六 エルフ



 怖がらせてしまうかと思ったが、ファロットはそれが猟奇的な殺人事件だと言われても、助手になるのをやめるとは言い出さなかった。エテンはそれにほっとしながら事件の詳細を彼女に説明したが、流石は白ローブの娘であり弟子だからか、それとも単純に子供だから恐ろしさがわかっていないのか、彼女はルセラの死に様に痛ましそうな顔をしたものの、それほど恐れる様子はない。


「現場の調査は一通り終わったんだから、まずは聞き込みに行くのがいいと思うんだ」

 エテンがパンを齧りながら言うと、師匠が「あまり無茶をしてはいけないよ」と口を挟む。

「大丈夫です」とエテン。

「今は塔全体を『目』達が監視してる。危ない橋を渡っているような報告が来たら、連れ戻すからね」と師匠。

「大丈夫よ、お父さん。私が見てるから」とファロットが言う。

「なら安心かな」と師匠が笑う。


 食事を終えたエテンは、自分の研究机に行くと覚えている限りのことを全部紙に書き出した。時折師匠やファロットの話に相槌を打ちながらものすごい速さでペンを走らせるエテンを、師匠が感心したように覗き込む。


「かなり記憶と出力のコツを掴んできたね、エテン」

「覚えておこうと思ったことを一、二時間記憶しておくくらいですが。覚える時に意識しておかないと、まだ全然」

「無意識のうちに全部覚えてひとつも忘れないようなのは、それこそ賢者様くらいの叡智の祝福がないとどうしようもないよ。君の能力は記憶じゃなくて推理とか予測とかそういう方向に優れているから、その年でそれだけできれば十分じゃないかな」

「そんなに褒めても、その魔法陣の組み立ては手伝ってあげませんよ。僕はこれを終えたら聞き込みに行くんです」

「おや、残念」


 師匠が肩を竦めて自分の机に戻り、ずらずらと長い回路が連なった魔法陣との睨めっこを再開する。しばらく悩んでいたようだが、少しすると「例の件で、会議に行ってくる」と出かけていった。エテンは資料をさっと書き上げてしまうと、それを大きな封筒に入れて表に「ルセラ殺害事件」と書き記し、自分の机の前の本棚の端に滑り込ませた。


「じゃあ、行こうか」

「その前に、エテン」

 エテンが張り切って探偵風のメモ帳や万年筆を準備していると、ファロットが腕を組んで彼の前に立ちはだかる。

「何?」

「あなたは、何も隠していないわね?」

「え? うん。どうして?」


 じっと見つめてくるファロットを見つめ返す。いつも明るく輝いているその瞳が、今は少し吸い込まれるような深い色をしている。この妹弟子がこんな感じで妖精かなにかのように見える時は、彼女がとても集中している時だ。


「……うん。疑いは晴れました」とファロット。

「疑うって、まさか僕が犯人じゃないかとか、そういうこと?」


 少しショックを受けながらエテンが尋ねると。ファロットは深々と頷いた。

「探偵たるもの、身内だって疑ってかからなきゃならないでしょう?」とファロットの得意げな笑み。こういう少し俯き気味で瞳だけ楽しそうにキラッとさせる顔は、エテンと師匠しか知らないんだ、と思う。


「……その通りだ。君は地の魔力しか持っていないのに、どうしてそんなに賢いんだろう」

 エテンが心から称賛すると、ファロットは悪戯が成功したような顔を更に深めた。

「……勉強してるからよ。努力っていうのはね、何より大きな力になるの。神様に特別な才能の種をもらったって、お世話しなきゃ花は咲かないのよ。エテンだって、才能にかまけてサボったりしたらすぐに追い抜かれるんだから」

「そうだね」


 エテンが微笑むと、ファロットも微笑み返して「行きましょう」と言った。廊下に出ると、さっきのおじさんではなく別の灰装束の女性が「護衛します」と言ってついてくる。家族以外の人間が現れた途端、ファロットが俯き気味だった顔を上げてピシッと背筋を伸ばした。


「師匠に頼まれたんですか? ええと」

「ラプフェル、『耳』よ。よろしくね、ファロット、エテン」

「こんにちは、ラプフェルさん。塔の中でも護衛が必要なんですか?」ファロットが礼儀正しく尋ねる。

「犯人が捕まってないからね。子供達は大人の付き添いがないと移動しちゃいけないことになった」


「なるほど」

 それはめんどくさいなと思いながらエテンが頷くと、ラプフェルは「まあ、何も起きていない間はあんまり気にしなくていいよ」と言ってエテン達より二、三歩後ろに下がる。そうすると不思議なくらい人の気配を感じなくなって、エテンは思わず振り返って彼女が消えていないか確かめた。ちゃんとそこにいた。鷲族の人達のこういう暗殺者みたいな謎の技術は、いつか教わってみたいと密かに思っている。


「まずは、ルーフ様に会いに行ってみよう」

 そう言うと、ファロットが首を傾げた。

「ツシじゃなくて? ツシの疑いが晴れるように、証拠を掴むって言ってたじゃない」

「うん。ツシは夕方まで取調べを受けるって師匠が言ってたから、明日にしようと思ってる」

「ふうん……でもルーフ様って、あのエルフの?」

「そう。現場の様子から、犯人は強い風持ちの可能性と水持ちの可能性の、両方が浮上してた。犯人が複数じゃないなら、妖精みたいにものすごく強い魔力を持った存在じゃないとあんな芸当は無理だ」

「……あの人達は、違うと思うけど」


「ファロット、一番いい人に見える人が犯人だったりするんだ」

 エテンが助言してやると、ファロットはうーんと首を更に深く捻ってから、おずおずと首を振った。

「……いい人とか、そういうことじゃないの。あの人達は……たとえ誰か殺してしまったとしても、それを隠すような感じじゃないわ。そもそも悪いことだと思っていなさそう」

「つまり、ものすごく堂々とした悪い人ってこと?」

「ううん。そういうんじゃなくて……エテンも会ってみるといいわ」


 「頭」のプラディオと似たようなことを言ったファロットは、そのままトントンと弾むように廊下を走ると、師匠の部屋からいくつか離れた部屋の扉をノックした。返事はなかったが、ひとりでにギィと扉が開く。


「ルールルーさま、こんにちは」

 ファロットが中を覗き込んで言うと、扉の隙間の向こうから幽かに「……こんにちは、ファロット」と聞こえてきた。ものすごく小さな、ほとんど囁き声みたな声だ。


「……ルールルーさま?」

 エテンが疑問を口に出すと、ファロットが「エルフ流の愛称なんですって。本名はルールミルエルマルーシュ様っていうの」と言った。

「ふうん、すごい名前だね」


 エテンはいまいち納得いかないまま、少女の後ろからひょいと顔を出して中を覗いた。と、思ったよりも近くに大きな人影があって、ビクッとして一歩下がる。


「……あ、ハシバミの子だ」

 人影が小さな声で言った。見上げると、天井に届きそうなくらい背の高い、キラキラした神秘的な銀髪のエルフがエテンを見下ろしていた。


「……ハシバミ?」

「目が、ハシバミ色をしている」

「あ、はい」

 エテンが頷き、エルフが少し目を細めて「少しどんぐりに似ているけれど、かわいい木の実だね」と言った。


「……はい?」

「……ハシバミの実」

「あ、ええ。確かにドングリに似てますが」

「ハシバミの実が半分熟れた、緑と茶色の入り混じる、美しい色合い」

「……え?」


 エテンは困惑してルールルーという間抜けな愛称のエルフを見上げ、そして彼の後ろに視線を移した。部屋の中はとにかく大きくてふわふわしたクッションが山のようにあって──そのうちの一つにルールルーとそっくりに見える長身で耳の長いエルフがもたれかかり、その人の膝の間にエテンと同じ年頃に見える子供のエルフが座り、その子の膝の間では五歳くらいの幼いエルフが丸くなってすやすや眠っていた。要するに大中小と三人重なっているのだが……なんだろう、既に犯人は彼らの中の誰でもないと、エテンは半ば確信していた。


「……昨夜起きた殺人事件について、何かご存知ありませんか。物音を聞いたとか、小さなことでもいいんです」

 エテンが一応尋ねると、エルフはゆったりと首を傾げた。

「さあ……その階層はここから離れているからね。特に気になる音はしなかった。けれど、その人間が私の愛するものを傷つけようとこちらまで上がってくるのなら……私は絶対にその足音を聞き逃さない」


 淡いラベンダー色をした、人間と違って白い部分のほとんどないエルフの瞳が、その瞬間ぞっとするくらい剣呑な光を帯びた。ふとすぐそこに、彼……だか彼女だかわからないがエルフの手の届く範囲に、クッションだらけの部屋にはあまりに場違いな弓と矢筒が立てかけられているのに気づいて、エテンはそれから目が離せなくなった。


「……あの、それ」

「弓だよ。敵は排除しなければ」

「……室内で弓は不向きだと思いますけど」

「そうでもないよ」

「魔法や魔術は使わないんですか?」

「それは、楽しいことに使うものだ」

「……そうですか」


 確かに「森の民」とも呼ばれるエルフは、弓がとても得意な種族だと聞く。しかし考えてみれば彼らは肉を食べない、つまり狩猟をしない種族のはずだ。そんな彼らが弓を向ける相手とは……とそこまで考えて、エテンは身震いしながらエルフの部屋を後にした。珍しく、退出の挨拶をするのを忘れなかった。


「ね、言ったでしょ」

「そうだね。確かに……あんまり穏やかではないけれど、手の込んだ証拠の隠蔽なんてしなさそうというか……気に入らない奴がいたら堂々と殺しそうだ」

「でも、普段はとっても優しくてふわふわしてるいい人よ」

「へえ」


 とてもそうは思えないと考えながら、エテンは昇降機に乗って白の区画を離れ、自室の近くまで降りてきた。彼らでないとなれば次に怪しいのは彼女だろうと、目星をつけていた人がいるのだ。





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