第13話 賑やかなひと時と、……


「んーっ! おいしいっ!」


 心の底から満足そうな声が空に溶けていく。


「そいつは良かったな」


 不機嫌さを一片も隠すことなくつぶやく。それでも、同じことを思っているのが微かに声色に出てしまっていてどうにも悔しい。


「ったく、陽人もさっさと素直になっちまえばいいのに」


 一足先に食べ終えたその声の主は、まるで他人事のようにごろんと芝生に寝転がった。近くの雑草にとまっていたトンボが、驚いたように空へと飛び立つ。


 僕たちは、「お腹が空いたからあのお店のアイスを食べよう!」という光里の一言と、その伸ばされた指の先にある美味しそうな食品サンプルにつられ、小休止をしていた。

 小休止、といっても目的地はもう数分ほど歩いたところにあり、ほぼ到着しているのようなものだ。だが、どうしてもアイスが食べたいと光里が言い出したので、仕方なしに近くの芝生へと腰を下ろしていた。


 ちなみに、さっきまで少し離れたところに光里の班のメンバーが歩いていたが、今はもう影も形もない。いいのかと聞いたが、光里はむしろこれでいいと首を縦に振った。聞くところによると、どうやらその二人は付き合っているらしく、光里が僕たちと合流する話を聞いてメンバーになったそうだ。おそらく、こんな感じになることを想定して。


「青春してんなー」


 誰に言うでもなく、独り言ちる。

 クラスメイトとグループを作って一緒に出掛けることになったボランティア遠足。その途中にこっそりと二人だけで抜け出し、ゆっくりと歩く。適度な会話と、付かず離れずの距離と、片方の手に感じる確かな温もりを感じながら。


「お? やっぱり陽人もそっちに走ることにしたのか?」


 興味津々とばかりに跳ね起きてくる笹原の額を、押さえつけるように戻した。ぐわっ、というわざとらしい声が、風に乗って後ろへと運ばれていく。


「走らねーよ。というか、やっぱりってなんだよ」


「いやぁ、なんだか走りたそうにしてたから」


「してねーよ」


 明後日の方向を向いた意見を言う笹原に、僕は適当に返事をした。

 確かに、青春を全くしたくないと言えばうそになる。曲がりなりにも思春期の男子高校生であり、そういった気持ちもないわけではない。が、心の底からしたいだろうかと考えると、正直面倒くさいという思いが勝つのは間違いない。


 ……それに、そんなことをしている場合でもないしな。


 正面から吹きつける風に流されるように、空を見上げる。

 雲が風にあおられ、ゆっくりと青空の上を滑っていく。それは、まるで追いかけっこをしているかのように不均等だが、それでいて一定した動きを保っている。僕の心の中にある得も言われぬ焦燥感とは対照的で、見せつけるかのようにのんびりとしていた。


「あ、青春と言えばさ」


 藪から棒に、笹原がパッと立ち上がった。


「毎年七月の頭に花火祭りあるじゃん? ここの河川敷、結構きれいに見えるらしいぞ」


「えっ! ふぉうなの⁉」


 笹原の言葉に、光里はアイスのプラスチックスプーンをくわえたまま勢いよく振り返った。声がスプーンに阻まれ、上手く言えていない。


「んで? それがどうかしたのか?」


 そんな光里の様子を横目に、僕は笹原に聞いた。


「いや、一緒に行こうぜって話」


 当然だろ? というように、ニカッと彼は笑った。

 もちろん、笹原がなにを言わんとしているのかはわかっていた。でも正直気乗りしないし、なにより花火大会や祭りみたいな人がたくさんいるところに行きたくない。かと言って、笹原は理由もなしに断るとなぜかやたらとしつこく、この前も行きたくもないゲーセンやらカラオケやらに連れていかれた。

 どう断ろうか考えていると、隣でアイスを食べ終わった光里がハンカチで口を拭きながら、もう片方の手を勢いよく挙げた。


「はいっ! 行きたいです!」


「よしっ、天之原さんは参加ね。これで俺と陽人を入れて参加者は今のところ三人だな」


「は?」


 僕は行くなんて一言も言ってないぞ。

 笹原の一方的な出欠確認に、僕は抗議の視線を笹原に送った。すると、僕の意思を知ってか知らずか、彼はグッと親指を立てる。


 こいつ、確信犯か。


 ふぅ、とため息をつき、今度は僕が寝転がった。

 こうなると彼は止めようがない。僕自身、断る理由も特に思いついていなかったので、この場は無言を貫くことにした。幸いにも、花火祭りまではまだ時間がある。川から吹く涼しげな風音をBGMに、どんな言い訳で断ろうかと、僕は考え始めていた。




 * *




 心地よい揺れが、僕を包み込んでいた。


 辺りは真っ暗で、窓の外を通り過ぎる街灯の明かりだけが、時々僕の瞼の上を滑っていく。



 ――あら? 寝ちゃったの?



 ――うん、そうみたい。ほんとにもう、さっきまであんなにはしゃいでたのに。



 ――まぁ、今のうちに寝ておいたほうがいいさ。



 懐かしい声が聞こえる。


 いや、ついさっきまで聞いてたんだっけ?


 そんなことを、僕はぼんやりとした頭の中で考えていた。




 直後、目の前が急に明るくなった。


 視界を埋め尽くすような白っぽい黄色から、揺れ動く橙色へ。


 轟音とともに全身の感覚がなくなった。かと思うと、唐突に痛覚がうずきだした。



 目が痛い。喉が痛い。胸が痛い。腕が痛い。足が痛い。痛い、痛い、痛い。


 身体中が、痛い。



 ――待ってて! 必ず、私がっ!



 必死な声の方へ、僕は手を伸ばした。

 ぼやける視界で微かに見える指先が、触れそうで触れない。



 ――もう少し、もう少しだよっ! 陽人!



 名前が、呼ばれた。



 だから、僕も呼ぶ……いや、叫んだ。




 ――お姉ちゃん……助けて……っ!



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