三 現場鑑識



 さあ鑑識だぞと張り切ったところで、エテンは「流石に一人で現場へは入れられないよ」とプラディオに呼び止められていた。だから今は早く中を調べたいと部屋の前でうずうずしながら、応援に来た鷲族の人達が準備を終えるのを待っている。


「ファラフィル、マスクの前に呪布を外しなよ。顔が全部覆われててすごく変だ」

「あ、確かに!」


 黒い目隠しを巻いた青年が軽く笑って頭の後ろの結び目をほどき、指摘したプラディオを見てにこっとする。その瞳が「目」の一族には珍しい鮮やかな青色だったので、エテンはおやと思ってじっと見た。すると青年はこちらを向いていなかったにもかかわらず、すぐに振り向いてこころなしかもじもじする。

「えっ、なあに? 照れるんだけど」

「……瞳が青いんですね」

「ああ、母さんが『耳』だからね。僕自身はむしろ耳は悪い方なんだけど……あっ、でも暗いところで見るとちょっとだけ青緑色に光るんだよ!」


「ファラフィルは耳が悪いんじゃなくて、人の話を聞いてないだけでしょ」

 その隣で、こちらは元々目隠しをしていなかった緑眼の女性が指摘すると、ファラフィルと呼ばれた彼はきょとんと首を傾げた。

「えっ、そうかな?」

「そうよ。だって塔の外で鳴いてる小鳥の声は、個体まで識別するじゃない」

「なに言ってるんだ、小鳥の鳴き声って、人間の声よりずっと通るじゃないか」

「……確かにそうね」


 エテンにしてみればかなり馬鹿みたいな会話をしている二人はやたら顔がそっくりだが、双子なのだろうか? いやしかし、この底抜けに明るい一族はみんな揃って小柄で目がぱっちりしていて、くるくるの巻毛の人間ばかりだ。そのうえ互いを妙に可愛らしい愛称──例えば「ルルピル」とか「フィルル」とか「ファラフィル」とか──で呼び合うので、正直言って全員同じような感じに見える。


「……それで、準備はできましたか?」

 エテンが少し低い声で問うと、ファラフィルはパチっとウインクをして大きく頷いた。

「うん、ばっちりさ!」


「ファラフィルは君の監視だ、エテン。君が何か証拠を隠したりしないか──疑ってるというより、それを後から証明するためのね。『目』からはどんな小さな動きも隠せない」

「わかりました、アル・プラディオ」

「ルルピルでいい」

「嫌です」

「えっ」


 プラディオが「なんで?」とか「僕のこと嫌い?」とか言うのをそのままに、エテンはもう一度自分の装備に隙がないか確認して、ルセラの部屋へそうっと立ち入った。血の臭いがすごい。ぐるりと見回すと、女性の方の「目」が彼の後に続いて入ってきていた。


「マシュよ。私は一緒に部屋を見るわ。術の残り香を探すのが得意なの」

 その言葉に頷いて、まずは二人でじっくりと床を端から、何か落ちているものがないか調べてみる。しかし床の上のみならず、寝台の下や棚の裏まで犯人によって完璧に浄化されていたので、エテン達は荒らされた形跡の全くない部屋の中の物品をひとつひとつ確かめていった。机や扉の取っ手など、所々に奇妙な黄緑色をしたランタンの光を当ててみるが、指紋が浮かび上がる様子はない。


「これ、魔獣の骨かしら? 気味悪いわね……兎型って書いてある。ほんとに?」

 マシュが呟いて、棚の上の骨格標本を嫌そうに見ている。魔獣というのは黒い毛皮に赤い瞳を持ち、「淀み」と呼ばれる禍々しい気配をまとった凶暴な生物のことだ。様々な形態の種が存在し、例えば狼型、熊型、猪型と、形の似た動物になぞらえて呼び分けられる。


 彼女の見ているそれは非常に小型だが、しかしそれがどんな形の魔獣なのかは、エテンもラベルを見なければわからなかった。魔獣の骨は外側の形と全く関係なく、個体によってもてんでバラバラな形をしているのだ。そのこんがらがった骨格は研究者の興味を惹いてやまないが、確かに冷静になって考えればちょっと気持ち悪いかもしれない。


 部屋の中には骨格標本以外にも魔獣の毛皮や角、牙、魔石──生き物が死んだ時に腹の中にできる石のことだ──そして何より目立っているのは狼型魔獣ヴォーラの剥製だ。ギラギラと光る赤い目はガラス玉ではなくルビーを使っているらしく、相当出来がいい。彼女のお手製だろうか?


 エテンはファーリアスが置いていった画帳の空いたページにそういった全てを一覧にして書き留め、次に大きな本棚の蔵書を確かめた。魔獣に関する文献がずらっと、全三十巻もある立派な動物図鑑、魔法陣に関する解析学や構成学の本、研究記録や論文の束、最近流行りらしい戯曲や恋愛小説が何冊か、表紙の擦り切れた聖典、恋歌ばかり集めた詩集に、古い絵本──どうやら彼女はエテンと違って、研究用の本と個人的な蔵書を一緒くたにして並べておくタイプだったらしい。並べてある順序もバラバラで、几帳面な彼は中身を整頓したくてイライラした。


「なんで魔術書、聖典、恋愛小説ときてその隣に毒物辞典を並べるんだろう。しかもその隣は料理本だ──まさか犯人の残した暗号だったり」

「彼女は元々こんな感じよ。今は綺麗だけど部屋も埃だらけだったし、食べかけのクッキーのお皿が放置してあったりすることもあったかしら」

 マシュの言葉に、エテンはうわあと顔をしかめた。死者を冒涜するような真似はしたくないが、それにしてもクッキーの皿はない。


「魔力的な痕跡は何も残っていませんか?」

 尋ねると、マシュは首を横に振る。

「ダメね、全然。普通魔法を使うと……例えば部屋の魔導具の魔石にちょっとくらい魔力のかけらが移ってたり、魔法陣の場合は絨毯の繊維にふわっと光る丸い跡が残ったりするんだけど。向こうで詳しく調べてると思うけど、ルセラの遺体にも全く残ってなかったみたいに見えた。だから、よほど博識で器用な術の使い手だってこと」


 じゃあ、僕は容疑者から外れるな──


 エテンはそう考えて小さくため息をついた。師匠のおこぼれで部屋をもらっているだけの、簡単な着火の魔術ひとつ使えない彼が今回の事件の犯人ではないと、すぐにでもそう判断されるはずだ。プラディオはエテンとあまり面識がなかったが、もしかするとさっき師匠からその事実を聞いたから、こうして彼が首を突っ込むのを許してくれたのかもしれない。これで地下牢行きは完全に消えたと安心していいはずなのに、無力感で胸の奥の方がひんやりする。


「エテン?」

「……なんでもないです。魔力の残留をある程度計算できそうな人って、どのくらいいるんでしょう」

「さあ? 私はそういう専門的なのは知らないわ。長老と彼の周りの何人かは把握してると思うけど」

「そうですか」


 とはいえ、術を使った後に魔力がどのくらい残って、どのくらいで完全に消えるのかなんて、知っている人間は一部屋じゃ詰め込みきれないくらいいるだろう。魔法陣の研究をしている人間は誰だってそういう影響を考慮しながら新しい術を設計するし、それこそエテンだって基礎的なのはできる。


 もしかすると、これは鑑識なんてやったところで何の意味もないかもしれないぞ──


 エテンはそう嫌な予感を募らせながら引き出しの一つを開けようとして、マシュに「そこは私が見るわ。たぶん下着入れだから」と押し退けられた。





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