第15話 慟哭の雨


 戦いとは、両者の実力が如実に表れるモノだ。

身のこなし一つ、息遣い一つで、どちらが上手(うわて)なのか見る者が簡単に評価できてしまう。

第三者に見分けがつくーーそれはつまり、当事者たちはよりあからさまな差を感じている事に他ならない。

その差を少しでも埋めるため弱者は、対面している強者のあらゆる動きに気を配るようになる。

それによって生まれる心理的圧迫は果てしなく、ひとたび糸を切ってしまえば……いいや、緩めてしまうだけでも、二度と拮抗していると思わせる事は不可能だろう。

今の沙紀美は正にそのような状態だった。

 「……少し見ない間に、こんなに成長したのね」

沙紀美と違い、余裕のまだあるノエルはこの数分間の彼の攻防を称える。

二撃目までを着実に防ぎ、三撃目ーー沙紀美の最も苦手とする姉からの攻撃を、何かしらの方法によって阻害し、出せなくなるよう仕向けている。

防いだ太刀のいなしかたから始まり、蹴りや拳による細かな牽制、追い詰められながらもライトを上手く使っての眼暗ましや、必要とあらば手にしている鉄パイプの投擲・放棄。

繰り出される小技によって今一歩届かぬ状況をノエルは余儀なくされている。

実力差を誤魔化すための悪あがき……そう取られても仕方のない沙紀美の動き。

だが決して無駄な行為ではない。

単に手傷を負わずに済んでいるのもあるが、それ以上に重要な役割があった。

 ーー次は、下……?

沙紀美の脳裏を過る映像。

それは、ノエルの次の攻撃方向の予測であり。

 ーーやっぱり。

事実として、起きた。

達人と呼ばれる人種の中には、相手の視線の機微で次に何をするかを予知できる者がいる。

それは今まで積み上げてきた経験値によって確立されるものであり、これが相手との実力差を生む要因でもある。

しかし、当然沙紀美にはそれほど多くの経験があるわけではない。

鱶丸たちと過ごしてきた時は当然とし、思い出されたノエルとの日々の中でも殆ど戦闘は行っていなかった。

その上で予知に近い予測を測れるのは、彼にとっての戦闘経験のほぼ全てが、姉であるノエルとのものだったからだ。

戦闘の最中にチラつく訓練風景。映っているのはどれも彼女と共に過ごしている時ばかり。

それらは彼の身体・思考に染み付いていて、今までの攻防によって少しずつではあるが確実に思い出されている。

 ーーこれなら、勝てるるかもしれない!

呼吸の荒さが目立ち始めながらも沙紀美は未だ勝機を捨てずにいられるのはそれのお陰だった。

 「でも、まだまだ甘いわ」

 「えっ!?」

見出したのも束の間、沙紀美の足元に妙な浮遊感が生まれる。

それが【足元を掬われた】のだと気が付いたのは、背中に衝撃が走る寸前だった。

 「頑張ったわね。けど、これで終わ…りっ!?」

逆手で太刀を握り、突き下ろす態勢へと移行したノエル。けれど、彼女は唐突に悲痛な声を上げ、太刀を手放した。

 「今っ!」

訪れた一瞬の隙を逃さず沙紀美は態勢を立て直す。

 「……いいわ。だったらもう一度同じことをするだけ」

 「次は転ばない!」

距離を取り、それぞれの獲物を拾い上げて両者はにらみ合いの状況になる。

沙紀美にとってはおよそ五歩、ノエルにとっては一歩と変わらぬ距離の差ではあるが、二人が刃を交えてから初めての膠着状態だ。

 「…それで、仇を討つまでやめる気はないの?」

 「当然」

 「そう……」

悲し気に返答するノエルなど気に留める様子もない。

今の沙紀美の中にあるのは変わらぬ復讐心だけ。

 「絶対に許さない」

告げられる絶対的拒絶に僅かに奥歯を噛み締めるノエル。

けれど彼女は、何を言おうが沙紀美は聞く耳を持ってくれないのをわかっている。

最悪の場合、より復讐心を煽り立ててしまうだろう。

それは彼女の本懐では無い。

【この戦いはあくまでも姉弟ケンカ】

自分にそう言い聞かせる事によってノエルは今の状況を受け入れている。

彼女の本懐とは即ち【シエルとの関係を家族へと戻す】事。

そのために彼女は遠い異国の地から幾つもの国を渡り歩き、日本へとやってきた。

忘れられるはずもない、土砂降りの夜。

村の者に雇われたならず者たちによって島の崖端まで追いやられたあの日。

ーーー忌み子。

今も彼女の鼓膜にへばりついて消えないそれは、【妖怪憑きは災いをもたらす存在】として忌み嫌う故郷の村に産み落とされたその日からノエルとシエルについて回ってきた。

独りでは決して耐えられないそれらは、けれど彼女たちは、お互いに支え合う事で耐え抜いてきた。

家を追い出され野ざらしで暮らす羽目になっても、残忍な言葉の筵(むしろ)に囲われても、野生生物に狙われようとも、それら全てを糧として生き抜いたのだ。

故に、彼女にはシエルを殺すなどという選択肢はあり得ない。

何があっても関係性を元に戻し、再び共に暮らす。

それがノエルの唯一無二の願い。復讐心を向けられながらも決して覆る事のない絶対の誓い。

そのためには何としてもこの戦いを終わらせる必要がある。

 ーー……だから。

太刀を構え直し、一息に距離を詰めるノエル。

ライトに煌めく白刃は紫電にも似た道を作り沙紀美へと迫る。

 「く、このぉッ!!」

瞬く間に懐深く潜り込んで来たノエルに対し、可能な限り最速で防衛の態勢を取る沙紀美。

初め通りの、直進的な攻撃だったなら辛うじて防ぎ切れただろう。だがノエルはそこから更に回り込み、沙紀美の背後を取った。

 「なッ!?」

間に合うはずもない。

脳の指示と筋肉の負荷が混線した結果、沙紀美の身体は一瞬の強い硬直に見舞われた。

間違いなく当たる致命的な一撃。

けれどノエルの一太刀は、僅かに濁りを見せた。

 ーー大丈夫。

柄を即座に握り直して逆刃にする、殺すためには使われない剣技。

彼女の取った作戦。それは、沙紀美に峰打ちをする事によって一度臨戦態勢を解いてもらい、対話の場を設けるというものだった。

……だが。

 「うあぁぁ!!」

 「……!?どうして!?」

手元から伝わる確かな手ごたえ。

【叩く】ではなく【切った】確信は、ノエルに忘我の時を与える。

 「……どうして!どうして今!!」

 ーー手首が動かなかったの!?

振るう瞬間、逆刃にするために動くはずだった両手首が何故か硬直した。

今までこんな事は無かった。一度たりとも思い通りに動かせなかった事は無く、憑りついている妖怪の力を使った後でも起きた事は無い。

明らかな違和感は、だが、目の前で痛みに悶えるシエルの前では気にしている余裕などない。

 「違う、違うのシエル!!私はそんなつもりじゃ……!!」

悲鳴と変わらぬ叫びを上げ、弁明を乞うノエル。

 「じゃ、じゃあどういうつもりなの!?」

 「…!それは……!!」

激しく呼吸を乱しながらも沙紀美はノエルを睨みつける。

彼の耳にはもう、何も届かないだろう。

兄だった男を殺し、あれだけ執心していた弟にも明らかな手傷を負わせた。

今までのノエルの思考がどうだったのかを図る術は沙紀美にはない。だが、今この瞬間の彼女の考えなら手に取るように分かった。……気になった。

彼女は、本気で自分を殺そうとしていると。

 「……分かってはいたけど、本当にそうなんだって確信が持てると、少し辛いね」

 「シエル!?だから、これは……!」

 「そうやって惑わせようとしても無駄だよ!」

手放してしまった鉄パイプを拾い上げ、構えを取る沙紀美。

その背には可視化できそうなほどに強い覚悟が見て取れた。

ーーーいいや。

 「シエル!それはダメ!!」

にわかに雷鳴が激しくなる。

轟く音は光を伴って沙紀美の背後の窓を照らし、彼とは別の影がコンクリートの床に色濃く巨大に映し出された。

 「やめて!それじゃあ本当に……!!」

 「いまさら何言ってるの!?さっきまで、散々やってきたのに!!」

ノエルの制止は届かない。

それとも彼は気が付いてないのだろうか。

自身の背に、妖怪が現れているのを。

 ーーまさかこんな時に……!

呼吸するよりも早くがしゃどくろを顕現させ、本気の臨戦態勢を取るノエル。

その目に余裕は無く、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう既に太刀を逆刃に持ち替えている。

 「今更そんなの!」

 「くっ…!」

踏み込みからの移動が明らかに速い。速度だけなら先ほどまでのノエルと同等かそれ以上だ。

 「やめて!その力は!!」

 「適当な事言って油断させようとしても無駄だよ!!」

瞬く間に距離が詰められ、つばぜり合いを余儀なくされるノエル。

押し込めようとする力もやはり先ほどまでとは段違いで、耐えるのが精一杯になってしまう。

 ーーまさか、また気が付いてないの!?

刀身を削り合う音の中ノエルは思考を巡らせる。

彼女は、この妖怪の事を知ってる。

ーーー大嶽丸。

正(まさ)しく一騎当千の膂力を持ち、その力は自然にさえ影響を及ぼす鬼神魔王と謳われし妖怪だ。

彼女が初めて大嶽丸を認識したのはシエルが森で獣に襲われた時。

珍しくはぐれてしまったノエルは彼を探すために森の奥地へ進むと、その先で巨大な物音がした。

慌てて向かうと、そこには血だらけになって死んでいた大熊と意識を失っているシエルが倒れていたのだ。

そのシエルと大熊の間。そこに、大嶽丸が立っていた。

まだ幼かったノエルにすら即座に理解できた。

『この妖怪に手を出してはいけない』と。

溢れんばかりの狂気と、根幹の恐怖を思い出させる圧倒的な圧迫感。

幸い、その後のシエルの様子からは妖怪を意識的に顕現させた旨の発言は無く、以降もそれらしい行動は無かった。

ただ、大嶽丸を使用してからの数日間、シエルの身体は相当な衰弱を見せた。

筋力と体力の著しい低下。

当人は風邪だろうと笑っていたが、明らかにそんな次元は超えている。

シエルの安全のためにも『二度と目覚めさせてはいけない』と強く胸に誓ったノエルは以来、シエルに適度な訓練を積ませながら狩りを一手に担った。

その結果、己の中にいるがしゃどくろの力を従え、生半可な生き物では相手にならないだけの力が身に着いた。

だがそれでも。

 「くっ…!」

振るわれる重く、速い一撃はがしゃどくろを顕現させている今の彼女ですら防ぐので手一杯になる。

 「今更手加減してるの!?」

先程とは逆に、会話を求めるだけの余裕を見せる沙紀美。

しかしノエルがそれに返答する事は無く、一歩また一歩と後退を余儀なくされる。

 ーーこのままじゃ、シエルが……!

その最中にあっても彼女が心配するのは自身の身の安全ではなく、力を使い終わった後のシエルの容体だった。

 ーー長引かせたらいけない。直ぐに、直ぐに終わらせないと。

逸る気持ちとは裏腹に、戦況は一向に変わっていない。

力を力として振るう今のシエルに勝つには、それを超えるだけの力が必要だ。それは彼女も良く分かっている。

無論、同程度の力は出せる。出せるのだが、得策ではない。

何物にも包まれない純粋な力同士のぶつかり合いは、行使している者に直接帰って来てしまう。

戦闘に慣れている自分ならまだいい。耐える術を身に着けているから。

だが、経験の浅いシエルは違う。今の彼は我武者羅に武器を扱っているお陰で現状に意識が及ばず、大嶽丸のフィードバックを認識せずにいられているが、既に身体は相応のダメージを受けているに違いない。

その証拠に、時々痛みに顔を歪ませている。

ノエルは攻撃を受け続けているだけにも関わらずに、だ。

 ーーどうすれば、どうすればいいの!?

思考を巡らせ、シエルをこれ以上苦しませないで解決できる方法を探るが答えは出ない。

そして。

 「……!?後ろが!」

ノエルは、壁際まで追いやられた。

 「やっと!」

 「くっ…!」

獲物同士がぶつかり合い、互いを押し合う。

 「アニキの、アニキの!」

大粒の汗と共に頬を濡らす雫。

細い筋となって流れていくそれは、彼女にとって見たくないモノ。自分(ノエル)のためにはもう、流してくれないであろう涙。

 ーー例え…それでも……

 「私は、貴方を愛してる!」

 「……!!」

瞬間、ノエルの全身から何かが巻き起こる。

突風に似たそれは僅かに、沙紀美の態勢を崩した。

 「がしゃどくろ!」

力の緩みの隙を突いて瞬時に壁際から抜け出たノエルは沙紀美の背後へと回り込み、妖怪の名を叫んだ。

 《ようやく出番か。待ちわびたぞ、小娘》

 「無駄口はいい。創って」

大気を揺らす甲高い声。その元は、ノエルの背後で漂っているがしゃどくろから発せられている。

 《……成る程。相応しくはあるな》

薄い微笑みを見せたそれは瞬く間に身体を霧と化し、ノエルの全身を覆うかのように円を作ると、彼女の握っている太刀へと纏わりついていく。

 ーー……何も、相応しくなんてない。こんな事したくない。…でも。

 「もう、手加減はしないわ。ただ長引かせるくらいなら、全力で戦って、最速で終わらせる」

強風を放ち、その身を露わにする。

それは、刀身が二メートルはあるかというほど長く、全身が人骨を思わせるほど白く輝いている。

 「行くよ、シエル」

大太刀を翻し構えを見せるノエルに合わせ迎撃の姿勢を取る沙紀美。

緊張が張り巡らされていく。ーー途端の事だった。

 「…え」

 「戦いは、流れを自分に引き寄せる事から始まるのよ」

ほんの一瞬の瞬きの後には、ノエルは既に沙紀美へ切迫していた。

 「まずっ……!」

放つは横薙ぎ。

回避も防御も間に合わせない、最速を与えた一撃。

喰らえば臓器系に絶大な衝撃を与え、一瞬で意識が飛ぶ事は想像に難くない。

 ーーごめん、シエル!

振り抜かれる大太刀。

しかし。

 「……!?」

音も無く、何故か大太刀は沙紀美に当たる寸手で止まった。

…いいや、止められた。

 ーー大嶽丸……!

刀身と沙紀美との狭間に見えるモノ。それは大嶽丸が手にしている刀だった。

 「また、手加減なんか……!」

 「そんなわけ、無いでしょう!?」

殺された太刀筋に更に力を籠めて強引に振りぬく。

だが当然、想定していた威力に届くはずも無く、沙紀美の腹部に掠り当たる。

 「けど!」

衝撃で微かに移動した沙紀美は退く事をせずに裏拳の要領で拳を放つ。

 「舐めないで!」

即座に柄から片手を離し、腕で防ぐ。

そうして、がら空きになった横腹に大嶽丸の刀が振るわれた。

 「ぐぅ……!!」

走る痛みに悶え、直撃した部位を押さえるノエル。

しかし、そこから血は流れておらず、感じる痛みも鈍痛だった。

 ーーまだ実体化が不完全なのね…。それなら。

再び両手で柄を握り、大太刀を構えてノエルは駆け出す。

 「……シエル!」

 「ねぇさん!」

鉄パイプを構え迎え撃つ沙紀美。

その元へ即座にノエルの太刀が衝突する。

 「刀身が!?」

 「がしゃどくろ!!!!」

身を削り合う音を立てて鍔競る二人。その背後の妖怪たちは、自らの腕力をもって拮抗する。

 「そんな、妖怪の名前を叫んだって!!」

 「抑え込む!!」

言うと同時、沙紀美の表情が微かに苦悶で濁る。

その瞬間、状況が僅かにノエルたちに傾いた。

 「このまま一気に……!!」

 「こ、のぉ!!」

必死になって堪える沙紀美。しかし、一度態勢の利が味方に付いたノエルたちの前では、大嶽丸の力をもってしても虚しい抵抗に終わるだけだった。

 「私は、私は……!」

 ーー貴方を!

徐々に徐々に床へと沙紀美の背が近づいていく。

このまま押し倒せれば、彼女の目的だった対話の時が持てる。

そうすれば、そうすればこんな無意味な戦いは終わるはずだ。

 ーーだから、どうか!

ノエルの悲痛なまでの願いは懇願へと姿を変え、その瞬間を待ちわびる。

あと一歩、あと少し。

ノエルの望む時は目前まで迫っている。

………だが。

 「えっ…?」

唐突に脚の力が抜けるのを、ノエルは感じた。

 「……!」

立場が逆転する。

一瞬にして押し倒されたノエルの背に重く苦しい痛みが走る。

何故か仰ぎ見える天井と自身の視線の間を、勢いを殺せなかったシエルが通り過ぎ。

 「うぐっ!?」

彼女の少し遠くで聞こえた落下音と声。

そのほんの少し後、何かをーー太刀をーー拾い上げ、沙紀美はノエルの傍まで近づいてきた。

 「……どうして、急に」

 「…………どうして、かな」

見上げたまま身じろぎせずにノエルは言葉を漏らす。

 「……そもそも、向いてないの。姉弟ケンカなんて。

前にした時もそうだった。貴方の我儘が原因だったはずなのに、結局謝ったのは私だったし。今回も多分……まぁ、そんなのはいっか。

それより」

ゆっくりと伸ばされた掌の先。

頬に触れる、ノエルの手。

 「強くなったね。びっくりしちゃった」

何度も撫でるその手には、もう力は籠っておらず、跳ね除ければ簡単に飛んでいきそうだ。

 「これも、ふかまるのお陰なのかな」

 「……どうして、アニキが」

不意に出された名に驚きを見せる沙紀美。

しかしノエルは薄く微笑むと「大丈夫」と言って更に続けた。

 「彼を殺したのは私。それは間違ってないから安心して。

戦って、追い詰めて、トドメを刺す前に死んだ。だから、殺したのは私。復讐する相手も私で合ってる」

するり、するりと、頬を撫ぜていた手が沙紀美の身体を流れていく。

そうして着いた先は、太刀を握っている手。

 「さ、それで刺しなさい。

さきみ(あなた)の、ふかまるの仇よ」

 「……」

言われるがまま、沙紀美はノエルの心臓へ切っ先を向ける。

鋭くて尖っていて、軽く触れるだけで簡単に切れてしまいそうなよく砥がれた彼女の太刀。

それを振り上げ、一息に下ろす。ただそれだけの、とても簡単な動作。

……のはずにも関わらず。

 「……できない」

シエルの手は、太刀を構えたまま一ミリだって動いていなかった。

 「できないんだ…。

ねぇさんは、ねぇさんはアニキを殺した…!なのに、今の僕の頭の中には、僕を護ってくれた優しいねぇさんの姿しか見えない!

あんなに優しいねぇさんが、意味も無く人を殺すはずがない!

多分、アニキが何か間違った事をした…。うん、そうだ、そうに違いない!だからねぇさんはアニキを殺すしかなかった!

ねぇ、そうなんでしょ!?それなら、それなら僕は……!」

 「シエル…」

涙を流し、シエルは必死に殺さない理由を探す。

記憶の中の姉と、今日まで見てきたノエル。

二人は間違いなく同一人物で、考え方は同じはずだ。

だから、無意味に人を殺すはずがない。アニキは思い込みが強いところがあったから、きっとそれが原因だったんだ。

 ーーだから。

 「あ~もう、めんどくさいめんどくさい!そういうのいらないから、早くとどめ刺しちゃいなよ!!」

何の脈絡も無く飛び入って来た、この場に似つかわしくない酷く明るい声。

あまりに不意な出来事に、二人の思考は一瞬止まる。

 「……あ、やっべ」

 「貴女は……」

再び上がった声の先。そこに居るのは、マントらしき布を身に纏った陽蘭莉だった。

 「あちゃー、バレちゃしょうがないか。

そうでーす。姉弟ケンカの見届け役、陽蘭莉でーす!こんちゃ~!」

明るく、けれど耳障りな声で正体を明かした彼女は、部屋の端からほんの少しだけ二人の元へ近寄る。

 「いやさー、まさか弟君がこんなにやる子だと思わなかったよ。なに?やっぱ化物の弟は化物ってカンジ?流石に迫力あったわ~」

 「この…!」

あからさまに神経を逆なでする言い方で二人に話しかける陽蘭莉。

当然聞き過ごすわけも無く、シエルは彼女へ向かおうとするが。

 「あ~っとっと。そんな不用心じゃないって」

 「…!?」

何故かいきなり硬直を見せるシエルの身体。

指先はおろか、唇すら動かない。

 「ほら、私ってさ、おねぇちゃんに比べて存在感薄かったでしょ?おかげかそのせいか、逃げた後にそれを生かして仕返ししようと思ったんだよね」

話しかけるように口を開くが、返答を待っている様子はなく、途切れさせずに更に続く。

 「まぁー確かに、相手は違うんだけどさ。でも、それじゃあ腹の虫は収まらないでしょ?いやまぁ、収まらないのはこの無くなった腕なんだけどさ。

だから、あの場に居た敵を全員呪い殺してあげようと思ったわけ。んで、どうすればアンタたちを殺せるかなーって思ってたんだけど、なーんかそのおねぇちゃんと兄貴君が殺り合ってるの見ちゃってさ、もうこれしかないと思ったよね。

そんで、思った通りに二人はぶつかり合ってくれた。お陰でこういう風にするのはそんなに難しくなかったかな」

まるで意味の分からない発言に二人に混乱が降りかかる。

それを感じたのか、陽蘭莉は小さく舌打ちをすると先ほどまでの人を小馬鹿にした態度を変えて話し始めた。

 「だから、私が呪いでアンタらの動きを邪魔したんだよ。ま、姉の方が強いみたいだから、弟にはあんまりする必要なかったんだけど」

苛立ちの込められた言葉の内容を理解できたのはノエルだけだったが、陽蘭莉はそんな事気にも留めずに言葉を吐き続ける。

 「で。

どうすれば二人にとって最低な終わり方になるのかを考えてた。どうせやるなら徹底的にした方がいいからね。

それで思いついたのが、今のこれ。姉は愛しい弟に殺されて、弟は兄貴の勘違いを引き継いで罪のない姉を殺す。

うん、わかりやすく最低。……なんだけど」

言って、大きくため息を吐く。

 「ホントはね~、こうやって説明する気は全くなかったんだ。だってしらけるし。けど、あんまりつまんなくて、我慢できなくて声が出ちゃった。

……だからさ、ほら。速く殺してよ。ごちゃごちゃ感傷に浸ってないでさ。気が付くのは殺ってからでしょ?じゃなきゃただの辛いお話で終わっちゃう。後悔してもらわなきゃ仕返しになんないんだから」

 「……!?」

彼女が本心を露わにした瞬間だった。

シエルの硬直していたはずの腹筋が、腹筋のみが力を失う。

腕は構えられたまま。太刀の先は鋭いまま。彼の身体は前のめりに倒れる。

 「……あ」

それは、とても簡単に刺さった。

何の抵抗も無く、何の滞りも無く、吸い込まれるように。

 「……!………!!」

シエルの声は上がらない。口は変わらず動かないままだから。

 「……そう。本当に死ぬしか無くなったら、呪いは解けるのね」

吐血交じり吐き出される、力ない言葉。

陽蘭莉によって落とされた太刀は、僅かに照準が狂い、心臓よりも少しだけ下に刺さっていた。

 「……ま、いいか。どうせすぐ死ぬし、弟はその様を目の前で見る以外に何もできない。思ってたよりも、むしろいいかもね」

嬉しげに漏らし、陽蘭莉は部屋から出て行く。

彼女の後を追う事も、後姿を目に焼き付ける事も出来ず、シエルはただ、口から血を垂れ流すノエルしか見ることが出来ない。

 「……あの女はああ言ってたけど、ふかまるは勘違いなんてしてなかったよ」

聞き返したくも声は出ない。

静かに消えていく姉の命を、シエルは見続ける。

 「大切な弟の貴方ーーさきみのために、全力で挑んで来た。それは勘違いとは言わない。……私は、そう思うな。

だから、ね」

伸ばされる手。微かに、熱を頬に感じる。

 「お兄ちゃんの事、悪く思ったらダメだからね?」

だが、その熱が直に触れる事は無く。

 ーーごめんなさい。貴方との約束、守れなかったわ。

受け止める者もいない彼女の手は、ゆっくりと床に零れ落ちた。

 「………おねぇ、ちゃん」

声が、上がる。

あれほど動かなかった唇が、今は簡単に動く。

手も、脚も、身体中全てが恐ろしく簡単に動く。

 「おねぇちゃん、おねぇちゃん、おねぇちゃん!!」

自由になった全身で、姉だった塊を抱きしめる。

熱はまだある。最後に触れる事が叶わなかった柔らかな温もりはまだ残っている。

 「う、あぁ……!あぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!」

忘れないように、失わないように、シエルは貪るようにしてノエルを胸に収めた。強く、ひたすらに強く。後悔なんてしないために、強く。

けれど、彼の慟哭を聞く者はいない。

知る者も現れないだろう。

ただ寂しく、雨音だけが彼の声に重なっていた。



to be next story.







           -----------



 「あ~あ、やっとすっきりした」

フードを被り、強い雨の中を歩く人がいる。

声の様子では年頃は若く、恐らくは学生だろう。

そんな年齢の子が、この雨の中街外れを歩いている。

 「……どうかしたの?」

 「……ん?」

だからだろうか。

少年ーー泡沫は、妙な胸騒ぎを覚えた。

 「風邪、引くよ?」

あくまでも世間話を装い話しかける泡沫。

……当然、こんな悪天候の下話しかけてくる人間がまともなはずもないが。

 「あーいいのいいの。今なら何が起きても平気平気!」

少女は不信感を抱く事無く返事をした。

 「なにか、いい事でもあったの?」

 「うん。すっごくね」

 「ふぅん。聞いてみたいな」

次第に強まっていく胸騒ぎに従って泡沫は話を聞き出そうとする。

それを不思議にも思わないのか、それとも高揚しているせいで思考が回らないのか、迂闊にも少女は口を滑らせる。

 「嫌~な奴らにね、仕返ししたんだ。沙紀美とノエルって言うんだけどさ」

 「……沙紀美?」

 「そ、沙紀美」

刹那。

 「あれ?」

少女の天地が逆転した。

 「……君が誰か知らないけど、口には気を付けた方がいいよ。

誰がその人に関わってるか分からないんだから」

少女が落ちるのを確認し、泡沫はその場から離れていく。

 ーーなに、それ。意味わかんな…

彼女の声は聞こえない。

雨音にかき消されているからではない。

不意の一撃によって受け身を取れずに頭から落下した彼女は、そのまま首の骨が折れていたためだ。

 「………これで、恩返しできたかな」

一向に止む事のない雨の中、泡沫は誰かを探しているかのように、姿を消した。


       

            ーーーーーーーーーー

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