第8話 瞳の先に映るもの


 赤みが混ざり始めた陽の光に目を細めつつ、僕たちは石段を下っていた。不規則に見える規則的な模様を踏みしめるたび、細長く伸びた影がさっきまで僕たちのいた場所を隠していく。でもそれは僅かのことで、数瞬後にはまたオレンジ色の光に照らされ、キラキラと輝いていた。


「……」


「……」


 駅を出て以来、僕たちの間には沈黙が漂っていた。


 さっきの言葉は、どういう意味だろう。


 何度か話しかけようとはしたものの、結局なにをどう切り出せばいいのかわからず、開けかけた口からは音にならない息ばかりが漏れている。


 光里はというと、僕の少し前を小刻みにスキップしながら石段を器用に降りていた。スキップ、といってもご機嫌ということはなく、その表情からなにを考えているのかは読み取れない。どこか儚げで、どこか嬉しそう。そんな感じだった。


 トンッ。


 ちょっとだけ勢いをつけて、彼女が最後の石段を降り切った。その拍子に、ふわっと制服のスカートが舞う。


「ねぇ、もうちょっとだよ」


 そう言うと、光里は太陽のある方角を指差した。彼女に追いついた僕は、その指先に視線を合わせようと顔を持ち上げる。


「あ……」


 真っ赤な夕日の、すぐ真下。舞台に臨む観客席のように、それらは等間隔に正しく列をなし、まとまっていた。

 でも。そこに座っているのは、生者ではない。大理石や石灰岩、花崗岩かこうがんなどを素材とし、直方体に加工され並べられた石たちは、陽光に照らされてピカピカと光っている。



「生き返らせるための条件その一、対象の体の一部が近くにあること」



 澄んだ声が、耳元で響く。さっきまであんなに温もりをはらんでいたのに、今はひんやりと、どこか冷たい色を含んでいた。


「だから、死者を生き返らせるためには、まずはその人が眠る場所に行かないといけない」


 光里は、まだ少し距離のある席に向けて歩を進めた。そこまでの道のりには砂利が敷き詰められており、かなり歩きにくそうだと思った。でも、彼女の足取りはやけにしっかりとしていた。よどみなく、迷いなく、ただ真っ直ぐに歩いていた。



 対して僕は、動けないでいた。見えない壁が目の前にあるわけではない。あるとすれば、心のほう。


 いつもとは違う方向だったから、全く気がつかなかった。


 光里は知っていたのだろうか。


 僕の過去を。


 僕のやけどの痕の意味を。


 僕の、生き返らせたい人を。



 ……いや、それはない。


 だって、今知るには、あまりにも時間が経ちすぎているから。


 僕は頭の中を駆け巡る映像を必死に振り払い、光里の後に続こうと一歩踏み出す。


「どうかした?」


 僕がついてきていなかったことを不思議に思ったのか、振り返った彼女は首を傾げた。艶やかな長い黒髪が、サラリと肩口から滑り落ちる。


「いや、なにも。ちょっと靴に小石が入っちゃって」


 光里の問いかけに、平静を装って答えた。それだけじゃ不安に感じて、徐に右の靴を脱ぎ、入ってもいない石を出すモーションをする。もちろん、そこからなにが出てくるわけでもない。


「そっか。このあたり、砂利だらけだもんね」


「まぁ、墓地なんてそんなものだろ」


 靴を履き直し、小走りで彼女に駆け寄る。

 悟られるわけにはいかなかった。彼女を信用するまで教えないなんて言っておきながら悟られるなんて、かっこ悪すぎる。それに…………。



「……それで? ここには誰を生き返らせに来たの?」


 心に漂う不安と迷いを払拭するために、僕は慎重に言葉を選んで聞いた。意外にはっきりと出た声とは裏腹に、手には汗が滲み、肋骨の下はドクドクとうるさい。

 けれど、光里はそんな僕の様子に気づく気配もなく、何やらちょっと考えるように人差し指を口元に当てた。


「んーえっとね、ちょっと縁のある人なの。親戚、ではないんだけど、知り合い、というか……」


「……はっきりしないな」


 煮え切らない彼女の言葉に、内心ほっとした。


 やっぱり、光里は僕のことを知らない。


 よくよく考えれば、知っていたなら僕に生き返らせたい人を聞く必要がない。なにを焦っていたんだろうと、僕は苦笑した。


「もう、いいでしょ!」


 僕の笑いを自分に対するものととったのか、光里はふてくされたように歩き出した。僕は慌ててその後を追いかけ、彼女の隣に並ぶ。



 夕方の墓地には、誰もいなかった。

 あたりはすっかりオレンジ色に包まれ、名前も知らない虫たちが音色を奏でている。昼間あんなに恨めしかった暑さは鳴りを潜め、代わりに冷えた風が頬を撫でた。


「ねぇ、ちなみにその人、名前はなんて言うの?」


 ふと気になって、僕は尋ねた。

 光里が最初に生き返らせた人は、あの名女優一ノ瀬優子だ。もしかすると、さらなる大物とかそれに準ずるような有名人かもしれない。


「んーっとね、七宮さん、っていう人なんだけど」


「ナナミヤ?」


 聞いたことがないな。

 そこまで芸能人や著名人に詳しいわけではないが、無意識に頭の中で数少ない知識を辿っていく。


「ああ、言っておくけど、有名人じゃないよ」


 僕の思考を見透かしたように光里は言った。


「おばあちゃんの友達で、何度か会ったことのある人なの」


 なにかを思い出すように、彼女は空を見上げる。その黒い瞳には、今日最後の輝きを放つ丸い火の玉が揺らめいていた。そのせいか、彼女の目は少しだけ潤んでいるように見える。


「そっか。おばあちゃんに頼まれたとか?」


「ううん。私の意思だよ」


 光里は視線を戻した。


 そして、ジッと僕を見つめてきた。


 ああ、間違いじゃなかった、と思った。


 僕の表情で気がついたのか、彼女はハッとして目元をぬぐった。小さな水滴が、日光を反射させて瞬く間に落ちていく。


「さっ、暗くなってきたし、早く行こ」


 それ以上なにも言わずに、光里はそそくさと墓地に入っていく。

 なんだかなぁと思いつつ、僕も彼女に付いて小さな石の門をくぐった。

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