第25話 青色の空の下で


 美咲さんのお見舞いに行った翌日。

 今度は病院ではなく、ショッピングモールへと来ていた。


「ふぅー……」


 病院ほどじゃないが、人の多いところも苦手だ。このまとわりつくような視線や、ほとんど聞こえないのに僕のことを話しているのがわかるひそひそ声。本当に、この世の中は暇人が多いんだな。


「そういや、文化祭大丈夫かな」


 気分を紛らわしたくて、小さく独り言ちる。

 一応、放課後の準備は今週から始まっている。そしてその初日である昨日に引き続き、今日も用事があるからと抜けてきていた。笹原には渋い顔をされたが、光里とちょっと行くところがあると言ったら快く送り出してくれた。……実に不本意ではあるけれど。

 それに、文化祭の準備が本格化するのは来週からだ。今週は集まれる人だけが集まり、できるところから少しずつ進めるというスケジュール。渉外の仕事も、相手の光里がいないので特にすることもない。

 なんとかなるか、と思考を打ち切り、スマホの画面へと視線を落とした。


 時刻は十六時半。ちょうど、待ち合わせの時間だ。

 光里は何やら別の用事があるらしく現地集合となったが、まだ姿は見せていなかった。


「なにやってんだ、あいつ」


 メッセージアプリを起動してみるも、特に連絡はない。まぁ僕とは違い、学級委員やらなんやらと忙しいらしいので遅れているだけなんだろう。それに、ちょっと気がかりなこともあるし……


「ごめーん! 待ったーー?」


 ぼんやりと始まっていた考え事をかき消すような声が耳から脳へと響いてきた。相変わらず澄んだ声してるよな、なんて無意識に思ってしまう。


「いや、今来たとこ」


「そっか……あ! 今のってなんか、恋人っぽくない⁉」


「いやどこが?」


「もう。わかってるくせにー」


 少し前に屈み、悪戯っぽく笑う光里。白い歯がちらりと顔をのぞかせ、艶やかな髪が肩口から滑り落ちる。恋愛に疎い僕から見ても、やっぱり光里の顔は整っていると思う。


 そして。


 恋人、という言葉に、消えかけていた思考が再び形を帯び始めた。


「なぁ」


「ん? なに?」


「その……放課後に僕なんかと買い物に来てさ、大丈夫なのか?」


 花火祭りに行く前。

 光里を誘おうとして向かった屋上での出来事が、脳裏に浮かんだ。


 あの日、光里は確かに告白されていた。

 夕日が映える学校の屋上で。

 聞いたことのない爽やかな声の男子から。


 そして、それに嬉しそうに答えていた光里の耳馴染みのない声も、覚えている。


「どういうこと?」


 全くわからないといったふうに、彼女はこてんと首を傾げた。


「いや。ほら……」


 今さらながら、言っていいのだろうか。いやでも、ここまで言っちゃったしな。


「前に、告白されてたじゃん? 屋上で。だから、その……彼氏とかいるなら、来ない方がいいんじゃないかな、って……」


 なるようになれ、と僕は勢いで聞いていた。言ってから、また気まずい雰囲気になったらどうするんだという声が脳内で聞こえたが、もう遅い。

 左上の何もない空中に留めていた視線を、恐る恐る光里の方へと向ける。そこには……――


「……ぷっ。アハハハハハッ!」


「へ?」


 お腹を抱えて大爆笑する、光里がいた。


「アハハハッ! そ、そんな神妙な顔で、アハッ、何を言い出すのかと思えば……アハハッ!」


「笑い過ぎだろ」


 言いようのない苛立ちがむくむくと湧き上がる。なんだかそれを自覚したくなくて、僕はまた目を逸らした。その先には、数分前と変わりない青空が広がっている。


「ご、ごめんごめん、アハハハッ。けど、心配してくれたんだよね。ありがとう。でも、断ったから大丈夫だよ。全然ヘーキ」


「え?」


 ゆっくりと流れていく白い雲に視線を這わせる前に、それは瞬く間に彼女の瞳へと吸い込まれた。


「いや、ウソだろ。あんなに嬉しそうにしていたのに」


「陽人はどこまで見てたの? のぞき見なんて感心しないなー。でも、ウソじゃないよ?」


 軽蔑を指す言葉とは裏腹に、光里はどこか嬉しそうに笑った。その笑顔がやたらと眩しくて、僕は再三見ていた空へを目線を戻す。その色は変わりなく、どこまでも深い青をしていた。


「ふーん。まぁ、ならいいけど」


「なになに? 私がとられちゃったと思った?」


「思うわけないだろ! アホ!」


「あー! アホとはなんですか! アホとは!」


「そのままの意味だ!」


「なにを!」


「なんだよ!」


 だけど。その青はさっきよりもずっと広く、澄んでいる気がした。

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