五 エテニア記



「エテニア記って、聖典の?」

「それ以外のエテニア記を指すのだとしたら、先にそう言うわい。無駄な質問をするな」

「で、そのエテニア記がどうしたんです?」


 背中を丸めて低い位置にある手元を覗き込みながらエテンが尋ねる。後から入ってきたファロットが扉を閉めて、すっかり気後れした顔をしてファロルの後ろに隠れた。「目」の頭領である前に彼女の親戚のおじさんでもあるファロルが、苦笑すると小さな声で「先に部屋へ帰るかい?」と囁いた。


「ううん、エテンを見張ってないと」

「なんじゃお主、その娘に子守をされとるのか?」

 ラグじいさんがすごく馬鹿にした声で言った。

「違いますよ……」

「そんなようなものよ。エテン、すぐ危ないことに首を突っ込むんだもの」

「えっ、ファロット……そんな」


「ふん」

 老人は自分から話を振っておきながらくだらないというように鼻を鳴らし、エテンに聖典のページを広げてみせた。

「ルヴァルフェンサという名は、わしが付けた。ここを見なさい」


「『カヴォダ=フェンサ』……」

 指さされた文字を読み上げると、ラグじいさんは頷いた。

「当時の言葉で『栄光を集めしもの』という意味じゃ。それを栄光ではなく、『神の与えしもの』を示す『ルヴァ』に変え、『ルヴァルフェンサ』。我々は神殿の連中と違って『祝福』という言葉は使わんが、それでもやはり遺石の元となる魔力は神から授かるものであるからして。──エテニア記は、魔石を得んがために獣を狩り尽くした『神の庭』アラードの人々が、神のいかずちによって街ごと滅ぼされる話じゃ。彼奴きゃつはこの章を、わしですら呆れるほど読み返しておった。それもルア語の原書で」


「彼奴って?」とエテン。

「ルセラ」とラグじいさん。

「なぜ?」

「魔石に関して最も詳しく記載されている章ゆえじゃ。彼奴は……人が魔石のために獣を狩る意味と罪について、誰より深く理解しとった。わしにも何度も質問に来た──雷の陣は次の被害者を予告するものなぞではない。あれは犯人を指し示すルセラの伝言、これを読めばそうお主も納得するはずじゃ。つまり、容疑者が三人に絞られると」


「ええっ?」

 エテンがギョッとして大声を出し、ラグじいさんが「煩いぞ」と顔をしかめた。

「三人って、誰です」

「『白』のタナエスと『灰』のツシ。そしてそこの『瞳孔』じゃ」

「はあ?! えっ、ちょっと待ってよ! なんで!?」

 ファロルが鮮やかな色の目をまん丸くして大声を上げた。ラグじいさんが「煩い」と言う。


「いや、煩いとかじゃなくて、僕じゃないし!」

「ツシでもない」

 エテンがきっぱりと言って、老人が眉を寄せた。

「なぜ」

「彼はすごくいい人なんだ。ラグ様は知らないだろうけど」

「タナエスとて、別に悪人ではない。まあいい奴でもないが。感情的になる前に、まず話を聞け」


 静かな口調と、品定めするような鋭い目を向けられて、エテンは少し冷静になった。ゆっくり一度深呼吸をして、頭を「覚えようとする時」に切り替える。魔力が研ぎ澄まされて、段々と流れを整えながら頭を巡り始めた。魔法使いにも魔術師にもなれないエテンが唯一使える能力、「記憶」と「思考」だ。

「よし、少しはまともな目になった」

 老魔術師がしわくちゃの顔をさらに歪めながらにやりと笑い、エテンもそれに頷き返した。いかにも年寄りくさい、樫の木の樹皮のようにひび割れた声が、まるで祝祭の日の神官のように神話の教えを説き始める。



 

 

 大地の神の庭と呼ばれる土地アラードに移り住んだ女性エテニアは、ある日森の中で不思議な石を見つけた。死んだ白い鹿の腹から出てきたそれに魔力を込められると気づいた彼女の夫がそれを人々に伝え、アラードは領主の先導で街を挙げて鹿を狩り始めた。


 貴重な石の産地となった街は栄え、魔石に貯めた魔力を使って強い魔法を使えるようになった人々は、それだけ強い力を得た。次々に殺される鹿達の命を思い、エテニアが深い後悔から神に祈りを捧げる。時を同じくして、神もまたアラードの人々の行いに心を痛めていた。


 神はエテニアに預言を与え、彼女はそれを夫に伝えた。神の言葉を聞いて改心した夫は、人々へ獣の殺戮をやめて街を去るよう訴えたが、それを聞き入れた人間はほんの僅かだった。三日後、アラードは神の雷によって滅ぼされた。街を去らなかった人間は皆、街と共に滅びた。





「それで……なぜツシが容疑者なんです?」

 一通り話を聞いたエテンが問うと、ラグじいさんは「なんて馬鹿馬鹿しい質問だ、情けない」と言いながら首を振った。


「少しはおのれで考えてみろ。アラードは『神の庭』であったと言ったろう。大地の女神が地上のあらゆる木々と花々を育てたという、伝説の庭じゃ。魔石狩りを扇動した領主は、その管理者と呼ばれておった。ツシは温室、つまり『この塔の庭』を管理する仕事を請け負っとる。そいでもって、彼奴は魔石の研究者じゃ。それも、植物の」

「植物なら別にいいじゃないですか」

「わからんのか? 植物から魔石を生み出そうという研究は、即ち動物から魔石を奪う文化を滅さんと、そういう意志が裏に隠れとる」

「いや、それだけで……」

「──それよりなんで僕なんです?」

 と、ファロルが口を挟んだ。


「アラードで最も力を持っとった、つまり誰より多く獣を殺した狩人は、誰より優れた目の持ち主じゃった」

「それだけ? 目がいいとか、狩人には結構ありがちな設定じゃないですか」

「知らん」

「知らんって!」

「そいでもってタナエスじゃ。あやつはヴェルトルートにおける魔法薬研究の第一人者。災いのきっかけとなったエテニアの夫は、薬師くすしをしておった。それに極め付けは彼奴の研究しとる凝縮回路」


「凝縮回路って?」ファロットが怒った顔で訊く。それについてはエテンが知っていたので、口を挟んだ。

「魔法薬、主に魔力を回復させる薬に魔力を封じ込めるための魔法陣です。魔石と違って、水に魔力をたくさん含ませるには強く小さく圧縮する力が必要になるから。力の方向性としては逆だけど、僕の加速増幅の参考になるかもしれないって、いくつか論文を読んだんです」

「ふうん、事件とは関係なさそうだけど。魔法薬なんて発見されてないし」

 ファロットが特に興味もなさそうに頷き、ラグじいさんがその反応を見て「これだから知に関心のない者は」とぶつくさ言った。


「わしの推理はこうじゃ。まず、凝縮陣と魔力変換式を組み合わせ、魔石に……例えば火の魔力を吹き込む。そうすると、魔石は一つで通常の何倍にも魔力を含む。簡単に大量の魔力を持ち運べる」

「……なるほど?」


 エテンがとりあえず相槌を打つと、ラグじいさんは気を良くしたようにニヤッとして話を続けた。

「で、それをいくつか用意して、遮蔽布しゃへいふに包む」

 遮蔽布とは、内部の魔力を外に漏らさぬための魔法陣が縫い取られた布のことだ。これを使えば、壁の向こうの魔力を視認できる鷲族からも、ある程度隠すことができる。


「……はい」

 なんだかろくでもない推理になってきたぞと思いながら、エテンは頷いた。遮蔽布だって魔術で魔力を隠しているのだから、その魔法陣が移動する様子は見えるはずだ。中身が何かわからないだけで。


「それをこっそりと被害者の部屋へ持ち込む。そして、魔石のひとつを使ってまず部屋中に魔力をばら撒く。術でなく、ただの魔力じゃ。そうすると、上で見張っとるそこの瞳孔の目が眩む」

「はあ」

 エテンが気のない返事をして、ファロルが眉間に皺を寄せた。


「その隙に、残りの魔石をお主の増幅陣にぶち込む。すると火の魔力が爆発的に発現して、凄まじい威力の火が起きる」

「……ふうん」

 エテンは小さく言って腕を組んだ。馬鹿みたいだが、ちょっと筋は通っているような気もする。


「そうやって、魔法に見せかけた魔術を使ったと」

「いかにも」

「何のために?」

「知らん」

「……え? じゃあ、トナが握っていた魔石に刻まれた円の意味は?」

「それも知らん。わしはまだ全てを詳らかにしたわけではない。謎の一部に光を当てたというだけじゃ」

「いや、それ、光を当てたというか、当てずっぽうというか……」


 エテンが遠い目になると、ラグじいさんは怒った顔になって捲し立てた。

「だからお主を呼んだんじゃろうが! わしは知識なら誰より蓄えとるが、推理に長けとるわけじゃない。故に気概のありそうな若者に、この黄金を与えてやっとるというのに」

「え、ああ……ありがとうございます」


 怒ったと思ったら褒められて拍子抜けしたエテンがちょっとだけ照れていると、老人は喚くのをやめて深いため息をつき、じっと目を閉じて考え込んでから再び口を開いた。

「……しかしまあ、ルセラが神典の、中でもエテニア記について詳しく調べとったというのは本当じゃ。彼奴が何か、咄嗟に暗号を残すとしたら……彼奴と雷という組み合わせを聞くと、そう思わずにはいられん」

「……なるほど」

「エテンよ。エテニアの名を継いだお主が、彼奴の代わりに雷を下してやれ」

「あー、はい」


 僕の魔法名は、そのエテニアじゃなくてアルレア語の「平穏エテス」から来てるんだけどな──


 そう思ったが、偏屈なラグじいさんにしてはかなり真摯な顔を見て、言うのをやめておいた。今のはちょっと気が利いていたぞと、内心思う。


「──とにかく、ルヴァルフェンサは僕じゃありませんから。全くもう……」

 話が終わったのを察したファロルが腰に手を当てて言った。ラグじいさんは「さてな」と言ったが、この魔術師でも魔法使いでもない鷲族の男をそれほど真剣に疑っているわけではないらしく、エテン達が彼に護衛されて部屋を去るのを止めようとまではしなかった。


「……ねえ、君達まで疑ってないよね?」

 部屋から少し離れた廊下で、ファロルがおずおずと尋ねる。


「まさか。おじさまほど愉快な人ってそういないもの」

 ファロットがそう笑って、ファロルが「えっ、愉快って……それ褒めてる? 悪口?」と微妙な顔をした。確かにそういう表情や言動の朗らかさを見ていると、とても悪い人には見えない。


「まあ、ファロルは保留として……とりあえず、タナエスに話を聞きに行ってみようか。部屋も近いし」

 エテンがそう言うと、ファロットも「そうね」と頷いた。

「いや、容疑者に迂闊に近づくのはやめときなよ……」とファロルが言う。

「まだ、犯人だと思ってるわけじゃありませんよ。凝縮陣は論文として発表されてますから、本当にそれが犯行の手口だったとしても、彼にしか使えないというわけじゃないし。雷の魔法陣がエテニア記を表してるというのも、定かじゃないし」

「それなら……まあ、廊下には耳が待機してるし。ちょっと話すくらいならいいか」


 ファロルがため息をついて、「そろそろ目が疲れてきたよ」とぼやきながらタナエスの部屋がある方へ向かって歩き始めた。エテンはそれに続きながら今聞いた話をじっくりと思い返し、二つの犯行の両方が可能な人物について、深く考え込んだ。





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