第9話 二人目の生き返り人
石の門の先には、死者の寝床が整然と並んでいた。
ほとんどは同じような大きさだが、中にはやたらと大きいものや逆に小さなものまであり、墓石と一口にいっても多様にあることが見て取れた。
倉森の墓地は、それほど大きくはない。墓石の数もせいぜい四十個程度のこじんまりとしたものだ。
それでも、夕暮れ時の墓地というのはそれだけでなかなかの雰囲気が出ていた。
「誰もいないな」
「お盆でもお正月でもないからね」
光里の声は落ち着いており、もう大丈夫なようだった。
これが亡くなった人に関することでないならば、これまでのお返しも兼ねていじってみたいところだが、内容が内容なだけに触れないでおくことにした。
「でも、数回しか会ったことのない人のお墓の場所なんてわかるのか?」
しかも「おばあちゃんの友達」だ。知っているほうが逆に怖い。
「さすがに知らないよ。だから、これ」
そう言うと、光里は学校の指定カバンからなにやら紙切れを取り出した。
「なにそれ?」
「手紙。その人のお墓の場所が書いてあるの」
がさがさと折りたたまれた便箋を開いていく。一枚目には文字がびっしりと書かれていたが、もう随分と日も傾いているため暗く、はっきりとは見えなかった。
そして二枚目には、手書きの簡単な地図。
「えーっと、三列目の……」
光里は進行方向が上になるよう地図のかかれた便箋を横に傾け、墓石の列を数えていく。
「手前から五つ目。これだ」
黒色や灰色っぽいものが多い中、薄い茶色の墓石の前で止まった。七宮家之墓、と白色の文字が彫られている。
「思ったんだけど、お墓ってその家の家族とか他の人も眠ってるよね?」
そんな状態であの能力を使ったらどうなるのか。
全員蘇る?
まさかまさか。
「あ、そう言われればそうだね」
「え?」
今気づいたみたいな言葉を発した光里に、僕はぎょっとした。
「でも、大丈夫」
「いや、待って待って!」
手を合わせかけた彼女を必死に止める。そんなにたくさん生き返ったりしたら身がもたず、僕が代わりにご臨終することになってしまいそうだ。
「ふふっ、大丈夫だよ」
手をそのまま組み、光里はそっとしゃがみこんだ。
「生き返らせるための条件その二、その三。対象は一つだけで、その対象を指す言葉を心の中で強く想い、唱える」
光里の黒く澄んだ瞳が、まぶたにゆっくりと覆われていく。それが完全に閉じると同時に、胸の前で組まれた両手にぐっと力が入れられた。
そこから先は、つい最近目にした非日常的な光景が広がった。
か細く、しかし確かな強さを帯びた淡い光が、彼女の端々から溢れていた。
前は真昼で日差しも強く見分けにくかったが、今は夕暮れ。その光の存在感は、前の比ではなかった。
でも、明らかに違うところがもうひとつ。
竿石の下部、骨壺が入っているであろう場所から、光が漏れていた。
「え…………うそ、だろ……?」
その光はやがて強くなり、空中に溶け込むように広がっていく。
それでも不思議と眩しくはなかった。周りを見渡すと、ほのかに色が薄くなっていた。まるで、薄い光の膜ができたみたいだった。膜を通して見える空や夕日は、さっきよりもずっと淡々しく、頼りない感じがした。
「なぁ、これって――」
どういうことなんだ?
そう説明を求めようとしたとき、唐突に空が、夕日が、本来の色を取り戻した。
ハッとして、光里の方を振り返る。
もう、それは終わっていた。
そこには彼女と、六十代くらいの見知らぬ女性が立っていたから。
紫紺のニットと、上品な花柄のロングスカートに身を包み、確かな血色を帯びたその顔色は、間違いなく生きている人そのものだ。
「お久しぶりです。七宮さん」
どこか上擦った光里の声が聞こえる。
「え、え? えっと………………」
その女性は状況が呑み込めないらしく、おろおろとしていた。手も微かに震えている。
「光里です。手紙の約束、果たしに来ました」
震えるその手を握り、どこか強い意志のこもった目で光里は女性を見据えた。
「手紙…………あ……!」
その一言で女性は全てを理解したようで、顔から不安の色がスッと消えた。代わりに、
「光里ちゃんっ! 大きくなったわね~」
「わっ」
女性はひしっと光里に抱きついた。その勢いに押され、光里が二、三歩後ろによろける。
「おばさん、またあなたに会えてほんと嬉しいわ~」
「いえいえ。私も、また会えて良かったです」
若干苦しそうにしながらも嬉しそうな光里。
そんな彼女の顔を見ていると、なんだかこっちまで胸が熱くなってくる。
良かったな、光里。
そう、言いたくなる。
でも、それ以外の感情が胸中に渦巻いていることも確かだった。
「それにしても、そっか~。ありがとうね、約束を覚えててくれて」
女性はなにかを思い出すような口ぶりで、そんなことを言った。その言葉に、光里は小さく首を横に振る。
「いえ。だって、あのときは本当に……」
そこで、ハッと気づいたかのように光里は振り向いた。
「え? な、なに?」
急にこっちを見た彼女にびっくりする。でももっと驚いたのは、彼女が焦りのような、戸惑いのような、そんな目をしていたことだ。
「い、いや、なんでも……」
「あら?」
光里の返事に被せるように、女性は声をあげた。
「彼、もしかして光里ちゃんの彼氏?」
「「え⁉ 違いますよっ!」」
あり得ない単語、もといフレーズに、僕たちはきれいにハモった。
僕が光里の……? 冗談じゃない。冗談はその意味不明な能力だけにしてほしい。
そんな僕の心境はどこ吹く風。女性は「あらあら、仲がよろしいのね~」と相手にしてくれなかった。
僕がどう反論しようか迷っていると、七宮さんの手からどうにか逃れた光里が背筋を正した。
「七宮さん、彼は学校で隣のクラスにいる、橘陽人くんです」
「ど、どうも。橘陽人です」
どうやら話を流すことにしたらしい。見た感じ、おばさんたちの井戸端会議で延々と喋ってそうな人なので、僕もそれに便乗することにした。
「あらま~、ご丁寧にどうも。七宮春子と申します」
女性は深々と頭を下げる。さっきまでとは打って変わって、とても丁寧できれいな動作だ。旅館かどこかで働いていたのだろうか。
「それでそれで? 二人は学校でどんな――」
「七宮さんっ! もうひとつの約束はいいんですか⁉」
また話が変な方向に行きそうな七宮さんの言葉を遮るように光里は叫んだ。すると、七宮さんは「あ、そうだったわ! じゃあ、また今度ね~」と足早に墓地の外へと去っていった。
あとに残された僕たちは、お年の割に急激に小さくなっていくその後ろ姿を見送る。
「嵐のような人だったな」
「そうだね」
珍しく、僕たちの意見が合った。
地平線の彼方に沈んだ夕日と交代するかのように、夜の帳が少しずつ辺りに満ち始めていた。
*
「それで、どう? 私のこと、少しは信用してくれた?」
ぽつぽつと点き始める街灯の下を、二つの影がズレたタイミングで通り過ぎる。
「いや、ないだろ」
強めの口調が、夜の闇に響いた。
「えー、なんで?」
「能力についてはまだしも、あんたの人となりとか知らねーし」
「むぅー」
「むくれてもダメだ」
「けち」
「用心深いと言ってくれ」
足元で、踏まれた小枝が子気味良い音を鳴らす。
「でもまぁ、そうだよね。そんな簡単に信用してちゃダメだよね」
蹴られて飛んだ石が、どこかで小さく水音を立てた。
「私、今度は人として信用してもらえるよう頑張ります」
その言葉には、どこか決意を秘めたような力が込められていた。
「頑張らなくていいよ」
「いや、頑張るよ」
「いやいや、頑張らなくていいって」
傍から見ればどうでもいい会話が、ゆっくりと駅の方へ流れていく。
僕は、そんなどうでもいい話をして気を紛らわしたかった。
ポツン、と墓地にひとつだけある街灯のおかげで微かに見える、入り口付近の墓石に視線だけを向ける。
七宮さんの家のとはまた違う、黒っぽい竿石に、墓誌。
さすがにこの暗さで彫ってある文字は見えないが、もう見なくても覚えている。
橘 彰人 享年四三歳
橘 美花 享年四二歳
橘 美沙 享年十七歳
この胸のざわつきは、気のせいに違いない。
そうに、違いない。
僕は呪文のように、心の中で繰り返し唱えていた。
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