第27話 生きることと、死ぬこと


「光里?」


 突然立ち止まった彼女に呼びかける。


「……」


 だけど、返事はない。その瞳は、まるで縫い止められたかように、手入れの行き届いた茂みへと向けられている。


「おい、光里?」


「…………メ」


 もう一度名前を呼ぶと、微かに彼女の口が動いた。


「え?」


「スズメが……死んでる」


 力のない動作で、彼女は一点を指差した。その先には、植え込みの隙間に横たわる一羽の雀が倒れていた。


 光里はゆっくりと腕を下ろし、代わりに止めていた歩みを再開した。

 だけど。向かう先は、ショッピングモールとは全くの逆方向。

 店の敷地と外を隔てるようにして植えられた草花へと歩を進めている。その足取りはどこかふらついていて、明らかにいつもの光里ではなかった。


「お、おいっ!」


「……」


 僕の制止する声も無視し、光里はさらに雀へと近づいていく。そしてすぐそばまで来ると、ゆっくりとしゃがみこんだ。


「……まだ、生きてる」


 か細い声が聞こえた。

 また、これまで聞いたことのない声だった。

 堪らず僕は小走りで彼女の元まで行き、その肩を掴んだ。


「おい、光里。お前顔色悪いぞ? 大丈夫か?」


「……うん。今の私なら、大丈夫だよ」


 こちらを振り返ることなく、光里は答えた。どこかひっかかる言い方。本当に、どうしたんだ。


「それより、スズメ……まだ生きてたよ」


 その声に促され、彼女と同じように植え込みの隙間に目を向けた。

 青々と茂る、名前も知らない草木の列の下方。日陰となった数センチ程度の隙間に、弱々しく羽を震わせながら小鳥が横たわっていた。


「みたい、だな」


「どうしてこんなところに……」


 光里が徐に右手を伸ばした、その時。



 ――バササッ!



 小刻みに震えていた羽が、一際大きくはためいた。

 微かな土埃を巻き上げ、雀はその場から飛び立とうと懸命に羽を動かす。予想外に力強い動きに一瞬安堵しかけた僕だったが、一向に浮かぶ気配はなく……


「だ、ダメだよっ!」


 小さく叫びながら、光里はさらに手を伸ばした。しかし、雀はその白い指先から必死に離れようと羽を動かし続ける。


「おい。多分、怖がってるんだ。手、一回引っ込めろって」


「あ……」


 僕の声に、彼女はサッと手を引いた。すると、それに呼応するように雀は羽の動きを止め、再び地面に身体をつける。


「そっとしておいた方がいい。僕たちじゃ、どうにもできないよ」


 雀は特に目立った外傷もなく、単純に弱っているみたいだった。野生の動物を病院に連れて行くわけにもいかず、結局僕たちにできることはない。


「……でも、私は……」


 光里は、先ほどまで伸ばしていた手を胸の前で抱えていた。何かを押さえつけるように、左手で右手を固く握りしめている。


「光里?」


「……」


 何も、答えない。彼女はただ茫然と、力なく横たわる雀を眺めている。


 本当に、どうしたのか。

 彼女は、光里は、いったい何をそんなに……


 そこで、はたと気がついた。


 ここしばらく見ていなかった、光里の不思議な力を。


 もしかすると、光里は死にかけた生き物にも生命力を戻すことができるのではないか。



「なぁ光里、もしかして……」



「陽人は、どう思う?」



 頭に浮かんだことの真偽を聞こうとした時、彼女が唐突に言葉を発した。


「え?」


 反射的に、聞き返す。


「陽人はさ、人を……生き物を生き返らせることって、いいことだと思う?」


「え」


 また、反射的に声が漏れた。


 だけど。今度は、驚愕だった。


「生き物は……死があるからこそ、こうして頑張って生きようとする。少しでも死に抗って、今を懸命に生きようとするの。なのに……」


 視線を交わすことなく、彼女は言葉を吐いた。それはとてもか細く、これまで聞いたことがないほど、弱々しかった。


「ひか、り……」


 僕は、すぐには答えられなかった。


 初めて、生き返った人のニュースを見た時。女優の一ノ瀬優子の蘇生についての記事を読んだ時、僕は思った。



 いつか必ず死ぬからこそ、生きることに責任が出てくる、と。


 死んだら絶対生き返らないからこそ、死ぬことに意味が出てくるのだと――。



 その考えは、今も変わらない。だけど……


 今の彼女に、そんなことを言う気は微塵も起きなかった。



「……ごめん。あなたに言うことじゃ、ないよね…………行こっか」



 充分すぎる間を置いてから、彼女はゆっくりと振り返った。

 その顔には、どこまでも完璧な、眩しい笑顔があった。


「光里……あのさ」


 何も思いついていないのに、口だけが勝手に開く。どうしてか、自分でもわからない。


「ごめん。今は、何も聞かないで」


 表情と合っていない声色で、彼女はそれだけを言った。




 それから僕たちはほとんど話すことなく買い物を終え、学校の最寄り駅で別れた。

 

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