第3話 地上に舞い降りた天使(2)


「……なにしてんの?」


「いや、ちょっと……ね」


 なにかを探すように、近くの茂みの方へと彼女は歩いていく。


 本当に、なにしてるんだ?

 その理由を聞く間もなく、「あ、見つけた」と彼女はを茂みから拾い、僕に見せてきた。


「うぇっ⁉」


 変な声が出た。

 でも、それくらいは勘弁してほしい。僕は、は苦手なのだ。


「あれ? もしかして、虫とか無理?」


 彼女が手のひらに乗せて見せてきたもの。それは、緑色のショウリョウバッタだった。


「ムリムリムリ。ってか、なんで触れるんだよ⁉ 気持ち悪くね?」


 二、三歩後ずさりながら僕は聞く。虫を触れるやつ、ましてや自分から探して見つけて捕まえてくるやつの気が知れない。そんな僕の様子を見て、彼女は悪戯っぽく笑った。


「へぇー。じゃあ、もし……」


 この時、直感した。この流れはあれだ。トラウマになりかねないやつだ。


「おい。投げつけてきたら警察を呼ぶぞ」


「……そんなことで警察は来ないよ」


 僕の全力拒否反応に、彼女は呆れたように苦笑した。


「大丈夫、そんなことしないよ。それにこの子、死んじゃってるから」


「え?」


 見ると、彼女の手のひらのバッタは先ほどからピクリとも動かない。石像のように、きれいな立ち姿勢のまま固まっていた。


「触ってみる?」


「いや、やめとく」


 悪魔みたいなことを言う彼女から、僕はさらに数歩距離をとる。


「ふふっ、冗談だよ。でも、後で文句を言ってきそうだけど……」


 文句? 誰が?

 僕がそう聞くより早く、彼女は口を開いた。



「私が、言いたかったのは――」



 彼女は話しながら、バッタをそっと地面置いた。



「もし、この子が――」



 そして、そのまま手を合わせる。



「こうして――」



 祈るように、静かに、彼女は目を閉じた。



 その一瞬、空間がぶれたのかと思った。



 だって、目の前にはありえない光景があったから。


 彼女の身体が、淡く光っていた。四月にしては暑く眩しい日差しの中で、薄っすらとではあるけれど。彼女は確かに、光を放っていた。


「え、え……?」


 バッタの存在を忘れ、僕は彼女に近寄った。彼女の放つ光に吸い込まれるように、二歩、三歩と近づいた。


 でも、それが僕の運の尽きだった。

 足元で、今までなんの反応も示さなかったが、いきなり飛んだ。


「うわあああぁぁっ⁉︎」


 情けない声をあげ、僕は無我夢中で払いのける。僕の制服に張り付いていたは、驚いたようにピョンと地面に降りると、そのまま茂みに飛び込んでいった。


「生き返ったら、どうなるのかな? ってさっき言おうと思ったの」


 君、ほんとに虫嫌いなんだね、と彼女は小さく笑う。先ほどからころころといろんな笑顔を見せる彼女に、僕は半分以上の腹立たしさと、若干の懐かしさを覚えていた。



 *



「それで? いったいなにがしたかったんだ?」


 感情の大部分を占めているイラつきをぶつけるように、僕は聞いた。


「あれ? あんまり驚かないんだね」


 僕の不満の塊を気にすることなく、そして質問に答えるでもなく彼女は言った。どこまでもマイペースな彼女に、イライラメーターがさらに上がる。


「え? なにが?」


 低い声で僕は聞き返す。


「私、生き物を生き返らせたんだよ?」


 二歩ほど、彼女が僕に近づいた。その顔は僅かに微笑んでいたが、先ほどとは打って変わってどこか陰が落ちているように見えた。


「え、あれって、最初から生きてたんじゃないのか?」


 若干気にはなったものの、僕は気づかないふりをして答えた。


「ほらー、そう言ってきそうだったから、触ってみる? って聞いたのに」


 むくれたように、彼女は僕に背を向けた。彼女の動きに合わせて髪がしなやかに舞う。


「いや、虫触るのはムリだから」


「んーじゃあ、私の身体が光ってたのは?」


「それは……」


 背を向けたまま言った彼女の言葉に、僕は先ほど見た光景を思い出す。虫がいきなり動いたことに意識を持っていかれていたが、その虫の存在すら忘れさせていたあの光は、紛れもなく僕の目にも見えていた。


「……蜃気楼とか、そんな現象なんじゃねーの。知らないけど」


 突き放すように、僕は言った。

 認めたくない、と思った。生き物は死んだらそれで終わりなのだ。死後の世界とか、生まれ変わるとか、そんな確かめようのないことは正直わからない。でも、死んだ後にまた同じ存在として生きるなど、神様だってできやしない。そんなこと、叶うはずがない。


 そろそろ帰ろう。彼女と話していると、なぜかイライラした。いつもは滅多に感情が動くことはないのに、なぜか今日は違う。

 僕はカバンを肩にかけ直すと、彼女の背に向かって歩き出し、そして追い越す。ふわっと、微かに甘い花の香りがした気がした。


「あれ? どこ行くの?」


「帰るんだよ」


 不思議そうに尋ねてくる彼女に、振り返ることなく僕は答える。これ以上一緒にいると、いつもの僕ではなくなるような気がした。


「ここからが本題なんだけど」


 不満げな声が、後ろから飛んでくる。けれど、歩みは止めない。ここで止まれば、きっと引き返せなくなる。



「ねぇ。あなたが生き返らせたい人は、だれ?」



 心臓が、ドクン、と大きく脈打った。


 もしかしたら、僕はその言葉を待っていたのかもしれない、と思った。


 立ち止まった僕の耳には、心臓の高鳴りと、彼女が近づいてくる靴音だけが響いていた。

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