第18話 心の変化


 文化祭の準備をそこそこにしつつ、授業もそこそこに受けつつ、今日もなんとか放課後を迎えた。

 文化祭の居残り準備や部活、塾などそれぞれの用事を抱えて教室を出ていく生徒たちを追い越し、僕は隣のクラスへと急いでいた。


 くっそー、まんまと口車に乗せられたな、これは。


 一限後の笹原とのやり取りを思い出す。一瞬でも、いいかもと思った自分がなんだか恥ずかしくなってきた。


 *


 一限目の後、僕は教室に戻り、文化祭実行委員に先生から受けた説明や今後のスケジュールを諸々伝えると、すぐに笹原のところへ直行した。


「おい、さっきのはどういうことだ?」


「いや、どうもなにもそのままの意味なんだが?」


 ダンボールで作った模擬店の看板を片付けつつ、笹原は得意げに笑った。おちょくっている感じはないので、面白半分本気半分といったところか。


「普通に話せてもいないのに、いきなり花火なんか誘っても来るわけないだろ」


 これまで避けられ続けた相手から、いきなり花火に誘われたらなんと思うだろうか。明らかに不自然だし、気まずくなるのは目に見えている。僕なら、ほぼ確実になにかしらの理由をつけて断るだろう。しかし笹原はなにやら自信があるらしく、チッチッチと立てた人差し指を左右に振った。


「そうでもないぞ。この前のボランティア遠足でのこと、思い出してみろよ」


「はぁ?」


 あのボランティア遠足がきっかけでこうなっているんだが。


「ほら、アイス食べながら話したじゃんか」


 アイス、という言葉でやっと僕にも見当がついてきた。


「ああ、あれか。笹原が強引に決めたやつか」


「おい。三週間先を見通した妙策と言ってくれ」


 わけのわからないことを言う笹原を放置し、僕は土手でのやり取りを思い返した。

 確かにあのとき、光里はかなり行きたそうにしていた。彼女の性格を考えても、こういったイベントは好きなのだろう。それに笹原から改めて誘われたとでも言えば、光里は彼とは特にしがらみもないので大丈夫かもしれない。

 そんなことを考えていると、プラスチックのスプーンを口にくわえながら返事をし、小学生のように勢いよく手を挙げる光里を思い出し、思わず笑みがこぼれそうになった。


「おい、なにニヤニヤしてんだよ。気持ち悪い」


「う、うるせー!」


 顔に出ていたのか。

 込み上げる羞恥心を無理矢理抑えつつ、放課後にでも誘ってみようかなと僕は思った。


 *


 そして時間は過ぎ去り、放課後。

 冷静になって考えてみると、やっぱり無理なんじゃないかという気がしていた。


「ふぅー……」


 一瞬の気の迷いとは言え、ここまで来たらもう引き返せない。他クラスの女子を呼ぶ気恥ずかしさと、これまで溜めに溜めた気まずさが絶妙な混ざり具合で押し寄せていた。


「あのー、ひか……じゃなくて、天之原さん、はいますか?」


 おっかなびっくり教室のドアの近くにいた男子に話しかける。一限目のときに普通に呼んだ光里はすげぇなと、心から感心した。


「んー、ちょっと待っ……ひっ⁉」


 目が合うと、相手の顔が引きつった。そこで僕は、自分の異常な様相のことを思い出した。


「ごめん。びっくり――」


「あ、天之原なら、今はいないみたい! じゃ、じゃあ、俺は用事があるから」


 こわばった笑みを浮かべ、その男子は逃げるように教室を出ていった。


 失敗したな、と思った。


 今までの僕なら、こんなふうにいきなり話しかけることはしなかった。遠目から教室内を眺め、中にいないことを自分で確認して去っていただろう。そもそも、隣のクラスに行こうとすら思っていないかもしれない。

 もちろん、顔にあるやけどの痕を忘れていたわけではなかった。毎朝鏡で見ているし、街中を歩いていたり電車に乗っていたりすると必ずじろじろ見られるので、忘れたくても忘れられるわけがない。


 でも、以前に比べて最近は気にすることが減っていたのも事実だった。

 朝起きてから登校するまでにうんざりしても、毎朝光里が意味のわからないテンションで絡んできて、それを笹原がいじってきているうちにどこかに吹っ飛んでいた。教室で変な目で見られても、その日の昼休みに二人とご飯を食べ、くだらない話をしているうちにどうでもよくなっていた。


 そして。二人から絡まれることそのものも、満更でもないと思っている自分が、心のどこかにいた。


 そんなことに、最近薄々と気がついていた。


「まぁ、仕方ないよな」


 以前なら声に出さない感想を、そっとつぶやく。なぜか、そうしたくなった。

 さっきの男子とのやり取りを、クラスの何人かがなにやらひそひそ話しながら見つめていたが無視し、とりあえず校内を探そうと僕は光里のクラスに背を向けた。


「あ、あの……」


 そのとき、思いがけず後ろから声をかけられた。びっくりして振り返ると、ボランティア遠足で光里と同じグループだった女子が、物言いたげな面持ちで立っていた。


「え、なに?」


 驚きとさっきのやり取りでの苛立ちで、冷たい声色になってしまった。逃げられるかなと思ったが、彼女は逃げずに僕の目をジッと見ていた。


「えっと、光里ちゃんの友達……だよね?」


 おずおずと言った感じで、彼女は尋ねてきた。


「……そうだけど」


 友達、というワードに、実際はどうなんだろうと内心思ったが、代わりの言葉も見つからないので頷いておいた。


「えっと、光里ちゃんならさっき屋上に上がっていったよ」


「屋上?」


「うん。たぶん、文化祭の準備かなにかじゃないかな」


 僕の異様な顔にもう慣れたのか、話し方は普通の感じだった。


「怖がらないんだね」


 不思議に思って、僕はまた普段なら聞かないようなことを聞いてしまっていた。言葉を全て発してから、またやってしまったと後悔しかけたが、その前に彼女はふふっと小さく笑った。


「だって、光里ちゃんから聞いてたから」


「え?」


「ちょうど今朝光里ちゃんと話しててね、顔だけは怖いけど本当は寂しがり屋の優しい人、って言ってたんだ」


 そう言うと、彼女はまた短く笑った。そして、「今言ったことは秘密にしといてね」とだけ言い残し、お辞儀をして教室に戻っていった。


「……なんだよ、それ」


 僕は不覚にも数秒立ち尽くし、急いで光里のクラスを後にした。足先は自然と、いつの間にか早く、屋上への階段を昇っていた。

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