第19話 また今度……


 僕の通う学校は、原則として屋上への出入りは禁止されている。ちなみに、屋上の鍵が壊れていて……といった映画やドラマなんかでよくある展開ももちろんない。身長の三倍はある転落防止柵に、極太の南京錠という徹底ぶりは、青春殺しだとかなんだとか言っていたやつが身近にいた気がする。


 しかし、この文化祭の時期だけは、特別に鍵を借りて準備のために入ることが許されていた。垂れ幕や横断幕、その他広い場所が必要な作業など、どうしてもそこでしかできない準備があるからだ。

 光里はこの手のイベントごとが好きで、さらには学級委員でもある。おそらく何かの準備で屋上に用があるのだと、僕は思い込んでいた。


 だから。さっき見た光景は、僕の想像の斜め上をいっていた。


 *


 僕は、屋上へと続く階段を足早に昇っていた。

 まさか光里が友達に僕のことを話しているとは思ってもみなかったし、ましてやあんなふうに僕のことを言っているなんて予想だにしていなかった。実際に僕が寂しがり屋で優しい人なのかは脇に置いておくとして、そんな評価をしてくれていることは結構悔しくて、若干文句を言いたくて、少しだけ嬉しかった。

 だから、僕の勝手な想像でこんな状態になっていることがすごく申し訳なかった。


 早く謝りたい。会って謝って……さっきの評価に異議を申し立てたい。


 そんなことを考えながら、僕は屋上へと続くドアの前に辿り着き、ドアノブに手をかけ、回した。

 閉まっていたドアが少しずつ開いていき、暗い階段室に黄色い太陽の光が溢れていく。



「天之原。俺は……天之原が好きだ!」



 ドアにかけていた力を、反射的に緩めた。階段室でどんどん太くなっていた光の線の膨張が止まる。


「えっと……なんで私?」


 その声は、屋上から聞こえていた。声の大きさからして、多分ドアを開けてすぐのところ。

 僅か数メートルの距離のところで、光里が告白されていた。


「一緒にいて、楽しいから。いつも話しているときすごく楽しいし、安心する」


 その声は聞いたことがなかったけど真っすぐで、すごく爽やかだった。


「……そっか、ありがとう。その気持ち、すごく嬉し――」


 パタン、と音がしないようにそっとドアを閉めた。

 くっきりできあがっていた太陽光の輪郭が、一瞬でなくなる。それと同時に、聞こえていた二人の声はどこかくぐもった感じになり、内容も聞き取れなくなった。

 そのまま僕は屋上に上がることなく階段を降り、教室で荷物をまとめると生徒玄関に向かった。


「文化祭の準備じゃなくて、告白の呼び出しだったのかよ……」


 気持ちがまた口から漏れた。

 別に好きだとかそういう感情は抱いてなかったのでショックということはなかったが、なぜか心のどこかがモヤモヤとしていた。


 さっき告白していた男子は誰なんだろう。声は聞いたことがなかったから、僕のクラスではない。いつも話しているとか言ってたから、光里と同じクラスの男子だろうか。

 光里の声も、今まで聞いたことのない高さというか、トーンだったな。あれが嬉しいときにみせる彼女の声なのだろうか。


「おっ、陽人! 珍しく遅いな、今帰るとこ?」


 そんなことを考えていると、よく知った声が廊下に響いた。振り返ると、学生カバンと運動バッグを担いだジャージ姿の笹原が、大仰に手を振っている。


「そういう笹原は早いな。部活、もう終わったのか?」


「いや、今日は早上がりさせてもらっただけ。病院行きたいから」


「ふうん」


 おそらく、この前言っていたお姉さんのお見舞いだろう。あれから何度か話に出てきていたし、特段それ以上聞くことはせずに僕は返事だけをした。


「……天之原さんのことでなんかあった?」


「え?」


 予想外の切り返しに、思わず間抜けな声が出た。「あったんだ」と、弁解する暇もなく彼は僕の顔を見据える。


 これは、言い逃れできそうもないな。


 このことを誰かに言うのは気が引けたが、なぜか聞いてもらいたい気持ちもあったので、事の顛末を言おうと僕は口を開いた。


「あっ、わかった! 花火誘えなかったんだろ?」


 一文字目を発する前に、彼が自身の推測を得意げに披露した。


「……」


「え? 違う? んー……ならあれだ! 誘ったけど断られた! …………え、そんなことある?」


 今度は一人で指摘して、一人で落ち込んでいる。その様子は、なんだかおかしくて。


 まぁ、いいか。


 さっきまであれこれ考えていた自分が、急になんだかばかばかしく思えてきた。開いていた口を一度閉じ、僕は小さく笑み浮かべる。


「いや、そもそも光里を見つけられなかったんだよ。また今度誘うことにするわ」


「そんなバカな。いやでも……え? あ、なんだ、そういうことか」


 ぶつぶつ言っていた彼は僕の言葉に納得したようで、ほっと胸をなでおろした。


 うん。また今度、誘えばいい。


 僕は心の中で、そう自分に言い聞かせた。

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