辛い過去と結びつくような、そんな力だとしたら……
彼女はなぜ、僕に生き返らせたい人なんて、聞いてきたんだろう。
「ほーら、行くよー!」
ペシッと頭を軽くはたかれる。
夏の陽射しのような、変わらない眩しさを振り撒く彼女を眺めながら、ぼんやりと僕は考えていた。
***
夏が本格化し、蒸し暑さが漂う昼休み。
いつものように笹原や光里と弁当を食べ終わると、光里は文化祭の準備があるとかでそそくさと教室を後にした。
文化祭まで残り三週間弱。
準備も段々と忙しくなり始め、担当によっては昼休みも少しずつ仕事をするようになってきていた。
「陽人はいいのか?」
下敷きでパタパタと顔をあおぎつつ、笹原はチラリと僕に視線を向けてきた。
「あぁ。今日の昼は打ち合わせないからな。明日はなんかあるらしいけど」
折衝担当は、他のクラスとの物品の調整も行わないといけない。その関係で、時々昼休みに会議が行われていた。
「折衝も大変だな〜」
「全くだよ。代わらないか?」
「いんや、遠慮しとく」
「だよな」
蝉時雨が遠くから響く中、そんな雑談を続けていると、不意に笹原があおぐ手をピタリと止めた。
「そういえばさ」
「ん?」
「俺の姉さんが、最近やけにご機嫌なんだよ」
「お、おう?」
突然出てきた美咲さんの話題に、どきりと心臓が跳ねた。
「なんか知らない?」
再びパタパタと下敷きを動かしながら聞いてくる笹原。そこには疑いの色も、何かを伺うような素振りもない。
これは別に何か知ってるわけじゃなさそうだな。
彼の様子に安堵しつつも、墓穴を掘ってはサプライズがパーだ。平静を装うためパックジュースを一口飲んでから、慎重に言葉を選ぶ。
「んー……てか、知ってるわけないだろ。僕が笹原の姉さんに会ったのはこの前が初めてなんだぞ?」
「まぁ、そりゃそうだよな」
僕の言葉に納得したのか、彼はそれだけ言うと体重を後ろへと傾けた。その動きに合わせて、イスの前足がふわりと宙に浮く。
「ご機嫌って、どんな感じなんだ?」
「んー、なんかさ」
話しながら彼は器用にバランスを取り、シーソーみたいにイスを揺らす。
「一ヶ月前から修学旅行を楽しみにしてる中学生、みたいな」
「なんだそりゃ」
笹原の言葉に、僕は危うく吹き出しそうになった。
美咲さん、態度に出過ぎだろ。
笹原の誕生日サプライズに向けてあれこれと準備しつつ、鼻歌混じりに待つ美咲さんが容易に想像できた。
「まぁなんか、楽しみなことでもあるんじゃねーの」
「んーまぁそうだなー」
どうにか吹き出すのを堪えた僕の返事に、笹原も適当に相槌を返してくる。
キーンコーン、カーンコーン。
そこで、昼休み終了の予鈴がいつものように校内に響き渡った。
「そろそろ行くか。次、移動教室だし」
「あぁ、そうだな」
どちらともなく椅子から立つと、必要な教材を小脇に教室の入口へ向かう。
「あんまり、無理しないといいんだけどな」
彼が何気なく放ったこの時の言葉を、僕はもう少ししっかりと、聞いておくべきだったのかもしれない。
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