七 雷の魔術師



「──ねえ、エテン君。犯人かもしれない人じゃなくて、何か物音を聞いた人とか、そういう人を探した方がいいんじゃない?」

 それまでずっと静かに後ろをついてきていた鷲族のラプフェルが不意に口を挟んだ。


「もちろんそれもやりますよ。でも、犯行現場の上下三層の住人は、まとめてどこかに移動しているんでしょう? なら鷲族の人達が既に調査をはじめてるはずだ。だからとりあえず、知っている人の中で気になる人から」

「その部屋の住人のトナも、君達がご飯を食べてる間に一通り質問は受けてるよ」

「え?」


 エテンはそれを聞いてがっかりしたが、しかしだからといって調査結果をプラディオ達が回してくれわけでもない。まあ関係ないかと思い直して、突き当たりにある容疑者の部屋を戸を叩く。


「トナ、いますか?」

「……はいはい、今度はなあに?」

 扉の向こうから疲れた声が返ってきた。これはあまり協力を期待できないだろうか?


「エテンです。事件について聞きたいことが」

 そう言ってみたが、扉が開く様子はない。

「エテン……ああ、増幅陣の坊やか。金属製のもの、身につけてない?」

「たくさんある!」

 口を開きかけたエテンの後ろから、ラプフェルが声を上げた。


「なら全部外して、廊下の端に置いて」

 扉越しの声がきっぱりとそう言ったので、エテンは少し考えて、端に金属の飾りがついたローブの帯を外し、万年筆をポケットから取り出した。言われた通り廊下の隅に置いておこうと振り返って、ラプフェルがその細身の服のどこにそんなものをという数のナイフを次々に取り出して積み重ねているのにぎょっとした。


「……え、鷲族の人って常にそんなの持ち歩いてるんですか?」

「うん。そりゃあ、護衛だから」

「へえ……」


 かっこいいな……と思いながら彼女が全部の武器を出し終わるのを待って、部屋の主にもう一度声を掛ける。すると「本当に、全部出した? お守りのコインとかも持ってない?」と返答があってから、細く扉が開く。


「……大丈夫そうだね。入っていいよ」

 出てきたのは黄色っぽい髪の毛がぼさぼさに広がっている──というか爆発している──すごい髪型の女性だ。そろりと皆を見回してから扉をもう少し開け、皆を中に招き入れる。


「すみません、ペンか鉛筆をお借りできますか? 万年筆を置いてきてしまって」

 エテンが言うと、灰色ローブの似合わない魔術師トナは振り返って言った。

「羽ペンでいいなら。銀のペン先がついてるやつじゃなくて、羽の軸を削ってある原始的なやつ」

「それでいいです」


 エテンは頷いて机の上の羽ペンとガラスのインク壺を借り受け、そしてやたら焦げついている薄茶色の絨毯の上を歩いて、勧められたソファに腰掛けた。ソファの座面にも、大きな焦げ跡がある。


「……これは、あなたが?」

 エテンが尋ねた。トナがうんと頷く。

「あ、でも安心して。今日はわりと落ち着いてる日だから」

「そうですか」


 トナは世にも珍しい、放電体質の魔術師だ。真夏の積乱雲のように体にいつも電気が溜まっていて、ちょっとしたものにすぐ小さな雷を落としてしまう。雷の魔法陣と聞いてエテンが真っ先に思い浮かべたのがこの人だった。


「事件について鷲族の方にお話ししたことを、もう一度僕にも教えてもらえますか」

 エテンが手帳と羽ペンを構えてそう切り出すと、トナは彼とその隣に座ったファロットじっと見つめ、合点がいったという様子で少し笑顔になった。


「ああ、探偵ごっこか。私も好きだよ、『灰色の棺』とか。小さい頃よく読んだなあ」

「探偵マシエラですか! 魔力を持たない私立探偵が、科学の力で犯人を追い詰める。僕も彼のことは尊敬してます」

 エテンが嬉しくなって言うと、トナもにっこりして頷いた。

「そうそう。円環紋の首飾り、欲しかったなあ。『叡智の神は今回も私に味方をしたようだね、犯人君』」

「わかります!」


 エテンは前のめりになって声を弾ませながらも、心の中でこっそり「彼女は怪しいかもしれない」と考えた。マシエラシリーズの読者だということは、証拠物件についても知識があるはずだ。エテンの推理を先回りするように部屋を浄化した犯人の行動は、大きな術を動かしていながらあまり魔法使い的ではない。彼女なら──


「いいよ、協力してあげる。といっても私は犯人じゃないからね?」

「その証拠は?」

 エテンがすかさずそう訊くと、隣のファロットが小声で「ねえ、失礼よ」と言った。それを聞いたトナが「いいよ、いいよ。ニコニコしながら裏で疑われるよりずっと気持ちいい」と言う。なかなか話のできる人のようだ。


「証拠はこの焦げ跡です、探偵さん。私が魔術師なのは、他のみんなみたいに頭が良くて魔法陣を組むのが得意だからじゃありません。この制御不可能な暴れ雷をなんとかするために、魔術を覚えたんです」

 いかにも参考人っぽい口調でトナが言う。ちょっとからかわれているような気もしたが、案外こういう話し方の方が話の内容が整理されていてわかりやすいのでよしとした。


「ふむ。その落雷を制御するための魔術、と」

「ええ、そうです。この、ところかまわず金属にならなんでもバチバチしてしまう雷は魔法なんですが、例えば火の魔力を持つ人の中に怪力を抑えられない体質の人間が生まれるように、私のこれも体質的なものです。光の魔力が勝手に静電気を生み出して、どんどん帯電して、どうしようもないんです。魔法を使おうとすると全部雷になってしまうので、描いた紋様通りに術が発現する魔術しか使えないってことです。犯行現場に全く残滓が残らないみたいなのは、私には無理ですね。こないだも丁度、食堂の椅子を一脚丸焦げにしてしまいました」


「へえ!」

 めちゃくちゃ面白い体質だなと思って、エテンは夢中で手帳にメモを取った。

「どのくらい高電圧になるんですか?」

「それこそ雷くらいだよ。特別やばい時は三百万とか」

 エテンが素の口調に戻ると、トナも普通の喋り方になって言った。


「トナ、今度僕の研究について少し意見を聞かせてくれませんか? 体内でどんどん強い電気を生み出す仕組みが、もしかしたら何かヒントになるかも」

「いいけど、探偵ごっこはもういいの?」

「あっ」

 そうだった。エテンは呆れられていないかとファロットの方をそっと見て、彼女が苦笑しながらこちらを見つめているのを確認すると、がっくりしながら次の質問をした。


「……では、あなたの研究内容について、お聞かせください」

「これだよ」

 するとトナがポケットからひょいと丸く磨いた魔石の玉を取り出した。この大きさならおそらく魔獣のものだ。被害者ルセラは魔獣の研究者だったが、彼女もそうなのか?


「これは?」

「見てて」

 トナが透明な玉をきゅっと握って魔力を流す。すると魔石の表面にうっすら淡い黄色の光で魔法陣が描かれ、そして魔石の内部に……どう説明したら良いのだろう、紫色のうねうねした光の筋が何本も現れた。


「……何です、これ?」

電離気球でんりききゅうって私は呼んでる。触ってみて」

 エテンがおそるおそる魔石の表面に触れると、うねうねしていた光の筋の端っこが一斉にエテンの指先に集まって揺れた。


「うわ」

「面白いでしょ?」

「……何です、これ? 用途は?」

「え、面白いじゃない」

「え?」

「これがもっと面白い感じでうねうねしたり、違う色に光ったりしないかなって研究してるの。魔獣じゃなくて幻獣の魔石を使ったり」

「人間の遺石を使ったり……」

 エテンがその続きを言うと、トナは妙な玉をファロットとラプフェルにも触らせてやりながら、なんと首を縦に振った。


「そうだね、いずれは。けどね、エテンも知ってるかもしれないけど、研究のためなら遺族の同意を得て献石けんせきをいただくことができるの。提供者は同じ研究者同士なことが多いけど、月の塔の術者ならみんなそうやって正規の手段で手に入れる。人を殺して奪う必要なんてない」

「研究の目的があまりにバカバカしいから、誰も石を譲ってくれないと思って……」

「ちょっと、失礼だな! 面白いっていうのはすごく重要なことだよ。そういうのが人の心の闇を退けて、世界を平和にしていくんだから」

「……まあ、そうかもしれません」


 一理あるなと思って頷くと、トナは「おっ! 君、話がわかるじゃない!」と機嫌を良くして、エテンとファロットに一つずつ電離気球とかいう変な玉をくれた。するとラプフェルが小さな声で「私も欲しい。弟と遊びたい……」と言うので、彼女は嬉々として一箱どさっと「鷲族のみんなに配って!」と持ち出してくる。


「……じゃあ、ありがとうございました」

「うん。また今度、研究の話を聞かせにきてよ」

「ええ、近いうちに」


 エテンはそう言って、自分の研究に少し次のとっかかりが見えたことを喜びながら彼女の部屋を後にした。トナの話には引っかかる点もいくつかあったが、なんとなく彼女は犯人ではなさそうだと感じていた。魔法を制御できない体質のこともそうだし、あんなに陽気な研究をしている人間が、あんな凄惨な人殺しなんてしないと思ったのだ。





 そして、エテンのその証拠のない推測は当たっていた。その晩遅くに第二の被害者が出たのだ。塔全体を覆い尽くすような濃くて白い煙は、トナの部屋の扉の隙間から漏れ出していた。





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