第3章 迷いと、ためらい

第23話 計百十二通のお願い


 花火祭りが終わり、翌週の月曜日の放課後。


 天気は快晴、気温も快適の良き一日に、僕の心は憂鬱な気持ちでいっぱいだった。


「はぁー……」


 自然とため息が出る。これならまだ、文化祭の準備をしていた方がマシだった。しかし、ああもお願いされては来ないわけにはいかない。

 僕は重い首をどうにかもたげ、目の前の建物を見上げた。


 日の光を受けて真っ白に輝く外壁。

 青空が映り込んだ、やけに小綺麗な窓たち。

 僕の記憶が正しければ、確か五階建て。

 そのそびえ立つような居様は、僕の心を沈ませるのに十分だった。


「はぁーー……」


 ダメだ。帰りたい。

 沈み込んだ心のせいか、なんだか胃まで痛くなってきた時だった。


「あれ? 陽人?」


 ふわりと涼しい風に乗って、緩やかな声が聞こえた。


「え? 光里?」


「奇遇だねー! こんなところで会うなんて!」


 陽人もお見舞い? と、爽やかな笑顔が僕に向けられる。その笑顔を見ているとこっちまで笑いかけたくなってくるが、ぐっと堪える。……単なる意地で。


「まぁ、そんなところ」


 努めて素っ気なく言うと、僕は改めて視線を上へと向けた。目立つように浮き出た六文字を、無意識に頭の中で読み上げる。



 飛田総合病院。



 ここら辺で一番大きな医療機関で、僕が最も苦手とする場所。


 原因はもちろん、あの事故だ。


 姉と一緒に運び込まれ、同じように手当てを受け、同じように入院していた。


 そして、僕は生き残り、姉は死んだ。


 姉の最期を見届けた場所。


 あれから時間は随分と経っているので、心の準備をしていけば別になんということはない。


 ……けれど。


 やっぱり僕は、が苦手だった。



「もう、相変わらず無愛想だなぁ。もっと愛想良くしないと、モテないよ?」


 そんな僕の心境など知る由もなく、光里はニヤニヤと笑いながらからかってきた。


「いや、モテたいとか思ってないから」


「ほら! それだよー!」


「それとは?」


「その素っ気なさ!」


 ピシャリと言い放つ光里に、僕は苦笑した。こういう時の光里は相変わらずだ。


 弾けるほど元気いっぱいで、素直で、真っ直ぐ。


 本当に、僕とは対照的だ。


 そんなことを考えながら話半分に聞いていると、やがて光里は諦めたように首を横に振った。


「もうー。まぁ、いいや。それじゃあ、私は美咲さんに用があるから、またね!」


「え?」


 右から左へと聞き流していた言葉が、途端に耳の奥で動きを止めた。


「え? なに?」


「いや僕も、美咲さんに用があるんだけど」


 そう。僕が好き好んで行くはずもないこんな所にわざわざ足を運んでいるのは、美咲さんから怒涛のように「来て来てメッセージ」が送られてきたからだった。


 花火祭りの後、その時に撮った写真や動画を共有しようと、笹原はグループチャットを立てていた。そこには僕と光里の他に美咲さんも入っていたので、確かに個人チャットもできるようになったが、まさか翌週に三十通も送ってくるとは思ってもみなかった。


「もしかして、陽人のところにもメッセージの嵐が……?」


 僕の表情で察したのか、今度は光里が苦笑いを浮かべた。


「まぁ、な。三十通くらい。光里は?」


 ぎこちない笑みを浮かべる様子から、おそらく光里のところにも同じくらい来ているんだろう、くらいに思って何気なく聞いてみたのだが、


「は、八十二……」


 想像以上の数だった。


「いや、多すぎだろ」


「ま、まぁ……最初の方はこの前の花火祭りの写真とかもあったし? 一文一文は短いチャットだし。ふ、普通……なんじゃ、ナイカナ?」


「いや喋り方」


 明らかに棒読みというか変な口調になっている光里にツッコミを入れる。


「シャベリカタ?」


「それだよ」


 さらにツッコミを入れつつ、ふぅ、とため息をつく。


 これは、また面倒なことになりそうだな。


 花火祭りであれこれと笹原が振り回されていたのを思い出しながら、僕の心の中にはささやかな不安が渦巻き始めていた。


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