資料:『スティラ=アネス神典 エテニア記』



  第一章



一 アタリヤの暦で二十を数えた年、若葉の月に、わたしは首都エナグを出て、神の庭たるアラードの地へと旅立った。


二 兄弟たちはわたしに遠方であるその地ヘ向かうのはやめるよう繰り返し言ったが、わたしは彼らの言葉に従わず、言った。


三 「ですが兄弟たち、昨夜わたしの夢に、うつくしい翼を持った人の姿が現れました。かの方は手を差し伸べると北東の空を示し、そしてわたしの瞳を見つめました。わたしは大地の民であるというのに、光の神の御使いから啓示がくだるとあれば、ただならぬことです」


四 兄弟たちはそれにこたえ、言った。「なぜわたしたちのもっとも小さな妹に、神々の言葉がくだったのか。しかしそうであるならば、わたしたちはあなたをかの地へ送り出さねばならない。エテニアよ、わたしたちの愛をたずさえてゆきなさい。神々の守りが、ずっとあなたにあるように」


五 兄弟たちはかわるがわるわたしの額に口づけすると、旅立つわたしを見送って涙を流した。わたしは荷を背負い、彼らを一度だけ振り返って、故郷を後にした。ラダの奥地アラードにたどりつくまで、五年の月日がかかった。


六 機の熟したわたしは、アラードの森のわきにある小さな村で、薬師をしている男ラバトと出会い、彼の妻となった。三人の子はラドツ、バジアタ、エタンと名づけられた。わたしは夫のために森で薬草を摘み、子らのために野苺をとって暮らした。






  第二章



一 アタリヤ暦三十年、若葉の月、わたしが故郷エナグを出てちょうど十年を迎えた日、わたしは早朝の森で、うつくしい鹿の群れを見た。


二 鹿たちは白くかがやく毛並みを持ち、白くかがやく立派な角を持っていた。彼らはかなしげにいななきながら、木漏れ日のなかに倒れた一頭に鼻先で触れていた。それはひときわ体の大きな鹿であったが、狼に襲われたのか、腹を裂かれて死んでいた。


三 わたしは夫のためにその肉と角、毛皮を持ち帰ろうと、そこへ近寄った。群がっていた鹿たちは一斉に森の奥へ逃げ、わたしはナイフを取り出して、倒れた鹿を見下ろした。


四 しかしわたしはナイフで肉を切ることも、毛皮を剥ぐこともせず、ただ驚いて鹿の裂かれた腹を見つめた。そこには氷のように透き通った美しい石が、血に染まりながら輝いていた。


五 「なんとうつくしいのでしょう。これは命そのものに違いありません」わたしは天を仰ぎ、神へ祈った。「大地の女神よ、役目を終えた命が鹿の腹の中にとどまり、このように見事な宝石になったのですか」


六 わたしはその白い鹿から立派な角を折り取ることも忘れて、夫の元へそれを持ち帰った。わたしが握ると、石はほんのわずか緑色に光っていたが、夫が手に取ると明るい水色に輝いた。


七 「これは神の祝福をたくわえておけるようだ」夫は言った。「大地の民のあなたが持っていた時は緑色で、わたしが持っている時は水色。わたしたちの中を流れる神々の祝福がこの石の中に流れ、そしてそこへとどまっているのだ」


八 わたしは驚き、そして言った。「神々はなぜ、わたしたちにそのようなものをお与えになったのでしょう」


九 夫は言った。「エテニアよ、これがどれほど人々にとって大きな力となるか、あなたは知らない。この石はいかなる宝石よりも価値がある。これひとつで、アラードを今よりずっと栄えさせるだろう」





  第三章


一 夫はさばくものであるルツシャへ石を見せ、石へ力の宿るさまを見せた。彼が握ると、石は炎のような赤に輝いた。ルツシャはそれを見てたいへん驚き、すぐさま狩人たちを集めて、白い鹿を狩るよう言った。


二 鹿の腹の中には、わたしが見つけたものと同じ石が入っていた。ルツシャたちはこれを喜び、石と宝石とを金の鎖で連ねると、それを首に飾った。石は各々の祝福の色にかがやき、いくつも持ったものはより大きな力を得た。人々は石に蓄えられた祝福の力を使ってより強い光をともし、より多くの水を出し、より大きな火を起こすことができたからだ。


三 石を得たものは集めしもの[フェンサ]と呼ばれ、なかでも特別多くの石を持っているものは栄光を得しもの[カヴォダ=フェンサ]と呼ばれた。


四 また、わたしと同じ大地の祝福を持ったものは皆、畑に豊作をもたらすことができた。人々はこれをたいへん喜び、麦を植えるものたちに大きな石を与えた。雪の深いアラードの地は、その年からどこより麦の穫れる土地になった。


五 人々が鹿を狩るほど、アラードは栄えた。みな夜通し火を焚いて、鹿の肉をたべ、麦酒を飲んで暮らした。腕の良い狩人たちは、皆アラードで高い地位についた。千ダール離れたところから獲物を見つける特別な目を持ったアデンは、さばくものの次に偉い人間になった。


六 鹿たちが狩り尽くされると、人々は他の森の獣を狩り始めた。森には石を持った獣が何種類もいて、人々は次第にその肉を食べきれず、毛皮を余らせるようになった。





  第五章


一 獣の声が途絶えた森を見て、わたしは強く悔やんだ。わたしは涙を流し、大地の神に祈った。「わたしが夫に石を渡したことで、人々は森の獣たちを全て狩ってしまいました。大地の女神テールよ、どうかわたしをお許しください。そしてわたしに彼らを止める力をお与えください」


二 すると大地の神はわたしの祈りをお聞きになり、その日の夜、夢に現れてこう告げられた。「エテニア、大地の子よ。わたしはあなたに、森を豊かにする石を授けた。しかしあなたの夫やさばくもの、狩人たちが、この力をおのれの利益のために使い、森の獣を滅ぼした。わたしはこの行いを憂い、光の神へこれを相談した。光の神は私の願いを聞き入れ、三日の後に、この地へ大きな光を落とすと告げられた。エテニアよ、これを人々に伝えなさい。あなたの言葉を聞くものたちを集め、ファラスの地へ逃げなさい」


三 私は次の日の朝に目覚めると、これを夫に伝えた。夫はすぐに子どもたちを連れて荷物をまとめ、旅立つ準備をして、ルツシャにこれを話した。


四 「ルツシャ、さばくものよ。三日の後に、神の怒りがこの地を覆います。私たちが森の獣を全て狩ってしまったからです。大地の神は、私たちに北のファラスの地へ逃げるようおっしゃいました」


五 しかしルツシャは言った。「わたしはこの豊かなアラード、神の庭の管理者である」


六 地位と富とを惜しんだルツシャは神の言葉を広めようとしなかったので、夫は彼の元を去り、人々にこれを広く伝えた。彼の言葉に従ったものは、アラードの人々のうち一割であった。


七 三日の後、アラードに神の雷が降った。光の柱は街の全てを覆った。アラードの街は滅び、富を捨てられなかったルツシャやアデン、多くの狩人たちも滅びた。




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