ミステリー好きの彼女の策略

小鳥遊 慧

ミステリー好きの彼女の策略

 先月からうちのクラスで朝のホームルームの時にみんなで五分間読書をしましょう――名付けて朝読書という活動が始まった。読書嫌いには当然のように大変不評だったが、読書好きとしてもはっきり言ってありえねー企画だ。だってお前、その五分の間に佳境に入っちまったらどうしてくれんだよ。読むのやめて授業受けろってか? 無理だろそれ! 


 ……そういうわけで案の定うっかり佳境に入ったので一時間目が始まってもこそこそと続きを読んでいたら、数学教師にあてられてしどろもどろになったのがこの俺である。その後もしつこくちくちくと嫌味を言われました……。でも無理だろ。あそこで読むのやめるのは無理だろ。そうなるのが目に見えてたからこの活動始まるの嫌だったんだよなあ。


 と、まあひとしきり文句を言ってみたのだが、よかったことが一つだけある。


「おはよう」


「おはよー、清水」


 斜め前の席の女子――清水が登校してきた。今日も今日とて挨拶しながらもほとんど表情が変わらない愛想の悪さだ。黒いストレートの髪と白くてきれいな肌、それから結構度のきつそうな眼鏡と、いかにも文学少女というパーツが揃っているのだけど、ダサいとは一切感じないのは清水が美人だからだろう。


 彼女は鞄から百科事典かな? と思うようなハードカバーの本を取り出してどさりと机の上に置く。涼しい顔をしてやってきたが、この本が入った鞄は相当重かっただろう。今から読む本の入った鞄の重さは幸せの重さですよとのたまったは、確か違うクラスの友人だったか。清水も間違いなくその類だ。


 そう、この活動が始まって唯一のよかったことは愛想が悪くて美人なのに近寄りがたい度ナンバーワンとクラスの男子の大半に太鼓判を押される清水が、とんでもない読書家だというのが分かったのだ。読書家というか乱読家。歴史小説から純文学、ライトノベル、果てはシェイクスピアや源氏物語なんかも「現代語訳で読んでるから大したことないよ。この辺りは教養としておさえとくべきかなと思って」の一言で読んでいるらしい。それを聞いた大半のクラスメイトは「高嶺の花と思ってたけど、思った以上に高いところに咲いていた」とドン引きだったが、俺は親近感わいた。教養とかはよく分からんが、古典というのは悪くない。おくのほそ道は源氏物語と違って時代が近いからそのままでもまあ読めるし、文章が綺麗だ。リズムがいい。


「これ、昨日貸すって言ってた本」


「ありがと。清水が絶賛してたから楽しみしてた」


 清水がさっき机の上に置いたものほどではないが、分厚いハードカバーの本を手渡してくれる。はっきり言ってごついと言っていいその本と、清水の白く細い手が酷くアンバランスで目に焼き付いた。


 絶賛とは言ったが、その本について語るとき清水の言葉は多くなかった。面白いからとにかく読んでみてという圧がすごかった。俺達は面白い本になるほどお勧めする語彙を失くす。だって読んでほしいけど、読んでくれるならネタバレしたくない。


「今日の朝読書はそれ読むの?」


「そのつもり」


「そう」


 朝挨拶したときから一貫して表情の乏しかった清水が、頷いてかすかに笑った。


 おすすめした本を読んでもらえるのは嬉しい。わかるわかる。


「おはよー、お前らチャイム鳴ってんぞ、座れ座れ!」


 担任が朝のホームルームにやってきた。パタパタと席に着く生徒たちに交じって、清水も席に着く。きちんと皺の延ばされたブレザーに包まれた座り姿が美しい。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花なんて言葉が自然と脳裏に浮かぶ。前々からクラスの男子の間で囁かれていた高嶺の花という評価は間違っていない。


 でもどうやらそこまで遠いところに咲いていなかったようだというのも、もう知っている。案外流行りものも好きらしく、今流行りのライトノベルの新刊を通学路で買ったとホクホク顔で登校してきたこともある。解釈の難しい小説の考察について二人で激論を交わしたこともある。彼女の好きな作家の三年ぶりの新刊が出るらしいというツイッター情報を教えたら神に感謝の祈りをささげていた。案外見ていて面白い。


 本当に朝読書がなかったら話す機会もなかなかなかっただろうと思うと不思議な気持ちになる。


「俺からの連絡はそれだけだが、何か他に連絡事項ある奴いるか?」


 朝のホームルームももう終わりらしい。


「ないなら恒例の朝読書の時間だ。五分測るぞ。はじめ」


 担任がもっているキッチンタイマーがピッと音を立てるのと同時に、今朝清水から受け取った本を開く。貸してくれたのはミステリーらしい。何でも読む清水だが、一番好きなのはミステリーらしくよく貸してくれる。


 冒頭から絶海の孤島にいる。孤島にある屋敷には電話は引いてあるが、船の定期便は一週間に一度。少し古い本らしく登場人物はスマホはおろかケータイも持ってない。クローズドサークルもの。大好物です本当にありがとうございます。


 読み進めていくと段々役者がそろっていく。曰くありげな客人たちと、怪しげな屋敷の主人と使用人。変人っぽい恐らく探偵役。


 流石に今日の朝読書の時間のうちに最初の被害者は出てこなさそうだなと、あと一分を切った時計をちらりと見上げてからページを捲って、一瞬息が止まった。




      『恋文』




 そう書かれた二つ折りの紙が本に挟んであった。


 几帳面そうなやや角ばった右上がりの強い筆跡は間違いなく清水の物だった。『恋文』と書かれた下には宛名として俺の名前も書かれていたので、挟んだのを忘れたまま俺に貸してしまったわけではないらしい。このページに辿りつくまで気付かなかったのは、本が勝手に開かないようなごくごく薄い紙を使っているからだ。そしてこのページを俺が開いたのは朝読書に時間が終わる間際のこの時間。


 ピピピピッ。担任の手元のキッチンタイマーの音が鳴る。


「はい終わり。それじゃあホームルームはこれで終わりだから一限目の準備しろよ」


 そう軽く言い置いて担任が出て行く。一限目は前俺をこっぴどく叱った数学教師だ。


 ハッとして斜め前の席にいる清水を見ると、悪戯の成功した子供のような顔で笑ってこちらを見ていた。


 手紙を手に愕然として清水の顔を見返す俺をよそに、一限目の数学教師がやってきて授業が始まる。


 確信犯じゃん!


 わざわざそのページを開くまで挟んであることに気付かないような薄い紙を使ったのも。


 ちょうど朝読書の時間が終わる間際の時間にその手紙が見つかるように、俺の読む速度を予測してピッタリのページに手紙を挟んだのも。


 全部全部、確信犯じゃん!


 どうしろと⁈ いつの日か、朝読書の時間中に佳境に入ってしまった小説よりも気になるものが今手元にあるんですけど⁈ でもこんなもんあの数学教師に見つかったら死ねる。


 顔を赤くしたり青くしたりと忙しい俺をよそに、清水は涼しい顔をして黒板を見てるが、それでも時々俺の反応を確認するようにこっちを気にしている。


 なによりもこんな悪戯を仕掛けてくるほど清水に余裕があるってことは、俺が清水のことを憎からず思っている(注:大変控えめな表現)ことがバレてるわけで……。っていうか恋文ってことは清水は俺のこと好きな訳? え、あの高嶺の花が? あ、でもこの微妙に幼稚で綿密で地味な悪戯は全く高嶺の花感ない。ええええ、どうすればいいんだ、この手紙今すぐ滅茶苦茶読みたいんだけど。


 かろうじて数学の教科書は出して手紙は読まずに我慢したが、大混乱な俺はその後数学教師に当てられてしどろもどろになり、やっぱりちくちくと嫌味を言われたのだった。




     『ミステリ好きの彼女の策略』  了



 まったく彼女は朝読書が始まる直前、俺がこの本を今から読むと言った時、どういう気持ちで笑ってたんだか。

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