五 ファロット



 封鎖されている廊下を抜けて、塔の真ん中を突き抜ける中央昇降機に乗り込む。大きな鳥籠が風の魔術で上下するそれに乗るのがエテンは好きだったが、今はとても周囲にきらめく魔法陣の光を観察するような気分ではなかった。


 長老の部屋は上から数えて三層の百六十八階にあるが、昇降機は百六十四階、つまり「白の区画」の最下層のひとつ下で止まった。そこから上は吹き抜けになっておらず、廊下の入り口には鷲族の見張りが立っている。ここはこの塔で一番警備の厳しい場所だった。本来なら灰色ローブのエテンは立ち入れぬ場所だが、「白」の弟子なので特別に許可をもらっている。


「おかえりなさい」

 昇降機を降りると、薄い灰色の服を着た「目」の女性が明るい笑顔で師匠を出迎えた。夜は黒、朝昼は灰色の装束を着るのが彼らの中の決まりごとだ。下で慌ただしく働いているプラディオ達は着替える暇がなかったようだが、こちらはいつも通り夜明けと共に当番を交代したらしい。


「ただいま」

 師匠が微笑み返すと、緑の目が二人の魔術師をじっくり上から下まで見つめた。魔力の色や輝きの強さを透視して、本人確認をしているのだ。

「はい、確認できました。どうぞ」

「ありがとう、ファリル」

 師匠がもう一度微笑んで、ついさっき挨拶ができないとたしなめられたばかりのエテンもその横で曖昧な笑顔を浮かべた。ファリルと呼ばれた鷲族の女性が、エテンの頭を見て「ふふっ、すごい跳ねてる」と笑う。


「……あ」

 すっかり忘れていた。神官様とあれこれ話していた時もずっとこれを見られていたのだと思い当たって、エテンは少し顔を赤くした。師匠が振り返って「大丈夫、いつものことだよ」と言う。


「……そんなにいつも跳ねてます?」

「いや、三日に一度くらいかな。君はそういうのを気にしない質なのかと思ってたよ。恥ずかしいなら、着替えた後に一度くらい鏡を見たらどうだい?」

「……そうします」


 すっかり嫌な気分になって階段を上り、長老の部屋の前に来る。扉の前に「長老のおへや」と書かれた可愛らしい板が下げられているのを見つめ、エテンは相変わらず変な趣味だなと思った。


「お入り」

 ノックをする前に中からそう言われたので、師匠が「失礼します」と言いながら戸を開けた。入ってすぐのところは広い居間だ。ふかふかした赤いソファに色とりどりのクッション、テーブルの上にお菓子の山、壁際の本棚には絵本がぎっしり。その中を、小さな子供達が何人も駆け回ったり、ソファに寝転がって本を読んだり、ビスケットを食べたり、長老の長い髭を三つ編みにして赤いリボンを結んだりしている。ここは常日頃から「白」を親に持つ幼い子達の溜まり場だが、今日は一段と数が多い。どうやら月の塔中の子供が集められているようだった。


「ちょうろうさま、ぼく、あしたもここに来たい」

「いいとも、いいとも。毎日おいで」

「だめだ。下の談話室で遊びなさい」


 男の子の願いにあっさり頷いた老人を、部屋の隅に立っている赤毛の鷲族の男がじろりと睨む。

「フィアル、子供達を入れたところで問題はないじゃろう。こんなにいい子達だ」

「それを許したら、貴方は次の日にはこう言うでしょうね。『月の塔の術者達はみんな良い子ばかりじゃよ』と。何のためにここの守りを堅くしてるとお思いで?」

「……確かに、言うかもしれんのう」

「全く」


 鷲族の族長は深々とため息をついて、「フィアルもソファにお座り」と長老が言うのをちらりとも見ずに無視した。鷲族の人間は明るくて愉快な人間ばかりだが、この族長の一族である「頭」の人達だけはかなりしっかりしているので、こうして塔の番人として統制の取れた動きができるのだ。


「あっ。お父さん、エテン」

 その時、部屋の隅の書き物机の方から声がして、エテン達はそちらに目を向けた。赤っぽい金髪を後ろで一本の三つ編みにした少女が、急いで本に栞を挟み、ノートとペンを纏めると早足でこちらにやってくる。


「じゃあ叔父様、私は帰ります」

「ああ、お疲れ様」

「長老様、ありがとうございました」

「うん。またおいで、ロット」

「はい。また薬草について教えてください」

「もちろんじゃとも」


 ファロットは部屋の大人達に丁寧に挨拶すると、エテン達の前に立って「おかえりなさい、二人とも」とにっこりした。やっぱりファロットはしっかりしているなあと思って、そのキラキラした笑顔をあんまりじっと見すぎないように、でも前髪の陰から少しだけ見つめる。


「うん、ただいま。部屋へ帰ろうか、いや、その前に食堂かな」

「私、もうここで朝食をいただいたわ」

「おや、そうか。なら私とエテンは部屋で食べるとしよう」

 師匠が微笑んで娘の頭を撫で、長老に軽く礼を言って退室した。エテンもその後に続いてから、また挨拶し忘れたと気まずい気分になる。


「叔父様、相当疲れてたわ。子供達の前では何も言わないようにしてたみたいだけど、『目』や『耳』達が何人も出入りしてた」

 十三歳の輝くような美少女ファロットは、早くに亡くした母親──エテンは会ったことがない──が鷲族の「頭」だったそうだ。故に彼女は師の娘でありながら鷲の族長の姪であり、イフィアルのことを「叔父様」と呼ぶ。鷲族はみんなとても小柄だが、師匠はとても背の高い人なので、ファロットの背丈は鷲の血が入っている人間には珍しく、女の子にしてはちょっと高めなくらいだ。


 でも、エテンよりは少し小さくて良かった──彼は隣を歩く少女の巻き毛を見下ろして、こっそりそう考えた。でも、もっと自分の背が高い方が並んだ時に格好いい。あとどのくらい伸びるかな。十四歳だから、男の子はこれからのはずだよな。


「エテン、考え事?」

 師匠よりもずっと鮮やかな水色の瞳に真っ直ぐ見上げられて、エテンは少しだけ困ってしまいながら首を振った。

「……いや、何でもないよ。犯人について、少し推理していただけ」

「犯人について? エテン、何か知っているの?」

 人形のようにぱっちりしていてまつ毛の長い目が、すごく綺麗な色に光った。尊敬の眼差しに、背中のあたりがむず痒くなる。


「現場検証に立ち会ってきた。後で推理を聞いてくれる?」

「現場検証ですって? もちろんよ、エテン! すごいわ、エテンの賢さが大人の人達にも認められたのね。お父さんの言ってた通りよ!」

「そうでもないよ。はじめの鑑識を一通り引き受けたはいいものの、結局未成年だからって報告書だけ奪われて、捜査から外されたんだ。でも、塔には捜査に関して基本の知識もない人ばかりだ。何とかして──」


 視線を感じて見上げると、師匠が微笑ましげというか、生あたたかい目をしてエテンを見ていた。急に今までの会話の全部が恥ずかしくなって、壁の上の方に彫られている装飾をじっと見る。

「おや。私のことは気にせず、続けてくれ」

「……師匠」


 その顔はやめてくださいと小さな声で言うと、師匠は楽しそうに笑い声を上げて「朝食をもらってくる。先に研究室へ行っておいで」とエテンに鍵を投げてよこした。するとどこからともなく「耳」のおじさん──鷲族は皆若く見えるので、もしかするとおじいさんかもしれない──が現れて、「お二人は私が部屋まで護衛します」と言う。

「頼んだよ」

「もちろん」


 師匠が厨房直通の小型昇降機がある給湯室の方へ向かい、エテン達は階段を上がって「耳」のおじさんに礼を言ってから、師匠の研究室の鍵を開けた。広い部屋には師匠の大きな机と棚の他にも、エテンとファロット用のそれより少し小さな研究机が置いてある。そして部屋の真ん中には資料を広げて会議をしたり、簡単に食事をしたりもできるテーブルがあった。昨夜から置きっぱなしになっている書類をいくつか片付けて、朝食をとれるように場所を開ける。


「──それで、さっきの続きなんだけど」

「……うん」

 エテンが作業しながら話しかけると、ファロットが小さく頷いた。

「僕は現場から外された。けど、部屋から外に出るなとは言われてない。現場の状況や見せてもらった解剖の資料は頭に入ってる。それを覚えているうちに書き出して、僕は僕で独自に調査してみようと思う」


「……どうして、エテンが?」

 ファロットがすごく小さな声で言った。部屋にエテンと師匠しかいない時の彼女はいつもこんな調子なのだ。きちんと挨拶をして誰とでも丁寧に話す彼女はいつもみんなに褒められているが、そのせいで外では「きちんとしていなくちゃ」と思いすぎている感じだ。「エテンと足して割ったら丁度いいのにね」と師匠がよく言っている。


「……僕が考えなしに推測を言ったせいで、ツシが容疑者に上がってしまったんだ。でも、彼な犯人なわけがないから、証拠を見つけないと。子供だからって無視できないような、完璧な証拠を」

「私も、手伝うわ」

 くるくるした夕焼け色の髪の毛を指先でいじりながらファロットがそっと言ったので、エテンは嬉しくなって彼女に微笑みかけた。


「本当かい? 危険があるかもしれないよ」

「大丈夫。エテンと一緒だもの」

「そ、そうかな?」


 エテンはうわずった声でそう呟いて、そして軽く咳払いをすると幼馴染の少女へ厳かに告げた。

「それならファロット、今から君を僕の助手に任命しよう」

「探偵の助手ね。任せて」


 ファロットが実に可愛くニコッとしたのを食い入るように見ながら、エテンは頷いた。

「ああ……うん。そう。よろしく頼んだよ」

「もちろん。でも、エテン」

「ん?」


 ファロットが少しだけ首を傾げて不思議そうにこちらを見るので、エテンも少し我に返って見つめ返した。彼女は薔薇色の小さな唇を開いて囁くようにこう言った。


「それで今朝……どんな事件が起きたの? 私、まだ何も聞いてないのよ」





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