三 事情聴取



 それから医務室で後頭部のたんこぶに薬を塗ってもらい、かけられた術が順調に解けて回復しているか師匠に軽く診てもらった後は──普段なら灰色はツシ、白はタナエスが医者役を担うのだが、今は誰のことも安易に信用すべきでないと言われてそうなった──白の階層の一番下、猫の談話室と呼ばれている部屋に移動して事情聴取を受けることになった。


「本当はもう少し休ませてあげたいんだけど、ごめんね」

「いいえ、僕も忘れる前に情報を整理しておきたいですから」


 すまなさそうなマシュに首を振って、神殿からの客人を待つ間に覚えていることを書き留める。温かいミルクのカップを受け取ったファロットが隣に座ると、この部屋を根城にしている白猫のマウが、すかさず彼女の膝に乗って丸くなった。あたたかくてふわふわした生き物を撫でて、まだ目の縁を真っ赤にしている少女の視線が少し和らぐ。


「ニウはどうしたの、マウ?」

 耳の良い彼女がうるさがらないように小声でそっと、ファロットが猫に話しかける。ニウとはこのマウと同じく塔に住んでいる黒猫で、談話室の隅に置かれた毛布を寝床にしている。マウの方はいつもソファの真ん中に長々と寝そべっているので、そのあたりでもなんとなく力関係が感じられる、ちょっと不憫な猫だ。


 でも僕だって、ファロットに「どいて」って言われたら素直に場所を譲っちゃうもんな──


 エテンはそう考えて少女の膝の上でゴロゴロ喉を鳴らす雌猫を見つめ、それに気づいたマウに蔑んだ視線を返されて目を逸らすと、この白くてふわふわな猫が大好きで仕方ない黒猫のことを思った。体格はニウの方がずっと立派なのに、彼はいつも尻尾をピンと立ててマウに近寄っては、煩い邪魔よと言われて追い返されている。


「かわいそうに、ニウ……」

「え、何?」

「あんなに大好きなのに、報われないな……」


 メモの手を止めてため息をついていると、ファロットが「それはマウが一人でゆっくりしたい気分の時にニウがちょっかいをかけるからよ。あの子、いつまで経っても子猫みたいなんだから。もう百六十歳は超えてるはずなのに」と言う。


「女の子って、結構手厳しいよね……」

「どうして? 簡単なことじゃない」

「そうでもないんだよな、これが……」


 どうしてこう、どう頑張ってもかっこいいと思ってもらえないんだろうと悩ましく思いながらエテンが書き出しを続けていると、廊下の方から話し声が聞こえてきて、すぐに扉がノックされた。


「どうぞ」

 師匠が言うと室内の人間が一斉に立ち上がったので、エテンも少し遅れて皆に続こうとした。が、マシュが小さな声で「エテンは座ってて大丈夫よ、まだ具合が良くなってないでしょう」と言うので、頷いてありがたく座り直す。正直に言うと立ち上がって客人を出迎えるくらいはできそうだったが、具合が悪いということになっていればきちんとした挨拶がどうのと言われなくて済むので、その方がいい。


「火竜のエシテラーリアです。エシテとお呼びください、白虹はっこうよ」

「よくぞいらした、エシテ。貴女の忌避なき信仰に感謝する」


 珍しく二つ名で呼ばれた師匠が、白ローブとしての威厳ある態度で応じた。淡い灰色の神官服を着た女性が、背筋をビシリと伸ばして胸に手を当てる。

「私の信仰が貴方がたの救いとなるように。──ここには被害者及び突入した鷲族の皆様への事情聴取と、犯行現場となった彼の自室を調査する許可を得に参りました。灰色の術者エテン、許可をいただけますか」


 急に話を振られたエテンは目を瞬いて、知らない人に部屋へ入られるのは嫌だなあと少し思ったが、そもそも神殿の「火竜」に調査を任せるよう言い出したのはエテンだ。今回ばかりは仕方ないと諦めた。


「あ、ええと……入るのが男の人だけなら。金庫を開ける必要があれば、その時は僕が同席します」

「了解しました。立ち入るのは男性神官一名、立ち合いの鷲族一名のみとし、金庫には手を触れぬようにいたします」

「あ、はい」


 エテンが頷くと、濃い色の髪を後ろでくくった真面目そうな女性神官は、部屋の外に向かって伝令鳥を飛ばした。伝言を携えた魔力の鳥が、すうっと滑るように飛んでゆく。それと入れ違いになるように、呼び出されたらしいプラディオとファロルが入ってきた。目が合うと二人とも少し眉を下げて笑い、「まだ見つかってない」と首を振る。


「ではまず、貴方の身に何が起きたか、順を追って説明を」

 その時そう促されたので、メモを見ながら用意していた答えを言う。

「夜中に目を覚まして、水を飲もうとしたところで扉をノックされました。時刻は真夜中過ぎ……黒の零時五分くらいです。彼はアル・プラディオの声で、ファロットが襲われたから上へ来てくれと言った」


「なぜ目を覚ましたのですか」

「悪夢を見ていた……のだと思います。誰かに逃げろと言われた気がして、起きたら」

「ふむ、叡智の神のお告げでしょうね」

「え?」


 当たり前のような顔をしている気の神官を、エテンは少しびっくりして見つめた。月の塔にはこんな風に日常会話のような感じで神の名を出す人間はあまりいないので、少し新鮮というか、奇妙な感じがする。


「風持ちなのでしょう? ままあることです」

「そ、そうなんですか……」

「そして、戸を開けたら相手は連続殺人犯だった。どの段階でそうと気づきましたか? 襲われてから? それとも顔を見て?」

「背が高かったんです。僕よりずっと」

「ふむ」

 神官がちらりと小柄なプラディオを見て、頷いた。

「なるほど。相手が名を偽ったのに気づいて、貴方はどうしました?」


 エシテと名乗った神官はそうやって一つひとつ、細かく質問を挟みながらエテンから事件の詳細を聞き出していった。なるほど事情聴取とはこういう風にすれば良かったのかと感心しながら、全て丁寧に答えてゆく。


「顔も声も、覚えていません。記憶しようと努力しましたが……どんなに見ても聞いても、特徴が覚えられなかった。姿を偽っているのではなくて、見えているのに認識できないような」

「対象の意識を操作して認識をずらす、非常に高等な気の術ですね。複数を相手に一分の隙もなくそのような術が使えるというだけでも、大きな手がかりになるでしょう」


 エシテは淡々とそう言って、エテンと鷲族の三人を見回した。ルヴァルフェンサと対峙した四人の中で、彼の顔を覚えている者は一人もいなかったのだ。エシテが手帳を閉じると、エテン達もこれ以上話すことはないかという雰囲気になってきたが、その時ファロットがぽつりと言った。


「でも……男の人だっていうことはわかったのよね。どうして?」

 皆の視線がさっと集まって、少女が肩をすぼめると「ごめんなさい」と言った。しかしエシテが手帳を開き直して「いいえ、続けてください」と言う。


「……それは、声が低かったから。でもどのくらい低かったかと言われると、わからない」

 エテンが首を振ると、ファロットは眉を寄せた。

「どうしてそれはわかったのかしら? 隠す必要がないと、犯人が思ったから?」


 と、プラディオが口を挟んだ。

「違うと思う。少なくとも僕には性別すらわからなかったよ」

「僕も。でもルヴァルフェンサの体内の魔力の色は見えた。魔法を使う度に青黒い色から赤黒い色になったり、どす黒くなったり……複数属性持ちは使う術によってそういう風に色が変化して見えることもあるけど、あんな変な色は見たことがない」

 魔力を透視する能力を持つファロルが言って、鋭く投げられた神官の視線に少し微笑むと「あとで詳しく話します。先にエテンを終わらせて、休ませてあげてください」と言った。


「元々の瞳の色は見えなかったけれど、魔力で光る目の色は見えたのよね? つまり……犯人は魔力の色を隠そうとしてないけれど、自分の姿は隠そうとしていて、でもエテンは風持ちだからその術が完全には効いていなかったっていうこと?」ファロルが首を傾げる。


「なぜそこまでやって、魔力の色を隠さない?」

 神官が独り言のように呟いた。腕を組んだ師匠が「隠していないと見せかけて、違う色だと思い込ませていたとか」と言う。

「確かに……そう考えたらあの変な色にも説明がつく気もするけど、そんなこと可能なの?」ファロルが尋ねる。

「寡聞にして存じません」エシテが首を振った。


 皆が腕を組み、それぞれ犯人について思いを巡らせる。ところどころ情報は出てくるものの、それでもやはり犯人を特定するような極め付きの証言は見当たらない。エテンは目を閉じてじっと、ルヴァルフェンサが部屋へ押し入ってきてからのことを思い出した。蝋燭の明かりすらない寝室、廊下から差し込む明かり、それがルヴァルフェンサの手で閉じられて、カチャリと施錠する音が響く──静かなその音を思い出したエテンは途端に恐怖が蘇って、無意識に両腕で自分の体を抱いた。月明かりに青白く反射する細いナイフが、段々と近づいて──


「……あ」

 声を出したエテンを皆が見つめた。

「ルヴァルフェンサは……たぶん右利きだ。ナイフを右手で持ってた」


「タナエス様は左利きね」

 すかさずファロットが言って、今度は彼女に視線が集まる。

「よく知ってるね」と師匠。

「研究室へお邪魔した時、左手にペンを握ってたわ。ファロルおじさまの目を覗き込む時も、左手の人差し指に明かりを灯してた。それに、魔導灯が机の右側に置いてあった」


「なるほど、他に利き腕が判明している人物は?」とエシテ。

「父は右利きです。ラグ様も右利きだと思う。部屋の鍵を開けるのも、聖典を拾い上げるのも右手だったから。長老様も右で書き物をしてて、エルフのルーフ様はベルトの左側に小さな銀のナイフを差してる。フレン様は……確か以前、食堂でお肉を食べてた時に……右手にナイフ、左手にフォークだった」


「……すごいな、ファロット」

 プラディオが目を丸くして呟き、エテンもそれにこくこくと頷いた。師匠もどうやら彼女のこの能力は知らなかったらしく、朝の光では少しピンクっぽく見える巻き毛を撫でながら「うちの子は天才だな……流石ファラシアの娘だ」としみじみ言っている。


「やめてよ、お父さん。触らないで」

「えっ……どうして」

「こんなところで、恥ずかしいでしょ? 私、もう十三よ」

「まだ十三じゃないか」

「子供扱いしないで。あと一年半で成人なんだから」

「……そうか」


 手を払い除けられた師匠が肩を落とし、それを見つめたエシテがふっと僅かに目を細めた。微笑んだというよりは、どこか物悲しくて眩しそうな……神殿はとにかく信仰信仰とうるさくて話にならない人間ばかりだと聞いていたが、彼女といい医師のファーリアスといい、そんなにおかしな感じの人ではないように思う。彼らはどうやら神への祈りを捧げずに術を使う魔術師を良く思っていないらしいが、そんな神官達との確執がなくなる日は、いつか訪れるのだろうか? そうすれば、きっと今よりずっと──


「──エテン、エテン?」

 考え事が脇に逸れていたエテンは、師匠に肩を叩かれて我に返った。

「あ、ええと……何でしたっけ?」

「何もないけれど、ぼうっとしていたから。具合が悪いかい?」

「ああ、いえ……ちょっと、眠いくらいです」


 そう言ってエテンは閉じそうな目をこすって、軽く頭を振った。真夜中に起こされて、今はもう明け方だ。最近は眠りが浅くなりがちだったし……と思っていると、頭がガクッとなってまた眠りかけていたことに気づく。


「申し訳ないが、今はここまでにしてもらえるかな。部屋で休ませたい」

 師匠がエシテに声をかけると、彼女は素直に頷いた。

「わかりました。では彼の部屋の調査報告と、立ち合いの連絡をまた改めて」

「ああ」


 エテンがぼうっとしている間に大人達が手早く予定や何かについて話し合い、ルヴァルフェンサと対峙した鷲族の三人を置いて、エテン達は師匠の部屋へ戻ることになった。





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