第16話 青に臨む心 / 紡がれた絆



 「ってなると、出会いから話すべきか」

ネオンの点灯し出した繁華街を進み青乃の家に着いた三人は、彼の部屋へと案内され、そこに腰を下ろす。

正面に座る青乃は対面している天野と沙紀美に向かい、昔話を始めた。

  


         ---------------



 アレは俺とアニキが高一だった頃だ。

生徒会長は多分知ってると思うが、俺はかなりロクでもない人間だったんだ。

目つきの悪いのが居れば誰彼構わず因縁吹っ掛けて、そうでない奴もビビらせてはケチつけて。……言いたかないが、万引きもたまにやってた。

家庭に問題があったわけじゃねぇ。テメェに絶望してたわけでもねぇ。勿論、カッコいいと思ってたわけでもねぇ。

ただ、どうしようもなく全てがつまんなかったんだ。

中学で落ちぶれてた俺でも、せめて高校はっつー親の為に勉強して平均くらいのあそこに入学した。

けど、待ってたのは就活だの進学だのクソつまんねぇ先の問題だった。

分かってる。みんな通る道なんだよ。誰も彼も文句言いながら先を見据えて夢を追ったり安定を求めたりするのは知ってるんだよ。

けど、その先にあるのはなんだ?どうせ大学だのに行ったって就職活動が待ってるだけ。就職したところで、日々のノルマこなして、上司の機嫌をとるだけ。稼いだ金は溜まるストレスとイーブンだ。社長になったところで今度は世界情勢に下の奴らのご機嫌取り。

何やってもプラスにならねーんなら、何にもしてねぇのと変わんねぇよ。

俺はそれが心底嫌だったんだ。

平均的なところに行けば最低限の幸せはあるって言われてたけど、そんなもん嘘だ。幸せも不幸も手にする量は結局一緒。何にも手にしてねぇのと一緒だ。

じゃあ夢を追えって思うかも知れねーけど、俺にはそんな立派なモンなんざなかった。

そりゃ、ガキの頃はあったさ。サッカー選手、野球選手、パイロット。三種の神器に夢見てた。けど、年を追えば追う程無理だって分かったし、全部賭けてでも、人に迷惑かけてでも、それでもやりてぇって思えなかった。

今考えりゃ、自暴自棄になってたんだろうな。

……だから、万引きだのをやっちまったんだ。

何言ったって言い訳でしかねーけど。

そんな時だった。アニキ……鱶丸さんに会ったのは。

いつもと同じコンビニでエロ本をパクる。店員がテキトーだったから、見つかりゃしない。

けど、たまたま鱶丸さんがそこに居た。そんで見られてた。しっかりバレてた。

だけど、俺は馬鹿だから成功したと思って店を出たんだ。

駐車場に出たところで鱶丸さんに近くの路地裏に来るよう言われたんだ。

 『盗ったモン今すぐ返してこい。買い辛いのは分かるが、人の道から外れて良い理由にはならねぇ』

…正直、馬鹿だと思ったよ。

わざわざサシの状態にしねぇでさっさと店員にチクった方が安全なんだからな。

つまんねぇ正義感とくだらねぇ自己顕示欲の塊だと思った。

だから、返事もしねぇで殴り掛かった。


………結果はボロ負けだったよ。

俺の拳は届かず、鱶丸さんはただ避けてるだけ。

スタミナ切れで負けなんざ初めてで、恥ずかしくって悔しかった。

 ーーあぁ、もう終わりだ。刑務所行って、前持ちで、高校中退。別に頭が良いわけでも愛想が良いわけでもなかったからどこ行っても雇っちゃもらえねぇだろうし、親にだって多分見捨てられる。

首が回らないッつーのはこういう事を言うんだって実感したよ。

 『ほら、さっさと警察にでも何でも連れてけよ。罪を認めっからよ』

でも、同時に悪くねぇとも思っちまったんだよな。

知ってるか?今の刑務所って結構設備良いらしいんだぜ。人権問題がどうのっつってな。

それに、刑務所じゃ上下がはっきり出る。上にいられりゃプラスしかねぇからな。何やっても何にもならねぇ外側よりマシだと思った。

けど、鱶丸さんは警察に連絡しなかった。

 『馬鹿言うな。お前をこのまま警察に渡したって考えが変わるわけじゃねぇだろ』

って。

何言ってるのか分かんなかったよ。

俺、犯罪者だぜ?普通に考えれば分かるだろ。警察に突き出すのが正解だって。

けど、鱶丸さんはそうしなかった。

ただただ『返しに行って正直に話す。どうなるかはそこからだ』の一点張りだった。

で、言われるがままコンビニの店員に白状した。

今回の事も、それまでの事も全部。

当然、店員はキレまくってた。直ぐに突き出してやるって。

知らなかったんだが、万引きってのは相当店に負担がかかるらしい。本が一冊盗られたら数十冊売らないと実質的な赤字になるんだとか。

だからそう簡単に許してもらえるはずがなかったんだ。

………なのに、鱶丸さんは俺の為に頭を下げてくれた。

鱶丸さんは何もしてないのに、店員に罵詈雑言浴びせられてるのに、『仲間なんじゃないか?』って疑われたのに、ただ俺の為だけに頭を下げてくれた。

『本当にすみませんでした』『こいつがバカなのは分かってます』『それでも、警察は勘弁してやってください』『滅茶苦茶反省してるんです』『お願いします』

悪い事やったのは俺なのに、俺なんかよりも必死に頭下げてたんだ。

……嬉しかった。

俺の為にってのもあるが、何より損得で動かない人間がいる事が凄く嬉しかった。

プラスマイナスじゃない。自分の中にある正しさを信じて動く人がいて、本当に嬉しかった。

結局、期限までに被害額の半分以上を返せば警察は勘弁してくれるって話になって、その日は被害の総額を教えてもらって帰ったんだ。

結論から言えば、俺一人が必死に働いたところで到底返せる額じゃなかった。

何を願っても当日までに金が用意できず、半分の半分だけ持って謝りに行ったんだ。

 ーーこれで捕まるなら仕方が無い。それだけの事をしでかしたんだ。

そう思って。

………………なのにさ。

なのに、鱶丸さんがそこに居たんだ。

俺よりも先に来て、店員に金を渡して、頭下げて。

俺と同じかそれよりも多く稼いで、それを渡してたんだ。

 『アイツは反省してます。でもこの額を一人で稼ぐのは無理だと思ったので俺が勝手に手伝いました。

もし、二人分を合わせて額が届かないようだったら約束通り通報してください。でも、届いていたらその時は……』

聞いてられなかった。

意味わからなかった。

頷けるわけなかった。

そこから先はあんまり記憶に残って無くてな。ごめん。

兎に角、直ぐに出て行って一緒に頭下げさせてもらったのと、許してもらえたのだけ覚えてる。

多分、酷いツラしてたと思うんだけど、鱶丸さんは何も言わずに隣を歩いてくれたんだ。

こんな俺なんかの為に、何にも言わずに。酷いツラした俺の、犯罪者と肩を組んで一緒に。

そうやって家まで送ってくれて、別れ際に一言だけ言ったんだ。

 『また明日。学校でな』

迷惑しかかけてない俺と、また一緒に歩いてくれるって。




          ---------------




 見えたのは、あの時と同じ大雨の日だった。

どうしてそうなったのか、それからどうなったのか。今は、全部解る。

……今は。

辛抱を切らした村長によって姉さんと追い詰められた崖際。

背後の森には襲い来る十数名の追手。

逃げていた理由は、その時の姉さんにはどうにもできなかったから。

もう何もしていなかったはずの忌み子の僕らは恐怖に押し負けた村長に命を狙われ、それから助けてくれる人は両親にすらいない。

手を握って一緒に走ってくれたのは姉さんだけだった。

そしてそれはきっと、姉さんにとっても同じ事で。あの人にとっては、ただそれだけで僕を守り抜くために生きても良いと思ったんだと思う。

背後は荒れ狂う海、正面は追手のいる森。

捕まれば村の中央で儀式じみた処刑をされて、海に飛び込めば藻屑と化して消えてしまう。

選べる選択肢なんてなかった。

助かりたいのなら、一縷の望みに賭けて二人で海に飛び込むしかなかった。

少なくとも、僕にはそれしか考えられなかった。

なのに、姉さんはあれだけ固く握りしめていてくれた手を簡単に離した。

妖怪を使って造り出した船に僕を乗せるために。たったそれだけの為に。

意味が分からなかった。

ずっと一緒だと思ってた。

なのに、あんなに簡単に手を離して、道理も何も分からない妖怪の力で船を造って。

いつの間にか来ていた追手の事なんて本当はどうだって良かったんだ。

追い払えば一緒に居てもいいって思ってもらえる。絶対にそうだって、思ったから。

そうしたら雷が落ちてきた。

あれは僕の力じゃない。そんなのは分かってる。でも、言い張れば大丈夫だって思った。そのくらい、タイミングが良かった。

それなのに、全然そうじゃなかった。

 『いつか、絶対に会いに行くから』

理解できない小ささの船に僕一人だけを乗せて進む無意味な旅路は、別れ際の一言でほんの少しだけ救われた。

胸の中にあった唯一の指針。なくしちゃいけない道標。絶望の中でただ一つ光続けていた希望。

…………なのに、僕は記憶(それ)を失った。

理屈は分かる。納得だってするしかない。事実なんだから今更どうしようもない。

それでも、忘れちゃいけなかった。直ぐに思い出さなきゃいけなかった。

何があっても、絶対に覚えていなきゃならない事だったんだ。

土砂降りの雨だってなんだって、流しちゃいけない、手離しちゃいけない大切な大切な言葉だったんだ、

『いつか絶対に会いに行く』。

姉さんはその約束をずっと覚えてくれていたのに。本当に守ってくれたのに。

それなのに僕は、僕は。



          ----ーーーーーーーーーーー



 視界を覆う橙色に気が付き、沙紀美はふと我に返る。

 ーー……また、思い出してた。

耳に届くどこまでも穏やかな潮騒。

刹那を繰り返す波の音は彼にとってどこまでも因縁深い音色を奏でている。

悲しみは時が癒してくれるとはよく聞くが、あれは正しい考え方ではない。

正確には、水底を深くするだけだ。

何があろうと悲しみは癒えない。どれだけ時を過ごそうと水の底に佇む悲しみは消えはしない。

ただ、一度受け入れてしまった悲しみを、慣れたと思わせるだけなのだ。

見えない事が当然。話せない事が当然。聞こえない事が当然。居ない事が当然だと、抗いようのない世界の流れに、受け入れるしかない世界に、己の心(せかい)を合わせるしかないだけなのだ。

水面の下に沈むどうしようもない悲しみをひた隠しにして、真実に向き合うしかない。

この世界は、理不尽を受け入れた者にしか進む道を示してくれないのだから。

 「……………」

潮風になびく髪も気に留めず、はためく学ランの音にさえ意識を向けず、沙紀美は沈みゆく夕日に閉じた瞳を向けている。

 ーーアニキ、姉さん。僕は……。

二人の死を受け入れるしかなかった彼は瞼の裏で虚しい夢を描く。

三人でわだかまりなく過ごす日々を。

笑い話で済むような喧嘩をする時を。

二人の自慢をする自身の姿を。

 ーー二人は、仲良くなれたのかな。

どこまでも身勝手な問いを、けれど沙紀美は果て無く広がる海に投げ掛ける。

 ーー考える余裕もなかったんだよね。

言葉の分かるはずもない波音に想いを馳せる。

 ーー僕はさ、似てたと思うんだ。アニキと姉さんは。自分以外の人のために命を賭けられるところなんて、そっくりだと思う。

一際強まる風が鼻腔を刺す。

まるで、あの日の船旅と同じように。

 ーー僕は二人の弟として恥ずかしくない生き方をしたい。……姉さんには『自分勝手だ』って言われても仕方ないけど。二人を殺してしまった僕にできるのはそれだけだから。

 「沙紀美。そろそろ行こう」

耳に届く男の声。

けれどそれは、沙紀美がもっと聞きたかった男の声ではなく。

 「うん、いこっか」

兄と慕っても良いと言い続けてくれていた少年の声で。

 「……大丈夫?」

その隣から聞こえる女の声も、まだ話足りなかった少女の声ではない。

 「うん。何ともないよ。

ごめんね。みんな集まるって日に海が見たい、なんて言って」

 「それは気にしなくていいよ。どうせ夜からなんだし」

 「あぁ。ただ、これ以上は冷え込むから」

 「……うん」

肌寒くなりつつある海風に身体を抱えつつ頷く沙紀美。

彼らは今日、青乃の提案で店で集合する事になっていた。

表向きは『仲の良い奴らで集まろう』といったものだったが、鱶丸が無くなってから一週間。時期から見ても沙紀美を慰めるためだ。

それならば。そう考え、沙紀美はここに来た。

姉ーーノエルの記憶も刻むために。

鱶丸の死を知っている近しい人物たちの中に、ノエルの真実を知る者はいない。彼の死はあくまで通り魔のせいとなっており、事実を話せば彼女に非難の声が集まるのは想像に難くないからだ。

シエルがそれを望むわけもなかった。

 ーー……僕はまだまだ、二人に届かないなぁ。

それが、受け継ぐと誓った兄と姉の生き方と反する行いだったとしても、

 ーーそれでも、いつか。

 「おーい、沙紀美ーー!」

 「先行っちゃうよー!」

 「うーん!!すぐ行くー!!!」

 ーーみんなに話せる時が来たその時は。

河川敷の上で叫ぶ二人に返事をして駆け出す。

 ーー僕は、きっと二人みたいに。

青に臨む絆を胸に。







end.















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 初めて会った時、おかしな人だと思った。

きっちりしたスーツ姿なのにどこかふざけてて、でもその目は真剣そのもので。そのくせ社交辞令を口にする。今までの人生に居ない人……初めて見るタイプの人だった。

 『君を仲間にしたい』

玄関から流れ込んでくる心地よい秋風の中、面白みのない定型文の後に言われたのはそれだった。

ーー凶手。

世に蔓延る悪しき妖怪とその宿主から人々を護る為に創られた極秘の組織に、私は何故かスカウトされた。

理由は家の蔵に良い妖怪が憑りついてる道具があると分かったからだとか。

 『意味分からないので警察呼びますね』

 『えぇ!?』

何度思い出しても、正しい反応だったと思う。

 『頼む!君じゃないとダメなんだ!!』

 『そんな間男みたいな事言われても困ります』

断れば懲りずに頼み込んで、追い返せば次の日も来て。

兎に角、何が何でも私と組みたいと、そう言って聞かなかった。

気が付けば私の両親と打ち解けるくらい押しかけていたその人は、ある日突然来なくなった。

三日。

押しかけて来た日数に比べれば取るに足らない期間だったけれど、それまで毎日見ていた人の顔が無くなるというのは少しだけ寂しい感じがあった。

けれど、その期間が過ぎれば彼はまたやってきた。

[少しばかり]と言い張る怪我をして。

 『今まで悪かったな、もう忘れて大丈夫だ』

柔らかな笑みに乗せられた言葉。

それまで彼が口にしていた言葉の中で初めて腹が立った。

 『分かりました。では最後に、両親の誤解を解いてから帰ってください』

急に来て、急に馴染んで、急に去る。

そんな無責任が許されていいはずがない。

迷惑をかけたのだから、きちんと後始末してもらわなければ駄目だ。

そう考えて。




 その日の夜。

同じ職場の両親は、いつもと同じ時間になっても帰ってこなかった。

 『……泊り?』

 『……………』

いい加減不穏な空気が嫌になったのか彼はそんな事を言って立ち上がった。

 『明日また来るよ。責任はその時取る』

 『……また変な誤解を生む事を…』

彼はそう残して私の家から出て行った。

 同日深夜。

妙な物音で眼が覚めた。

自分の部屋から居間を抜け、音の聞こえる縁側を覗き見る。

何かの衝突音が絶え間なく聞こえるそこは、けれど何もなくて。

 『森田さん!?』

壁に背を預けて座り込む傷だらけの森田さんだけが見えた。

 『……やべぇ、起こしちまったか。ごめんな、寝てる時に。気にせず家に戻ってくれ』

 『なっ、そんな事言ってる場合じゃありませんよ!!』

耳に届く喧しい音が聞こえなくなるほど私は焦っていた。

急に現れたとは言え、彼はもう生活の一部にまで食い込んでいたんだ。

帰れ、帰れ。と、何度も強く当たったのに。

なのに、あんなに無下にしたのに、彼はこの家を[何か]から守るため、今ここで血を流して座り込んでいる。

自分のせいだ。

理解できないから、知らないから、常識的じゃないから。

私が何かを否定する時はいつもこのどれかだ。でも、それは間違ってるって知ってる。

どれだけおかしい事でも、どれだけ信じられない事でも、その人の人となりを見れば、信じるに値する話かどうなのかくらい簡単に分かるのに、あの時もそれをしなかった。

だから、彼は今ここで傷だらけでいる。だからこの人は今命の危機にさらされている。

だったら、私が助けないといけない。

なら、誰が森田さんをこんな目に合わせたの?

誰もいない、さっきから音ばかりが鳴るこの場所で。

……その瞬間に、全てが見えた。

 『やっとか!!さっさとそのバカ連れてこっから消えろ!!』

 『ひッ…!』

満月に照らされた真っ黒いナニカが、鎧のようなナニカと戦っていた。

 『うるせぇ!俺なら大丈夫だ!!』

 『うるせーのはテメーだ!!何のためにソイツを誘いに来たのか忘れたのか!!』

黑い化物の長い爪と、鎧の化物の薙刀がつばぜり合う。

明らかに人間じゃないその二人は、明らかに異常な力で暴力を示し合っている。

 『言の葉を交わす暇などあったとはな、小娘?』

 『…!!

いい度胸してるじゃねぇかこのクソッタレが!』

黑い化物からした身震いするような恐ろしい声は、何も知らずただただ状況に圧倒されていた私の腰が抜けるのに充分なほどで。

 『セトォッ!とりあえず頼んだぞ!!』

 『あいよッ!任されて!!』

助けるはずだった森田さんに抱えられ、彼の脚で安全な場所まで運ばれる始末だった。

 『はぁ、はぁ。

とりあえず、ここまで来れば大丈夫そうだな』

彼の手元から降ろされた時に居た場所は、母屋から少し離れた所にある大きな蔵だった。

 『ごめん、なさい。私、腰が……』

 『気にしなくていい。お陰で、俺と組んだ時のメリットを教えられたしな』

 『そんな…!』

隣に座った森田さんの傷口からはまた血が出ていた。

 『…あぁ、これか?

なに、妖怪が憑いてる人間は傷の治りが早くなったりするんだ。大丈夫だよ』

そう、笑って答えた。

……言えなかった。

治るから、とか、大きな怪我じゃないから、とか、そんな理由で『大丈夫』だって言ったらいけないんだって、私が言えるはずもなかった。

この怪我の原因を作ったのは私だったんだから。

 『さて、那須さんはここに居てくれ。片付けてくる』

森田さんは言いながら立ち上がろうとする。

まだ、少しだけ血が出ている傷口を無視して。

 『ダメです』

当たり前だ。

行かせていいわけがない。

……行くなら、私だ。

怪我をしていない、この家に住んでる、この私が行くべきだ。

 『手、離してもらってもいいか?』

 『嫌です。私が……』

 『言いから離せ。約束がある』

なのに、私は手を離した。

初めて見た剣幕に腰が竦んだから。

 『森田さん!』

 『大丈夫だって!直ぐに終わるから待ってろ!!』

化物のいるところへ駆けていく彼の背が遠ざかる。

無下に扱ってばかりいた男の人の背が、私のせいで、死に向かって真っ直ぐに。

それはきっと彼にとっての日常なのだろう。凶手としての使命なのだろう。

だから受け入れるしかない。納得するしかない。認めるしかない。

……そんなのは、嫌だった。

鈍い音を立てて開かれる蔵の扉。

咽るような埃と、どこか古臭い匂いに囲まれる。

 『………これ』

蔵の一番奥の棚の上。

神棚に祭られている大切な箱の中から、私の知っている最も強い武器を取り出す。

 『おじいちゃん。借りるよ』

射し込む月明かりに照らされる黒鉄色のそれを手に私は駆け出した。




 『バカ野郎!なに戻って来てんだ!!』

 『うるせーっての!一人じゃどうにもなんねーだろ!!』

剣戟と共に聞こえる、互いを想う悪態。

黑い化物と刃を交わす鎧の化物は戻ってきた森田さんからそいつを遠ざけようとするが、そんなことお構いなしに彼はインファイトを挑もうとする。

 『テメッ!?分かってんのか!?触られたら終わりなんだぞ!!』

 『[タイミング良く]だろ!』

文句をぶつけ合いながらも拮抗状態に変わりつつある彼らの戦闘は、視界に映った私のせいで崩れる。

 『那須さん!?どうして来……』

 『森田さん!鎧の人!!逃げてください!!!』

 『『!?』』

何か言われるより早く叫び、構える。

 『……さっきの童か』

 『ッ!ヤベェ!!』

緩んだ攻勢の隙を突いて私の方へと駆けてくる。

そう、それでいいんだ。

効いても効かなくても注意が逸らせればそれでいい。

別のモノへの集中は隙と変わらない。

……例え、この銃が無意味でも二人が勝てるなら。

 『娘殿。引き金を引きなされ』

 『…はい!』

そうして、聞こえたのが古空穂ーーフーの声で。

言われるがまま放った弾丸は、黒い化物ーー神隠しの眉間に命中して、葬った。




           ーーーーーーーーーーーーーー



 それが私と先輩…森田さんとの出会いだった。

どうにか妖怪・神隠しを撃退した私たちは、そのまますぐに先輩に怒られ、セトさんに肩を組まれて頭をわしわしと撫でられた。

何度も思い返してしまう衝撃的な日。

それからの日々も当然凄かったのだけれど、やっぱり、初めて凶手として仕事をしたその日が今でも印象に残ってる。

二人で……正確には四人二組で、幾度も妖怪を撃退・捕獲・抹殺していると、ある依頼が下りてきた。

【連続殺人事件に妖怪が関わっている可能性があるため調べろ】

という内容。

下調べをした結果、人業では到底不可能であると判明し、捜査に乗り出した。

 数週間が過ぎ、保護対象の一人が攫われたかもしれない、という事件が起きる。

疑ったのはあの三人のうちの誰かの傘下。

恨みを多く買っていたのは兄の方だったが、攫われた疑いのある弟は見た目的にも攫いやすいと判断されたからだろう。

急を要する案件だったため見切り発車気味に対応に当たるしかなかった私達は、最も怪しいと思われるたまり場に目をつけた。

……結果として、沙紀美君はそこに居た。

少々以上に場違いな服装だったが、一先ずの無事は確認できた。

後は出来るだけ穏便に救出するだけだった。

殺された三人は調べの結果妖怪憑きだと判明したが、その傘下に居た仲間たちにはその兆候が見られなかった。

…三姉妹に関しては長女以外にも不審な点は多く見られたが、長女に憑いていた妖怪を鑑みれば許容範囲だと思う。

問題は、沙紀美君の安全だ。その点は一先ずクリア出来たとみていい。

服装の謎はあったけれど、学校祭の時に目覚めたのだとしたら取り合ずの説明はつく。

兎も角、沙紀美君を助けるため彼女らと交渉を始めた。

……しかし、取り付く島もなく戦闘に入る。

その際に判明したのは三姉妹の生き残りーー双子の陽神莉と陽蘭莉は妖怪憑きだった事だ。

陽神莉の方は鬼……恐らくは最強に名高い酒呑童子。

驚異的な膂力と圧倒的な畏怖感は、これまで対応して来た小鬼たちとは明らかに格が違う。人間との相性もいいようで、人の身としては驚くほどの力を行使している。

対して、陽蘭莉との直接戦闘はなかったので憶測と変わらない推測となってしまうが、彼女の妖怪は呪術を操る類の高等妖怪だ。

現に、彼女は私の腕を『腐り落ちるように』念じた、と口にしていた。

呪(まじな)いを使うのは間違いなく、効果の作用量は二人の相性を鑑みても充分以上に強い。位としては昇神級か、降神級のどちらかだろう。

それに臨むのは私と古空穂の一組のみ。呪いによって好機を潰され、手首に損傷を負った私に恐らく勝ち目はない。

先輩は時間短縮のために二手に分かれて捜索しているため直ぐには来れない。

 ……もとい、私は既に死の瀬戸際です。

今更ですが、具象神の紙片に記憶を残しているに気が付きました。不躾な言葉遣い、お許しください。

改めまして。

走馬灯と共に浮かび上がったそれらを元に、兄・鱶丸君と、弟・沙紀美君の保護を受け継いでいただきたいです。

そうして森田さんにこれを見せ、二人の記憶から私を消しておいて欲しいのです。

彼らにこの現実はまだ重過ぎます。

時を見て、私の死は森田さんの方から打ち明けてもらえるようお伝えください。

……先ほど陽神莉のーー酒呑童子の手によって引き裂かれたのが腹部だと理解しました。

痛みは感じていません。恐らく……失礼しました。もう間もなく、私は死にます。

再度、本件の引継ぎをお願い致します。

そして、願わくば二人の関係が崩れる事の無いよう細心の注意を払って臨んで下さい。具体的内容は森田さんから伺って貰えると助かります。

…………もう、記録も残せそうにありませんから。

最期に。

先輩、ありがとうございました。お陰で神経質が少し治ったように感じます。

では、報告を終えます。






_____________________________________



 報告。

かねてより遂行していた案件にて、大きな戦闘が行われました。

私・森田 堅斗と、相方の那須 凉は共にその戦闘に参加。

二手に分かれ、先行する形となった那須は私が到着した時には既に瀕死、もしくは死亡の状態でした。

攫われていた保護対象である海原 沙紀美の命に別状はありませんでしたが、彼を奪取し戦闘区域から逃走する事は不可能と判断したため、今に至ります。

詳細は省かせていただきますが、危険人物の身内であり妖怪憑きの一人によって私も重傷を負わされました。

恐らく助かる事は……もとい、確実に助からない状態となりました。

紙片に記す時間も限られてきましたので手短にまとめます。

一、本案件の保護対象は海原兄弟。及び、彼らの身近な人物達。

二、あくまでも兄弟の意思を尊重する事。強制的に何かを行うのは辞めてください。

三、時が来るまで兄弟の記憶から我々を消すようにしてください。これ以上の苦痛を与えてほしくない。今はまだ荷が勝ち過ぎています。頃合いを見て私の後輩の誰かに行かせてください。

四、那須の遺体は御両親の元へ綺麗な状態で返せるよう手配してください。同時に、私の死も伝えてください。死因は酷い交通事故とでも。……こちらは可能ならばで良いです。

引継ぎ事項は以上の三つです。

最期に、万が一那須が生きていたのならば遺言として伝えてください。

 お前との日々は楽しかった。やっぱり、相棒に選んでよかったよ。けど、これからは好きにしていい。長い事付き合わせて悪かった。

 以上になります。

それでは、くれぐれもよろしくお願い致します。



_____________________________________



 「……そうか」

 今はただ、血の海と化しただけの倉庫内で白髪の老人が遺体の一つから触れていた手を放す。

 「具象神、紙片の回収は出来たか」

 「うん、出来てるよ。

記憶の方はどうする?」

どこからともなく彼の右肩付近に浮かび現れた、妖精のような子供はノートパソコンにも似た機器に紙片の文字を高速で打ち込んでいる。

その音も数秒で鳴り止んだ。

 「最後の頼みだ。聞き捨てるわけにもいくまい」

 「了解。じゃあ、海原兄弟からだけ消しとくね。記憶が戻るのはいつ位がいい?」

 「……高校生、だったか?なら、弟が卒業した頃でいいだろう。

弟にはまだできずとも、兄は受け入れられるだろうからな」

 「はーーい…っと。うん、タイマーセットしたし大丈夫」

 「………ふふ。何度聞いても便利よなぁ。納得などしたくもないが」

小さく、どこか悲し気な表情で口にする老人。

彼の視線の先にあるのは二人の遺体だ。

 「まー、発展してるのは人間側だけじゃないからね。

それより、後一時間くらいで人が来ちゃうけど」

 「あぁ。直ぐ安静にしてやろう。お前はいつも通り血痕の拭き取りを頼む」

 「りょうかーい」

老人に言われ、具象神は両手に布らしき物を一枚ずつ出現させると、血の跳ねている近くの壁まで滑らかに飛んで行き拭い始めた。

 「どれ、私も始めるか。

今までありがとうな二人とも。後は任せるといい」

瞳を閉じて僅かに遺体に頭を下げると、足元に置いてあったアタッシュケースから黒く大きい二つの袋を取り出し、森田と那須を納め始めた。




_____________________________________




 戦いが終わり、沙紀美たちが集まってから数日が過ぎたある日。

沙紀美の元に一人の老人が現れた。

薄く禿げだしている白髪のその老人は、彼に話しかける。

 「君は本当に強い子なのだね。彼らも、天上で喜んでいる事だろう。

だからこそ、自分を責めてはいけないよ。君は十二分に生き抜いたのだから」

それだけ残した老人は返事を待たずして彼の元を去る。

見た事のない、誰とも知らない人物の言葉に一瞬の驚きを覚え、しばらくの間彼の心に残り続けた。

……やがて。

約束の時を迎えると、沙紀美はその真意を知り、一人海へと赴いた。

胸奥に掲げた誓いに、新たな絆を刻むため。


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青に臨む双子の絆 カピバラ番長 @kapibaraBantyou

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