停車駅まであと5分
望月くらげ
停車駅まであと5分
放課後のグラウンド、ラスト一本を走り終えると私は疲れ果てて座り込んだ。貧血気味なのかちょっとだけふらっとするけれど、あとは片付けをして先生の話を聞けば今日の練習は終わりだ。
自分で希望して入ったとはいえ、毎日練習漬けの日々はしんどくて辛い。でも楽しいが上回るから頑張れる。そんなことを思いながらボーッとトグラウンドを見ていると、逢坂先輩が走り始めた。すらっと長い手足を駆使して100mを走る先輩の姿はキラキラと輝いて見える。
「はー、やっぱりカッコいいなぁ」
「独り言、口から出てるぞ」
「あっ、筒井。お疲れー。もう終わったの?」
「終わった。そっちは――聞くまでもないか」
グラウンドに座り込む私を見て呆れたように言う。同じ短距離走仲間の筒井は隣に腰を下ろすと、二本目を走ろうとする逢坂先輩に視線を向けた。私もそちらに視線を戻す。
普段の逢坂先輩もカッコいいけれどああやって走っている姿はもっとカッコいい。クラスでも人気があるそうで、逢坂先輩と同じクラスの先輩がこの前も告白されて断っていたと教えてくれた。
「告白かぁ」
逢坂先輩とは仲がいい方だと思う。でもそれは部活の先輩と後輩としてでしかない。そこから一歩踏み出すためには告白するしかないとわかってはいるのだけれど。
「何? やっと告白するの?」
「え?」
「今、言ってたじゃん。告白かーって」
筒井の言葉に慌てて口を押さえる。どうやら心の声が口に出ていたようだ。
「忘れて!」
「いや、忘れてって言われても」
「私が先輩を好きだってことはどうか内緒に!」
拝むように言った私に、筒井は呆れたようにため息をついた。
「あんたが逢坂先輩を好きだってことはとっくに知ってるけど」
「なんで!?」
「なんでって、あんだけ態度に出てたらバレるだろ」
私としては部活内恋愛なんて周りに気を遣わせるだけだし、できるだけこの気持ちはバレないようにしようと思っていたのに、まさか筒井にバレてるなんて。しかもその言い方じゃあ、他の人も知ってるみたいな……。
「まさか、逢坂先輩にもバレてたり!?」
「いや、逢坂先輩は気づいてないと思う。――あんたと同じぐらい鈍感だから」
「どういう意味?」
「別に、なんでもねえよ。で、告白するの? そもそも逢坂先輩のどこが好きなの? 顔?」
自分のノルマが終わって暇なのか、筒井は珍しく饒舌に話しかけてくる。クラスが同じとはいえ、そこまで深い話をする仲じゃない。だから筒井がこんなふうに話を振ってくるなんて意外だった。
「別に話したくなければいいけど」
黙ったままの私の態度に勘違いしたのか、筒井はそう言うと立ち上がろうとする。
「ち、違うの! えっと、そりゃ顔もカッコいいけど、それよりもああやって走ってるときのキラキラした感じとか」
「あっちで走ってる橋本先輩も十分キラキラしてると思うけど」
「まあ、そうなんだけど。……それだけじゃなくて、入部したばっかりで上手く部内で馴染めなかったときに、逢坂先輩が話しかけてくれたの。そりゃ先輩だから後輩のことを気にかけるのは当然なのかもしれないけど、周りがみんな知らない人ばっかりで不安だった私にとっては逢坂先輩が神様みたいに見えたの。それで、気になりだしたらもう……」
「好きになっていた、と」
「はい、そうです」
「ふーん。……ホントに好きなんだな、逢坂先輩のこと」
「……うん、大好き」
「締まりのない顔」
「なっ」
呆れたように言われ、慌てて手のひらで頬を押さえる。そんなに変な顔をしてるのだろうか。
そんな私を鼻で笑うと、筒井はグラウンドの端を指さした。
「そろそろ集合みたいだから行くぞ」
先に立ち上がると、筒井は私を引っ張り起こそうと手を差し出す。一瞬、悩んだもののせっかく差し出してくれたのを断るのも、と思い筒井の手を取ろうと手を伸ばした。
「っと。やっぱりやめた」
差し出された手を掴んで起き上がろうとする――寸前、筒井はその手を引っ込めた。おかげで私は体勢を崩してそのまま地面に手をついてしまう。
「ちょっと何を……!」
「浅香? 何やってんだ?」
「お、逢坂先輩!? な、なんでもないです!」
いつの間にこちらにやってきていたのか、座り込んでいる私を逢坂先輩が心配そうに覗き込んでいた。慌てて手についた土を払うと両手を振って問題ないとアピールする。けれど。
「先輩、そいつしんどくて動けないらしいですよ。朝から具合悪そうでしたし」
「ちょ、ちょっと!」
どうしてそういうことを言うのか。そりゃたしかに朝からちょっとだけしんどくて、教室ではできる限り大人しくしていたけれどそれは部活を休みたくなかったからで。
「授業中もぐったりしてただろ」
「いつの間に見たのよ」
「俺の斜め前の席なんだから見るなって言う方が無理だろ」
それもそうか。
でもだからって今それを言うことないと思う。そんなこと言ったら逢坂先輩に心配をかけてしまう。
視線を上げてチラッと逢坂先輩を見る。その目はやっぱり心配そうに私を見つめていた。
「保健室行くか? 連れて行ってやるぞ」
「だ、大丈夫です! 筒井が大げさなだけで」
「あーあ、健気だなぁ。先輩に心配かけないように嘘ついて」
「筒井!」
いったいどういうつもりなのか。演技がかった口調で言う筒井を思わず睨みつける。けれど逢坂先輩は筒井の言葉をどう受け取ったのか私の前にしゃがみ込んだ。
「せ、先輩!?」
「本当に大丈夫か? 何か俺にできることあるか? 家まで送って帰ってやろうか?」
「え、えっと」
どうしたらいいのだろう。
思わず視線を泳がせると筒井と目が合った。黙ったまま筒井は何かを伝えようと自分の口を指さした。
『が・ん・ば・れ』
頑張れって言われても……。
逢坂先輩はジッと私を見つめている。私は――ありったけの勇気を出すと、必死に口を開いた。
「あ、あの!」
緊張で声は掠れてるし、若干裏返ってしまったような気もする。でも、もう今を逃したらもう二度とこんなチャンス訪れないかもしれないから。
「ちょっとだけしんどいので、途中まで一緒に帰ってもらってもいいでひゅか」
か、噛んだ……。
逢坂先輩の後ろで筒井がずっこけたのが見えたけれどそんなこと気にしていられない。顔が赤くなるし、いつの間に集まってきたのか他の部員達が生温かい目でこちらを見ているのも気づいてる。でも、言ってしまったものはもう取り消せない。
「…………」
黙ったままの逢坂先輩がどんな表情をしているのか、確かめる勇気はない。俯いたままいると、頭上で逢坂先輩の声がした。
「わかった」
「え?」
「着替えて荷物持ったら部室の前で待ってろ」
「い、いいんですか?」
「可愛い後輩の頼みだからな」
ニッと笑うと逢坂先輩は私の手を掴んで起き上がらせてくれる。
「歩けるか? おぶっていってやろうか?」
「だ、大丈夫です! それぐらいは歩けます!」
「そうか? んじゃ、またあとでな」
そう言ったかと思うと、先輩は先生の元へと向かう。私はというと――今しがたここで起こったことが本当に現実なのか自信がなく、ニヤニヤと笑う筒井に向かって言った。
「これ、夢かな」
「頬を思いっきり引っ張ってやろうか?」
「お願い!」
言葉通り思いっきり引っ張られたはずの頬は興奮のせいかさほど痛みを感じず「もう一回!」と筒井に頼み、ドン引きされたのだけれどそれすら気にならないほどだった。
部活後の先生の話はほとんど頭の中に入ってこず、部室で他の部員からからかわれたような気がするけれどそれもふわふわした気持ちのままで聞いていた。どうしてみんな私が逢坂先輩のことを好きだって知ってるんだろうという疑問はあったけれどそんなことを聞く余裕なんて今の私にはない。
逢坂先輩を待たせる訳にはいかないと普段の3倍ぐらいのスピードで着替えを終え、部室の前で荷物を持ったまま直立で待つ。
1分が10倍にも10分の1にも感じる中、逢坂先輩の「ふはっ」という笑い声が聞こえ、私はぎこちなくそちらを向いた。
「おう、さ……か先輩」
「変なところで途切れてるぞ。体調どうだ? 大丈夫か?」
「は、はい。なんとか」
本当はそこまで体調が悪いわけではない。一人で帰ろうと思えば帰れると思う。でも、逢坂先輩が私のことを気遣ってくれるのが嬉しくて、ついぼかすような言い方をしてしまう。
「本当か? 無理してるんじゃないか?」
「あ……えっと……」
あまりにも心配そうに私を見つめてくれる逢坂先輩に、私は――。
「ごめんなさい!」
「浅香?」
「朝、調子が悪かったのも走ったあとに貧血っぽくなっちゃったのも本当なんですけど、今はそこまででもなくて。先輩が一緒に帰ってくれるっていうから嬉しくて嘘をついてました! 本当にごめんなさい!」
一気に喋って頭を下げる。涙が滲みそうになるけれど必死に堪える。嘘をついたんだ、軽蔑されたって仕方がない。
でも、頭上で聞こえて来たのは逢坂先輩の「なんだ」というどこか安心したようなトーンの声だった。
「え……?」
「そっか、具合よくなってんのか。ならよかった。真っ青な顔で立ってるから相当具合悪いのかと焦ったよ」
「怒って、ないんですか?」
「怒る? 何を」
「その、嘘、ついたこと」
私の答えに、先輩はきょとんとした表情を浮かべた。
「怒るわけないだろ。それよりも具合悪くなくて安心したよ。んじゃ、帰るか」
「え?」
「帰らないのか?」
不思議そうに言う逢坂先輩に私は恐る恐る尋ねた。
「そ、そうじゃなくて。具合悪くないのに一緒に帰ってくれるんですか?」
「あー……いや、その。帰りたくないなら別にいいんだけど」
「そんなことないです! 帰りたいです!」
「……なら、行くぞ」
「はい!」
逢坂先輩の言葉に頷くと、私は少しだけ早足で歩き始める。逢坂先輩と私じゃあ歩幅が違うから、ちょっとだけ早歩きじゃないと置いて行かれてしまうから。
でも……。
「あ……」
「何?」
「い、いえ。なんでもないです」
気づくと逢坂先輩は少しだけゆっくりと歩いてくれていた。それは私の歩幅に合わせるように、私が早足で歩かなくてもいいように。
「……ありがとうございます」
「別に」
照れくさそうに言う逢坂先輩に、胸の奥がくすぐったくなるのを感じる。逢坂先輩のこういうさりげない優しさが好きだ。周りの人が見ていなくても誰かを気にかけられる優しさが好きだ。いつかこの気持ちを伝えたいってそう思っていたけれど、勇気がなくて今日まで来てしまった。
せっかくの筒井がくれたチャンス、できればなんとかして告白をしたい、のだけれど。実際は、隣を歩くだけでもドキドキして上手く会話もできない。せっかく二人並んで歩いているというのに会話もままならないなんて情けない。なんなら普段、部活で話をしているときの方が話せている気がする。
そしてそう思っているのは私だけではないようだった。
「今日は大人しいけど、やっぱり本当は具合悪いんじゃないか?」
「そ、そんなことないです!」
「そうか? ……それじゃあさ、一つ聞いてもいいか?」
「なんでしょう?」
「……浅香って、筒井のこと、好きなのか?」
「ええっ!?」
突拍子もない話に思わず声が裏返る。どこをどうしたら私が筒井を好きだという話になるのか。
「違うのか?」
「違いますよ! そもそもなんで筒井なんですか!」
「その、今日グラウンドで筒井と話してただろ? あのときの話が少し聞こえて」
……まさか。
「浅香、言ってただろ、筒井に。大好きって」
「~~っ! そ、それは! ってか、なんでそこだけ聞いてるんですか!」
よりにもよって! ピンポイントでそこだけ!
それはあなたのことです! そう言ってしまえればどれだけ楽か……。
なんと言えばいいのか困っていると、そんな態度に気づいたのか逢坂先輩は私に問いかけた。
「違うのか?」
「違います!」
私は逢坂先輩の言葉に被せるように、勢いよく否定した。
「その、たしかにそういう話はしましたが、それは筒井のことじゃないです!」
「そうなのか?」
「はい!」
「……そうか、違うのか」
「先輩?」
「あ、ああ。いや、なんでもない」
そのまま逢坂先輩は何かを考え込むように黙ってしまう。
結局、どこかぎこちないまま私たちは駅まで歩いた。
駅に着いた私たちはちょうど来ていた電車に乗ると、私は壁際にその前に逢坂先輩が立った。ちょうど社会人の帰宅時間と重なったからか、電車の中は満員だった。
「大丈夫か?」
「はい。先輩は?」
「たいしたことない」
そうは言うけれど、逢坂先輩のすぐ後ろにも人の姿が見える。私にくっつきすぎないように、そして私が押しつぶされないように少し間をあけて立ってくれている逢坂先輩に負荷がかかっているのは聞かなくてもわかる。
そして車体が大きく揺れたかと思うと、誰かが体勢を崩したのかあちこちで悲鳴が上がる。その波に押されるようにして逢坂先輩も体勢を崩した。
「っと、悪い!」
そして――私の身体を抱きしめるような形で壁に腕をついた。
「だ、大丈夫か?」
はい、と答えるべきなのはわかってる。大丈夫か大丈夫じゃないかで言われたら怪我もしてないし逢坂先輩が守ってくれているから押しつぶされもしていない。でも、この距離は大丈夫とは言えない。近い、近すぎる。
「浅香……?」
心配そうに私を覗き込む逢坂先輩と至近距離で目が合う。あと一息押されたら触れてしまいそうな距離だ。逢坂先輩も、私が黙り込んでいる理由に気づいたのか小さく「悪い」と呟いた
全身がまるで心臓になってしまったかのようにうるさい。こんなに近くにいるんじゃあ心臓の音が逢坂先輩に聞こえてしまうんじゃあ。そう思って離れようと思うけれど、身動きを取ることができない。それどころか、身体をよじったせいで逢坂先輩に触れてしまった。
ああ、もうダメ。心臓がうるさい。こんなの全身で好きだって言っているようなものじゃない。好き、逢坂先輩が好き。好き、大好き。
「先輩……好き……」
「え?」
「あっ……!」
慌てて両手で口を押さえたけれど、私の漏れた心の声はバッチリ逢坂先輩の耳に届いてしまったようだ。わかりやすいほど困った顔をする逢坂先輩が見える。
困らせて、しまった。
さっきまでとは正反対の意味で心臓の音がうるさい。どうしよう、こんなところで告白なんかして、逢坂先輩のことを困らせて。自分の身を盾にして私のことを守ってくれてるのに、それなのに。
「ご、ごめんなさ……」
「待って」
涙目になりながら、それでも私は必死に逢坂先輩に謝る。そんな私の言葉を、逢坂先輩は遮った。
そして、逢坂先輩は顔を私の耳元に近づけると、そっと囁いた。
「電車降りたら」
「え?」
「電車降りたら、俺から言うから。だからそれまで待って」
そう言った逢坂先輩は頬を真っ赤に染めている。
必死で頷いた私を、顔を離した逢坂先輩は優しく笑った。
私が降りる駅まであと5分。
5分後に私たちの関係は、ただの先輩と後輩じゃなくなっている。
そんなくすぐったい予感とともに、電車は私が降りる駅へ向かってスピードを上げた。
停車駅まであと5分 望月くらげ @kurage0827
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