第14話 擦れ違い。その果て
夕焼けが包む街の中を一人の少年が歩いている。
向かう先は自宅。だがその胸中は帰宅の喜びに満ち溢れているわけではない。
あるのは疑心と恐怖、そしてそこから生まれる怒り。
それまで信じていたものを疑うと言うのはどんな人間にとっても恐怖が呼び起こされる最悪の行為だ。
これまでの全てが偽りに変貌し、善意だったはずの行為は何もかもが悪意で塗り固められたものと認識が変わってしまう。
それらの先にあるは、偽りと悪意で再構築されたこれまでを鵜呑みにしていた事に対する恐怖。
何故疑わなかったのか、何故全て善意から来るものだと信じていたのか。
何故、真実の片鱗さえ見つける事が出来なかったのか。
思考を巡らせれば巡らせるほど理性は陰りを見せ、次第に感情は憤りへと移行していく。
それでもなお、彼が怒りに身を任せずにいられるのは脳裏を過る優しき日々の影だ。
あの少女の言葉に嘘偽りはない。それは知っている。
だが同様に、今の家族である彼らが真実の善意から行動していた事も、頭では分かっている。
だからこそ少年のーー沙紀美の心にはどうしようもない迷いが生まれてしまっていた。
ーーやっぱり、聞くしかないかなぁ。
幾度考えようと行きつく場所はそこだ。
けれど、やはり同じく出て来るのは『冷静さを欠いてしまうだろう』という危惧。
互いに……少なくとも自分が落ち着いて話を聞ける状況でなければ、【本当】を知る事は難しいだろう。
桔梗はそこへ巻き戻り、思考は振出へ戻ってしまう。
「…アニキ」
知らずに口を突いた言葉。
今の沙紀美にとって最も必要な回答者は彼を於いて他にはいないだろう。
……だが、頼みの綱の彼も現在はどこにいるのかわからず、会えたとしても、セトの口ぶりから察するに話が出来る状態ではないだろう。
「……分かんないよ、アニキ」
「何が分かんないって?」
再び漏れ出た言葉に対し、何故か返事が返ってくる。
「……あ」
「よう。なんか、久しぶりだな」
「こんにちは」
声の主ーー青乃 白哉はいつの間にか沙紀美の隣に立っていた。
何故か、天野 巫胡を連れて。
「どうして会長と青乃君がここに?」
帰宅途中の大人たちがいる中、流れを逆らって進む三人。
これまで何度も街で青乃に出会っている沙紀美だが、生徒会長と一緒にいるところは見た事が無い。
どころか、学校での過ごし方から何から真逆と言っていいほどに差がある二人だ、接点など思いつきもしない。
……鱶丸を除いては。
「ですって、生徒会長。答えてあげたらどうです?」
「……本当、嫌な性格してますね。青乃君」
「えー、手伝ってくれてる人にそんな事言っちゃうの?」
「うっ……」
親しいーーと言うには少し違和感のある二人の会話に沙紀美は首を傾げる。
「……情報、収集です」
「情報収集?」
ニヤニヤ笑う青乃を無視する事にしたのか天野は沙紀美に顔を向けて話し始める。
「はい。沙紀美君は学校祭であった事件、知ってますよね?」
「…はい。会長が軟禁にされたっていう」
「その時に助けてもらったお礼を、お兄さんにしたいんです」
ゆっくりと、行く道先に視線を戻しながら彼女は更に続けた。
「あの時はお兄さん……鱶丸君にお詫びをさせて欲しいと言われて受け取ってしまいましたが、やっぱり何度考えても鱶丸君が謝るのはおかしいと思うんです。
寧ろ、助けてくれた私が彼にお礼をするべきなんです。
だから…それで……」
「……?」
僅かに熱を帯びたように話し出したかと思えば急にしおらしく変わる天野。
兄にお礼をしたくて青乃に助けを求めた…ところまでは分かったが、今度は彼女の態度に疑問が出てきてしまった。
「(…ってぇ事らしいんだ。沙紀美君も大変だな)」
「(……え?)」
突然小声で話しかけてきた青乃の言葉に思わず目を見開いてしまう沙紀美。
何かを含むような物言いと、思わずほころんでしまっている彼の顔。
そこから導き出されるのは……。
ーーえ、まさかそうなの?
驚き、慌てて天野に視線を移す。
その彼女の顔は、頬を赤らめ何かを恥じらっている……ように見えなくもない。
「(沙紀美君のが詳しいかもしれないけど、アレは多分間違いないぞ。アニキの話しすると面白い顔ばっかするし)」
「(………そう、なんだ)」
衝撃の事実が沙紀美の脳に襲い掛かかる。
確かに、最近の委員会活動の時よく目が合うようにったとは思っていたが、まさかそんな理由だとは思いもしなかった。
しかし辻褄は合う。アレが、弟の沙紀美(じぶん)に話を聞こうと機会を伺っていたのなら……。
「まぁ、理解は出来るけど……」
そこはかとなく全身に圧し掛かる脱力感に沙紀美の顔が僅かに歪む。
兄の……事今の状況で、彼が中心に来る恋愛話を知るとは思いもしなかった。
だが納得は出来る。
傍から見れば鱶丸は魅力的な人物だろう。
人望があり、真っ直ぐで、強くたくましい。その上優しさも兼ね備えている。これだけ聞けば彼を好きにならない理由はない。
……けれど。
ーーもしアニキが嘘つきだって知ったら、どうなるんだろう。
ノエルから知らされた事実ーーかもしれない話。
想像もしたくないあの話を、もしも彼女に話したのなら。
「……ねぇ、会長」
「なんですか?」
知らぬ間に口から出て行く言葉。
「アニキの事、どう思いますか?」
「……え?」
聞くべきではないのだろう、止めるべきなのだろう。
この二人は何の関係もない。沙紀美とてそれは分かっている。
ーーでも、シエルになるのなら。
真っ直ぐに、真摯に、口にした疑問の答えを天野に求める。
当然、天野は沙紀美の状況を知っているわけもなく困惑を示す。
「……そうだなぁ。じゃあ、まずは俺から話すか」
二人の間に割って入る青乃。
勿論彼も沙紀美の状況は知らない。
それでも彼は。
「アニキの、良いところをさ」
沙紀美の瞳から何かを感じ取った。
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噴水のように吹き上がる血液。
視界を染め上げるに足るそれらは鱶丸の思考を停止させ、ノエルに追の撃を許す。
瞬く間に引き抜かれる太刀。にわかに勢いを増した噴水は鱶丸に激痛を伝えると共に彼女の行動を拒むが如く視線を覆う。
間も無く訪れる鈍痛。それが腹部から湧き上がるモノだと理解する前に彼の身体は壁まで吹き飛ばされた。
内臓へと迸る衝撃は苦痛と表するには些か生温い。
吐血を纏い嗚咽を上げ、三方から己を蝕む痛みに苦悶の表情を見せて壁に背を預けるもなお立ち上がる鱶丸。視野の半分は朱色に染まり、遠近感は狂い始めている。
その隙を逃すノエルではない。
彼が頭をもたげるよりも早く猪突し、三撃目となる太刀を振るい上げる。
迫る凶刃は音さえ聞こえてきそうな輝きを帯びて閃光を走らせ、鮮烈な筋をもって鱶丸に襲い掛かる。
……だが。
飛び散っているはずの男の脳漿はない。
分かっているのは、太刀を握っている己の腕の動きが不自由であるという事。
状況を理解するまでもない。
ノエルの視線の先で奥歯を噛み締めながら男が笑っている。彼女にとってはそれだけが真実であり、何を使って防いだかなど一寸の興味すらない。
腕が動かないのならば、脚を使えばいいだけの話なのだから。
ーー白刃取り。
剣術の達人でさえ体得するのが困難である秘奥を、奇跡的にも鱶丸は成功させた。
それでもなお放たれる蹴り。今度は薙ぎ払うような大振りではなく刺突型。
見た目の豪快さは無く、避ける方向が多く用意されてしまう一点集中の一撃。
だがそれはあくまでも自在に動ければの話だ。
今の鱶丸は両手を太刀に割き、後方を壁に阻まれている。
避ける術はない。
ならばーー
生物の根幹的恐怖を呼び覚ます怪音が辺りに木霊する。
それに痛覚を伴っているのは鱶丸であり、本来感じる感触とは別のモノに舌を鳴らすのはノエルだ。
腹部に喰らえば大怪我では済まされない彼女の蹴り。
恐怖を想起し自衛さえままならなくなる一撃を受け止めたのは、鱶丸の右脚だった。
「……そう、そうね。あの子の兄を名乗っていたんだもの。このくらいはやれて当然よね」
肩に重症を負わせ、臓器に無視できない痛みを与え、機動力を半減させてもまだ、この男は立ち上がった。
「わかった。それなら私も使うわ。
……疲れる、なんて言ってられそうにないものね」
太刀から手を離して三歩距離を取り、独り言ちたノエル。
その途端、彼女の背後に白い靄が立ち込めた。
まばたきの間もなく膨張し、形状を整え、周囲を圧倒していくそれ。
気が付けばそれは、透明さを帯びた強大な人骨の上半身へと姿を変えていた。
「……がしゃどくろ。私を蝕み続けた妖怪(あいぼう)よ。
覚悟した方がいいわ。これを出すと、力のために身体を限界まで使ってしまうから」
ーー刹那。
「やっぱり、定期的にやらないとダメね。感覚を忘れてるわ」
朱色の視界で捉えていたはずのノエルが、鱶丸の真横に立っていた。
淡い風が鱶丸の右頬を撫ぜる。
と、同時。
瞬間的衝撃によって鱶丸の身体は横に吹き飛んだ。
積み上げられた木箱群が破壊音と土埃を巻き上げる。
ーーおいおい、マジかよ。
呆然とする彼の脳内で巡るのは【今の一撃は何だったのか】。
頬に風が当たったのを感じた次の瞬間には自身の身体は木箱群の中にあり、全身を針の筵で包まれたような痛みが蔓延していた。
その中でも特に感じるのは右腕から肩にかけてまでの砕かれた骨の痛み。
理解できるはずもない。
痛みを感じるよりも速く次の衝撃を受けていた、だなんて。
だが、実際にされたのなら納得するしかないだろう。
今の彼女は、神速すら体現するのだと。
「……いよいよ、どうしようもねぇか」
「…………まだ生きてるの?」
空の木箱がクッションにでもなったのだろう。
半身をだらけさせた男は、何に頼るでもなく立ち上がる。
「妖怪も憑いてないのによくやるわね」
「弟が付いてるからな。……いや、この場合は憑いてる、かもな」
「…何言ってるのかしら」
「気にすんな。独り言だ」
「そうね。遺言とでも思っておくわ」
言うと同時、ノエルは再び身体を消す。
否、人の眼では追えぬほどの速さで駆け出している。
滞っている土埃が彼女の突進先を表すように円を描いて霧散する。
向かう先は当然、鱶丸。
だが当の彼は微動だにしていなかった。
……いいや。最早できないのだろう。
右半身は文字通り動かせず、辛うじて使える左半身は脳が行動するのを拒んでいる。
そもそも、立っている事自体が異常なのだ。
だが、それでも。
ーー…足が!?
ノエルに出来たたった一瞬の隙を見逃さなかった。
彼女の接近を拒んだのは未だ舞い上がっている土煙でも、新たに乱入した第三者でもない。
今日、この日、同じ空間で命を散らした森田の右手だ。
本来なら気に留めるでもない、蹴散らせて然るべき残骸。
しかし、神速を体現している今のノエルにとっては、ほんの些細な障害物でさえ減速させるに足りている。
加えて、鱶丸が先ほどまで受け止めていた太刀。
もしもそれがここに転がっていたら……?
その思考が、彼女に一瞬の隙を生み出し、鱶丸に初めての反撃の機会を与えた。
「しまっ…!!」
取るに足らぬ物だったと気が付いてももう遅い。
鱶丸の左拳は、ノエルの顎に目掛け飛ばされていた。
彼が狙ったのは脳震盪を引き起こす一撃。
対象者の顎を掠めるように拳を放ち、脳を揺らして意識を飛ばす、ただの人間に出来る最大の攻撃。
決まれば、如何に強く、どれだけ恐ろしい生き物であろうと関係ない。
身体を鍛えようと、心を鍛えようと、それらは脳まで行き届かない。
故に。
「……え?」
痛みが顎ではなく、額に訪れた事にノエルは驚きを隠せなかった。
真横を通り過ぎ、成す術なく床へと倒れていく鱶丸。
彼の、力を籠めるのではなく全体重をそのまま乗せた一撃は、彼女の顎に当たれば勝負の明暗を間違いなく分けた。
だが、鈍い痛みを走らせるのは頭ではあっても脳ではない。
僅かに血が流れるのも額から感じている。
手で触れても、確かに血が滲んでいる。
「……やっちまったか」
うつ伏せになったまま口を開く鱶丸。
その身体はピクリとも動かず、口だけが辛うじて使える状態のようだ。
「遠近感、おかしかったもんなぁ」
吐血交じりに吐き出される言葉が伝える、今の攻撃の真相。
つまりは、彼は顎を狙っていたが距離感が掴めていなかった、のだ。
その理由は恐らく視界を染め上げていた朱色だろう。
しかし、ノエルにとっては事の真相など歯牙に掛けるほど問題ではなかった。
「……強いのね、貴方」
「あぁ、まぁな。けど、もっと強けりゃ、お前から沙紀美を護れたんだよなぁ」
溢し、込み上げる涙を堪える鱶丸。
「…さっきからずっと言っているけど、なんなの、それ」
「…もうとぼけなくったっていいだろ。お前が沙紀美達を殺した、だから俺はケンカを吹っ掛けた。
……それだけだ」
悔しさを滲ませて口にする鱶丸だが、しかしノエルは小首を傾げる。
「他の人達は分かるけど、どうして私がシエルを殺すの?」
「………は?」
「そもそも、私は誰も殺していないわ」
痛みを忘れてしまえるほどの言葉に、鱶丸の脳内が白く塗り替えられる。
「…何言ってんだ。お前が沙紀美を殺そうとしたから、森田さんたちがお前に挑んだんだろ」
「違うわね。シエルを通しての約束だったもの。あの人たちとは出来る限り仲間でい続けたわ」
「……冗談だろ」
「じょうだん?」
彼が覚えているセトとノエルの会話。
朧げではあるが、セトが『呉越同舟』と言っていたのは覚えている。
そしてそれは確かに沙紀美が理由の共闘の申し込みであり、仮にノエルが沙紀美を殺す事を目的に行動していたのなら申し込みを呑む必要性はない。
彼女ほどの強さなら余程の事がない限り人数差など事実を知らしめる手段にしかならないのだから
……ならば。
「俺は……」
痛みとは別の込み上げてくるモノに鱶丸の全身は支配される。
動くはずのない手足は震え、血にまみれた口内は歯噛みをし、朱く閉ざされた視界は知らぬ間に歪みを帯びて色彩を取り戻していく。
「あぁ……そうか、そうだったのか」
上擦る声も隠さず、鱶丸は思考に訪れた答えを口にする。
「勘違いだったのか」
【勘違い】
事の結末に於いてこれほど間の抜けた真相など無いだろう。
森田と那須を死に追いやったのは全く別の者で、沙紀美はーー恐らくはノエルの手によってーー生きてここから逃げ延び、仇と疑った相手はあろう事か一時的とは言え仲間として行動していた。
それらの事実が示すのは完膚無き間での過ち。
死を目前に迎えている者にとって、信じていた事が全くの真逆だったのはこれ以上ないほどに辛い現実だろう。
だが。
「良かった」
男は、静かに、独り言ちた。
そして。
「……すまなかった。俺のせいで面倒な想いをさせてしまって」
ノエルへの謝罪を口にした。
「…気にしていないわ。
勝ったのは私だし、それにシエルによく言われてたから。『おねぇちゃんはいつも言葉が足りない』って」
「……はは、そっか」
小さく、とても小さく、彼は呟いた。
「最後に、ひとつだけ…いいか」
「……何かしら」
途切れていく彼の言葉。
「身勝…手だとは、思うん…けど、よ」
消え入る声を拾うべく、ノエルは彼の口元まで耳を近づけた。
「………。…………」
けれど、彼女の鼓膜を揺らすのは擦れた吐息だけ。
ーーーそして。
「 」
音さえも、聞こえなくなった。
「……言われるまでも無いわ。
けれど、そうね」
閉ざされた瞳を一瞥し、立ち上がるノエル。
太刀を拾い上げ、鱶丸を背に歩きだした彼女は一度だけ振り返り。
「任せて」
ただ一言、残した。
肌寒い海風が誰もいなくなった倉庫の中を吹き通っていく。
累々と満たされているのは、目にした者たちを阿鼻叫喚へと誘う絵図。
深淵と変わらぬ静寂の中で一際存在感を示す、遥か遠い潮騒の音。
彼らの遺体が発見されるには、まだ少しだけ時が足らない。
_____________________________________
重く張り詰めた曇天が、目下で集う人々を暗々と照らす。
彼ら、彼女らが身に纏う服は黒く深く、空の色さえ霞ませる。
皆の向かう先は一つの、とても大きな、けれど外観からは威圧感を感じさせない構えの建物だ。
やがて定刻になったのか、同様に黒い服に身を包んだ男が室内に用意されたマイクスタンドの前に現れた。
「ーー…本日は御多用の中、また、御足下の悪い中、我が子の為に御参列いただき、深く御礼申し上げます。
亡き鱶丸も、きっと喜んでいる事かと思います」
滞りなく、つらりと読み上げられたとても短い文。
どこまでも形式的に綴られたそれらは、けれど、真実を知らしめるのには充分過ぎるだけの力がこもっていた。
「…………御多忙中とは存じますが、何卒、よろしく御願い申し上げます。
本日は、誠に有難う御座いました」
簡潔ながらも記憶を呼び起こさせるそれらを最後の一言に至るまで、決して滞る事無く読み終えた男は、深々と一礼し、席に座した人々へ確かに感謝を示して、直ぐ近くの席に腰を下ろした。
それを皮切りに、席についていた喪服の人々も一人、また一人と告別式場から外へと歩き出していく。
そうして、椅子ばかりが並ぶ伽藍とした室内に、二人だけが残された。
「……ごめんな、沙紀美」
「……もういいよ、父さん」
用意されていた親族側の椅子に座ったまま会話を紡ぐ虎徹と沙紀美。
二人の眼に涙は無く、虎徹にいたっては頬に赤い被れすらない。
「強いね、父さんは」
「……そう見えてるなら良かった。
アイツにとって俺は、かっこいい親父でなきゃいけねぇからな。そう見えてるなら有り難いよ」
「うん。
やっぱり、母さんは来れんかったんだね」
「あぁ。多分まだ、家で泣いてるんだろう」
「そっか。じゃあ、早く帰って隣に居てあげないとね」
「……そうだな。直ぐに帰るか」
「僕も、空さんや青乃さん、それに先生と少し話したら帰るよ。
そんなに遅くはならないと思う」
「………分かった。気をつけろよ」
淡々とした会話を終え、立ち上がる虎徹。
彼は席から数歩離れた所で振り返り、最後にもう一度だけ言葉を届けた。
「頼むから、お前までいなくならないでくれよ。父さんも母さんも耐えられないからな」
「うん、大丈夫」
沙紀美の、微笑みを交えた返答。
虎徹はそれ以上何も言わずにただ頷くと、赤く腫れた掌で拳を固め、その場を後にした。
「……さてと」
たった一人残った沙紀美は虎徹が式場から出て行ったのを確認すると、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「僕も行かないとな」
そう言って沙紀美が向ったのは、あらかじめ確認しておいた裏口に当たる出口。
大半の参列者は今頃正面玄関付近で話に涙を添えている事だろう。
当然そこには空や青乃、鱶丸の担任だった白佐目を含む、クラスメイトたちがいるのはほぼ間違いない。
沙紀美は彼女らに鉢合わせぬよう、別の出入り口を用意しておいたのだ。
理由は言うまでも無い。
もしも今、仲の良い、或いは良くしてくれる人たちに会えば決心が鈍るからだ。
ーー許せない。
初めて覚えた本当の意味での怒り。
それは彼にゆくべき先を直感的に示す。
ーーー始まりの場所。
陽神莉姉妹や山銀たちの親しい人物たちが惨殺された地。
彼らが生前、最後に集っていた廃屋だ。
ーー場所は分かってる。後は、行くだけだ。
そこで何が起こるのかを想像出来るほど今の沙紀美に冷静さは無い。
彼の心を覆うのは、荒波と変わらぬ憤怒だけだ。
「……来たのね」
「うん。お待たせ、ノエルさん」
「…………えぇ」
全身をずぶ濡れにした沙紀美の眼前に居る、積み上げられた細長い鉄パイプの上に座るノエル。
現場検証用に残されている作業用ライトに照らされた彼女の額には僅かに汗が滲んでいるように見える。
「……やっぱり、アニキと戦ったのはノエルさんなんだね」
「そうね。
あの人、とても強かったわ」
「……当たり前だよ。アニキは、アニキなんだから」
「…きっと、そうなんでしょうね。あの人のーーふかまるの強さは、理屈じゃない。
最期まで、貴方の事を頼まれたわ」
「……!
だとしたら、ノエルさんはどうするの?」
僅かに震えた声で返答する沙紀美。
「何も変わらない。私は貴方と共に暮らせるよう努力をする。それがふかまるの願いを叶える事に繋がるはずだわ」
それを何とも思わないのか、ノエルは己の考えをそのまま伝えた。
「…だとしたら、それは無理だよ」
「……どうして?」
「僕はもう、貴女を姉とは思えない。
どうして僕の恩人を殺した人と一緒に居られると思うの?」
「……シエル」
「違う!
僕は……いいやオレは!沙紀美、アニキが弟だと呼んでくれた、海原 沙紀美だ!」
鋭くノエルを睨みつけ、己が答えを示した沙紀美。
その心からの想いを耳にし、ノエルは太刀に手を伸ばす。
「……そう。
ならつまり、ここに来た理由は一つね」
「うん」
「「アニキの仇討ち」」
二人の声が重なり合う。
同時。
二人の間合いは零距離と言えるほど切迫した。
「……久しぶりの姉弟ケンカね」
「そうだけど……!」
つばぜり合う鉄パイプと太刀の刀身。
金切り声を上げるそれらは、パイプの僅かなひび割れに感づいた沙紀美によって終わりを告げる。
「……沙紀美のオレには、初めての姉弟ケンカだよ!!」
驚くほど簡単に跳ね除ける事に成功したノエルに対しそう口にした沙紀美は再びパイプを構える。
「絶対にオレが勝って、アニキの仇を取る!!」
強く、猛りを見せた沙紀美は両足に力を籠めて駆けだした。
己でも気づけていない、未だ姉と認めてしまっているノエルに渾身の一撃を叩き込むために。
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