第20話 だーれだ?


 結論から言えば、僕は光里に謝ることも、花火祭りに誘うこともできなかった。


 彼女の顔を見る度に、この前偶然聞いてしまった告白やら、未だにくすぶり続ける疑念やらがちらついて、今まで以上にまともに接することができなかった。そんな僕を見かねてか、笹原が花火祭り前日に光里を誘ってくれていた。


「なにがあったか知らねーけど、自然消滅したら元も子もねーぞ」


 なぜか彼は、ケンカしたカップルに対するアドバイスのような文言を僕に言った。そして祭り前日の別れ際、


「もう一人だけ連れて行きたい人がいるから、それだけよろしく!」


 と一方的に要求を述べると、僕がなにか言う間もなく自転車で走り去っていった。


「なんなんだよ、あいつ」


 彼のしつこいお節介や意味深な要求への疑問は一日寝ても消えず、結局花火祭り当日の今に至るまで残っていた。


 もやもやとした思考のまま、僕は待ち合わせ場所である公園へと向かっていた。その公園から花火祭りの会場までは徒歩十分くらいで、この時期は集合場所として使っている人が多い。今歩いているこの道も人通りがいつもより多く、見つけるのに苦労しそうだなぁなどと思いながら、僕は公園に向かうルート上での最後の角を曲がった。


「おーい! こっちこっち!」


 公園前は予想通りかなり混んでいたが、意外にも笹原の姿はすぐに見つかった。五十メートルくらい先の街灯の下で、大きく手を振っている。


「早いな」


 集合時間まで、まだ十分以上ある。笹原の姿が見えたときには遅れたのかと思ったが、時計を見ると全然余裕だったので、この五十メートルはたっぷり二分ほどかけて歩いた。


「おせーよ。十五分前集合が基本だろ」


 僕が街頭下まで来ると、彼はゴリゴリの運動部のようなことを言った。


「僕は帰宅部なんでね」


 陸上部、というか運動部はいつも十五分前集合をしているのだろうか。だとしたら、集合時間の意義とは……。


「まぁいいや。これで、全員揃ったかな」


「え? もうひとり連れてくるって言ってた人と……その、光里は?」


 辺りを見渡すが、祖父母を連れ立った家族連れやどこかの町内の集まりと思しき集団、あとは僕たちと同じように友達と待ち合わせをしていそうな人ばかりで、それらしき人も光里もいない。

 もしかして都合が悪くなったとか、光里に関してはやっぱり僕に会いたくないとか、そういうことだろうか。

 そんな思考が渦巻きかけたとき、



「だ、だーれだ?」



 急に真っ暗になった視界に、目を覆いかぶせる温かな感触。そして、聞き慣れつつも最近あまり聞いていなかった声。


「……ひ、光里」


「あ、あたり~……」


 気弱げな、というか気まずそうな声で光里はそう言うと、そっと手を僕の目の前から外した。視界が戻り、めちゃくちゃにやにやしている笹原の顔が見えた。


「笹原、お前な……」


「え? あ、違う違う! 俺じゃない!」


 なにやらせてんだと詰め寄る前に、彼は取り繕ってきた。かと思うと、「後ろ後ろ!」としきりに僕の後方を指差している。

 こんなこと考えるのは笹原しかいないだろと思いつつ、僕は振り返った。



「いや~、面白いものが見れたわ~。初々しい光里ちゃん、可愛いな~」



 そこには、顔を赤らめてモジモジする私服姿の光里と、のんびりとした口調でそう話す車椅子に座った女性がこちらを見ていた。


「え?」


 笹原に向いていた苛立ちが、霧散していく。代わりに、この人誰? という最もな疑問が頭の中に浮かんだ。


 目の前の女性は、明らかに年上だった。たぶん、最低でも五、六歳は離れている。茶色っぽいセミロングの髪に、白のトップスと水色のロングスカートという落ち着いた服装。車椅子に座っているので身長はわからないが、比較的小柄なようだ。


 でもそんなことより、さっきまで見ていた笹原のにやけ顔とそっくりな笑みを浮かべていることのほうが、僕にとってははるかに重要だった。


「あの、もしかして……」


「ん? あ~、そういえば自己紹介がまだだったね」


 にやにやした表情を戻すためか、コホン、と彼女はひとつ咳払いをした。


「いつも弟がお世話になってます〜。幹也の姉の美咲でーす。気軽に、美咲さんでも美咲ちゃんでもミッキーでもいいので呼んでくださーい」


 おっとりとした口調のまま、その女性は頭を下げた。

 呆然としていた僕だったが、顔をあげた彼女と目が合い、慌ててお辞儀をした。


「こ、こちらこそ。橘陽人と言います。よろしくお願いします」


「お! 礼儀正しいじゃーん。幹也とは大違いだ」


「うっせーよ! 俺だって初対面の人に挨拶くらいしてるわ!」


「ほんとかな~」


 顔をあげるまでの数秒間に、なにやら姉弟の言い合いが始まった。通りかかる人がチラチラとこちらを見てくるが、二人はお構いなしといったふう。その様子は、なぜか昔の自分と姉を見ているみたいで、少しだけ羨ましかった。


「あ、あのー……」


 と言っても、このまま見ているわけにもいかないので、おずおずと声をかける。すると、二人はタイミング良く同時にハッとした。


「やっべ、またムキになってた」


「いや~ごめんごめん」


 兄妹仲良く取り直すと、ふと美咲さんは僕の目をジッと見つめてきた。



 …………。



 たっぷり、三秒くらい。



「えっと、なにか……?」


 わけも分からず、僕は聞いた。


「ううん、ごめんね。橘陽人くん……か。うん、よろしくね~」


 視線を外すと、美咲さんはにっこりと笑った。


「さっ、張り切ってお祭りを楽しもう~!」


 ほらほら、と美咲さんは笹原に車椅子の後ろを押すようにせがんだ。笹原はぶつぶつ言いながらもタイヤ周りを確認し、車椅子を押し出す。


 そんなこんなで、僕たちの花火祭りは始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る