四 検死結果



 それからいくら調べても手掛かりらしきものは何も見つからなかったので、エテン達は元の談話室に戻って暖炉に火を入れ直した。大人達はお茶を飲みながらルセラの葬儀や遺族への連絡について話していて、それをぼんやり聞いていると……なぜだかわからないが、少しずつ手が震えてくる。


「……ちょっと、大丈夫?」

 マシュに話しかけられて、ふっと顔を上げた。

「……あ、ええ。別になにも」

「あんな遺体を見たんだもの、今になって怖くなってきたんでしょう? 無理もないわ」

「いや、別にそこまで……心配されるほどじゃ」

「紅茶ではなく、温かいミルクにしておきなさい」

 そこに師匠の声が割り込み、マシュが頷いて隣の給湯室へ走っていった。五階層おきにしか給湯室にミルクは置いていないが、ここは丁度「ある階」だったのかもしれない。


 そして、隣の部屋から「うわぁ、吹きこぼれた!」という悲鳴が聞こえて青い瞳のファラフィルが笑いながら助けに行った頃、鷲族の護衛だか見張りだかをぞろぞろ引き連れたファーリアスが談話室に戻ってきた。もう数時間はかかるだろうと思っていたのに、えらく早い。休憩だろうか。


「ねえ聞いてよ……この人、とんでもないお医者さんだった。『とはいえ、私は臨床医ですからね』とか言いながらさ、傷口をちょこっと覗いただけで、後は手も触れずに全部終えちゃうの」


 鷲族の一人が興奮した様子で言うと、ファーリアスは首を振った。

「先程も言いましたが、『目』の方が付き添ってくださったからそれが可能になったんですよ。本来なら死因となった術の残滓を消してしまわないように、魔力を一切遮断して執刀しなければならないんですから。あなた方のおかげで、遺体にあれ以上傷を作らず済みました」

「いや、褒めてくれるのは嬉しいけど……神官様だってさあ」

「それに、顕現術によって成された事柄は全て神の御力の顕現です。私が凄いんじゃありません」

「うーん、それでも」

「それで、結果をお伝えしたいのですが」


 更に褒められるのを遮るためか、ファーリアスがさっとエテン達の方を向いて言った。この場で最も高位の師匠が頷くと、神官様はびっしりと文字が書かれた紙束を手に、少し疲れた様子でソファへ腰掛ける。カップの並んだ盆を手に戻ってきたマシュがおずおずと彼に黄色いヒヨコ柄のマグを差し出し──師匠が「客人には紅茶でしょう」と遮ったが、どうやらかなり優しい人らしい神官様は「いえ、頂きます」とやたら可愛らしい意匠のそれを受け取った。エテンにも苺柄のが回ってきたので、礼を言って両手で包み込み、ふうふうと冷ます。


「死因はやはり、腹部の傷でした。全身が麻痺するような気の術をかけられています──いえ、加害者の魔力の残留はありませんでしたが、必死に抵抗したのでしょうね、脳の一部に僅かな損傷があって、その部位から特定できました。かわいそうに、体が動かないだけで犯行の間も意識ははっきりしていたと思われます」

 ファーリアスが祈るように胸に手を当て、鷲族達が小さく首を振った。師匠は難しい顔のまま「他にわかったことは」と問う。


「いくつかありますが──まずはこれを」

 紙束の中の一枚が差し出され、皆が重なり合うようにしてそれを覗き込む。そこには手のひらを上にして開いた状態の右手が描かれていて──


「……これは、雷の術だね」

 師匠が呟いた。エテンが頷いて補足する。

「落雷のように陣から雷を打ち出す術です。これは?」

「被害者が右手を固く握っていたので、死後硬直を少し緩めて開いてみたのです。すると、手のひらにこれが焼きつけられていました」

「焼きつけられて?」

「ええ。焼きごてを押し当てたように、皮膚を焼いて描かれた線です」


「……ルセラが犯人を撃とうとしたってことかな?」

 誰かが言って、プラディオが首を傾げる。

「いや、それで成功しても失敗しても、魔法陣型の傷なんて残るかな? 普通に火傷になるだけじゃないかと思うけど」


 皆の視線を受けて、師匠が頷く。

「そうだね……例えば隙をついて撃ってやろうと、あらかじめ手のひらに陣を描いておいたと考える方が自然かな。魔力を流すだけで瞬時に使えるように、魔導書の代わりを作ったんだ。でも、だからといって意図的なものである可能性が無いとは言えない。ルセラが死の間際にそれを残したか、或いは犯人からのメッセージか」


「何にせよ、酷い苦痛を伴ったことは間違いありません」

 ファーリアスが考えるのもおぞましいという様子で一度きつく目を閉じ、そして元の医師らしい顔つきに戻って報告を続ける。

「帝王切開の傷口に似ていると言いましたが、子宮に損傷はありませんでした。その他の内臓にも、一切。ただ傷口に何か、指や道具を入れて押し広げたような様子が見受けられました。これはあくまでも推論ですが……犯人は被害者の腹を敢えて生きたまま裂き、遺石いせきが生成する様を見守っていた可能性があります。或いは考えたくもありませんが、被害者にそれを見せていたか」


「……遺石って、つまり人間の魔石のことだよね?」

 小さな声でそっと、ソファの上に丸くなって温めたミルクを少しずつ飲んでいたファラフィルが尋ねた。因みにぶち猫模様のカップだ。


「少々不謹慎な言い方をすれば、そうです」とファーリアス。

「なぜそのような推察を?」と師匠。


「遺体から、遺石が紛失しています。解剖前に彼女の祝福……いえ、魔術師風に言えば魔力の計測値に関する記録をいただきましたが、彼女ほどの魔力量であれば小さくとも一ルネ、小指の爪の半分くらいの大きさにはなるはずなのです。それだけあれば、血液に紛れて見落としたなんてことは有り得ません。犯人が持ち去ったとしか思えない。ただ、遺石を奪おうと考えるなら腹部の傷のみで殺害するのは合理的ではありません。殺害してから切開する方が出血が少なく遺石を摘出しやすいですし、それに即死に近ければ近いほど魔石は大きくなります」

 冷静に、論理的な答えが返ってきた。彼が臨床医、つまり解剖の専門家ではなく普通のお医者さんだったと聞いた時には少し「えっ」と思ったが、どうやら当たりを引いたというか、流石長老のお墨付きと言われるだけのことはあるなとエテンは感心した。

「確かにそう考えると、そういった可能性は考えられるね」

 師匠が再び腕を組み、ファラフィルが「なんで、そんなこと……石を盗られたなんて、遺族がどれだけ悲しむか」と呟いた。


「結晶するところを見てみたかったんじゃないですか? 知識欲が強すぎて倫理観がおかしい学者なんて、塔を探せばどれだけ出てくることか。魔石の研究者で、人間を専門にしてる人っていましたっけ?」

 エテンが尋ねると、さっと振り返った鷲族の三人が少し責めるような目をしていて、やってしまったかなと少々後悔する。


「……人間を専門にしていたのは、一昨年亡くなったカトア翁だ。彼の弟子のツシが師と連名で、それから『白』のフレンも論文を書いていたかな。書庫を探せばもう一人二人出てくるかもしれない」

 師匠が言った。親しくしている人間の名を出されたエテンはぎくりとしたが、彼のアリバイは自分が証明すればいいんだとすぐに心を落ち着ける。

「フレン様は火持ちですね。ツシには僕が話を聞いてみますよ」


「いや、エテン。君はここまでだ」

 とその時、プラディオが顔をしかめて彼の方を見た。


「え?」

「考えていた以上に、これは猟奇的な殺人事件みたいだ。研究者同士の嫉妬とか恨みとか、そういう域を超えてる。長老に許可を得てからになるけど、神殿に調査を依頼するよ。いくら『白』の弟子で叡智の祝福持ちとはいえ、成人していない子供が関わっていいような話じゃない」


 さっと師匠に視線で助けを求めると、彼は苦笑しながらエテンを見下ろした。

「まあ、鷲の『頭』がそう言うなら仕方ないだろうね。人の生き死にの深いところに触れた君がどんな風に成長するのか、少し期待していたんだけど」


 するとプラディオが「はあ?」と師匠を見上げる。

「何を言ってるんですか、心理学者の実験じゃないんだから。これだから魔術師に子供を預けるのは心配なんです」

「はは、そうかな? 気をつけるよ」

「──待ってください、じゃあツシの事情聴取だけでも」


 エテンは食い下がったが、赤毛の青年はにべもなかった。

「また推理小説用語かい? エテン、言ったよね。これは遊びじゃないんだ。君の言った通り神殿の『火竜』に調査を頼むから、そういう調査も尋問も、犯人の捕縛も、全て専門家に任せればいいだろう?」


 それじゃツシが容疑者にされてしまうじゃないか、僕のせいで!


「でも、ツシじゃありません。彼の今の研究は植物に関するものばかりで」

「いいかげんにしなさい」

 怒った声でたしなめられ、エテンは言葉を切ると拳を握りしめて俯いた。師匠が彼の背中をポンポンと叩いてから、優しく戸口の方へと押す。


「部屋に戻ろうか、エテン。ファロットを長老に預けてあるから、そろそろ迎えに行ってあげよう」

「……はい」


 敬愛する師にそう言われたら、そうするしかない。エテンは唇を噛んで小さく頷き、慰めるように微笑みかけてくれたファーリアスに頭を下げると、談話室を後にした。





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