第13話 決意と対話


 同日。

鱶丸、セト、ノエルがそれぞれに分かれてから十数分の時が経った。

満身創痍と言える鱶丸を担ぎ、どこかへと向かうセト。

足取りは住宅街へと向かい、記憶を頼りに目的の場所へと進んでいるようだった。

 「……確かこの辺りだったよな」

周囲を見渡し、幾つかの家を確認しつつ呟く。

どれもセトが最も活発に活動していた頃の家構えとは一線を画す出来栄えのせいか、彼女の中での見分けがつき辛いのかもしれない。

 「……まぁいいか。表札くらいあるだろ」

外見での特定を諦めた彼女は立ち並ぶ家々の端からしらみつぶしに目的の家を探す事にしたらしく、インターフォンの近くを覗き始める。

そうして三軒目。セトが求めていた家があった。

【山鳩家】

何冊かの本が重なり合ったような形をした洒落っ気のある表札にそう書かれている。

 「えぇと、確かこれを押すんだよな」

不慣れた手つきでインターフォンを押し込み、反応を待つ。

 「--はい、山鳩ですけど」

十秒ほどの空白の後、電子音に変換された少女の声が届く。

 「……海原だ。開けてくれ」

音声が途切れたのを確認したセトは落とした声で返答した。

 「--鱶丸?」

セトの、より低音を意識した声を聴き、少女の訝し気な声が返ってきた。

…だが、数秒後。

 「とりあえず、開けます」

疑わしくは思いつつも返ってきた言葉。

その一瞬後に、家の扉が開いた。

 「あの、鱶丸君の…」

チェーンロックが覗き見える扉の隙間から顔を出しているのは鱶丸の幼馴染である空だ。

眉を潜めた面持ちは明らかに不審者を警戒しているようだったが、すぐさま態度は一変した。

 「鱶丸!?!?」

驚きのままに押し開けられる扉はチェーンに阻害され歪な音を立てる。

 「え、え!?どうして!?」

セトの抱えている鱶丸の容態を見てただ事ではないと察した空は即座にチェーンを外し、セトのもとへ近寄った。

 「あ、あの!彼、どうしたんですか!?」

混乱を露わにしたまま言い詰める空。

それを受けたセトは、僅かに沈黙すると口を開き。

 「…どうも、じてんしゃに撥ねられたみたいなんだ。事故は見てないけど、相当な音がしたから結構な重症だと思う」

あからさまな出まかせを伝えた。

 「自転車って…。明らかにもっとひどいモノに轢かれてませんか!?バイクとか、そっちのに!」

撥ねられた、と聞いたからだろう。空は更に熱を帯びた声を上げてセトを問い質す。

しかし直ぐに我に返ると。

 「……ごめんなさい。えっと、とりあえずその人は我が家で預かります。事故の事とかも聞きたいので、出来ればお時間いただきたいんですけど…」

努めて造った冷静さを見せ、セトを中へと促した。

けれど彼女は軽く首を振ると空に鱶丸を預ける。

 「……悪いんだけど、それは出来そうも無い。ちょっと急用があって、直ぐに向かわなきゃいけないところがあるんだ」

 「………そんなに大切な事なんですか?怪我人よりも」

 「あぁ。君には悪いが、かなり大切な用事なんだ」

怒りに近い感情で問う空に対して臆する事も無く発言するセト。

二人は少しの間視線を交じり合わせると、不服げに空が瞳を逸らした。

 「……分かりました」

 「ありがとう。

それじゃあ、後は頼む。…くれぐれも無茶はさせないように」

 「もちろんです。貴女も、間に合うと良いですね」

 「あぁ。本当にな」

最期にそう交わすと、セトは振り返ることなく走り去っていった。

 「酷い人。……綺麗だったけど。

って、今はそうじゃない」

憂いの無いセトの後姿に小さく悪態を吐いた空は直ぐに鱶丸を家の中へ上げる。

 「ね、ねぇ!!大丈夫!?」

呼びかけるも返事は無い。

 「鱶丸!ね、鱶丸ってば!!」

もう一度、今度は軽く肩を揺すりつつ声をかけるがやはり返事は無い。

 「…とりあえず寝かさないと、だよね」

誰に確認を取るでもなく独り言ちると、二階の自室へと運び始めた。




数分後、どうにか鱶丸を自分のベッドに寝かせた空はスマートフォンを片手に狼狽えていた。

 「こういう時に限ってお父さんもお母さんもいないし、どうしよう…」

彼女の両親は現在、休日を利用して隣町にある温泉旅館へと一泊二日で足を運んでいる。恐らく入浴中なのか、電話をかけてもどちらも出なかった。

 「そ、そうだ。ウチが駄目なら沙紀美君の家に…」

となれば次は鱶丸の両親になるだろう。

本来ならば真っ先に最寄りの病院や警察に連絡して助けを求めるべきだが、今の彼女にはそこまでの精神的余裕はなかった。

 「…て」

番号を打ち込んでいる最中、ベッドからか細い声が上がる。

だが、その声はスマフォの音よりも空の気を引くことが出来ず、手を止めるに至らない。

 「ま、ってくれ」

 「ッ!鱶丸!?」

再びの呼び声。今度ははっきりとした声量だったため、空の意識を向けることが出来た。

 「どこにも、電話しないで…くれ」

 「は、はぁ?なに言って…」

現状、最もあり得ない選択肢を突き付けられ困惑する空。だが、鱶丸から向けられる激しく、強い視線を受けその手を止めてしまう。

 「……わりぃ。ありがと」

 「ありがとう、って…何があったの?」

 「…まぁ、ちょっとな」

一先ず鱶丸の話を聞くべきと考えたのか、空は開いていたスマフォを閉じて話しかける。

 「どう見てもちょっとじゃないでしょ、これ。もしかしてケンカ?」

二輪系の乗り物で轢かれたという話を一旦伏せて。

 「………近いかもな。もうちっとだけ大切なもんだけどよ」

 「……あのねぇ。沙紀美君だって心配するんだし、あんまり無理しないでよ」

 「ははっ、まーな。無茶な事はしねぇよ」

 「はぁ。ホントだからね?」

簡潔だが想いの伝わってくる言葉にため息を交えて返事する空。けれどその呆れは負の感情から来るものではなく、彼を認めてーー信じているからこそ出てしまう微笑みが含まれていた。

 「分かってる。お前の泣き声は五月蠅いからな」

 「はー?なにそれ。別にアンタが無茶苦茶しても泣かないですぅ」

 「知ってるよ。でも俺じゃなくて沙紀美だったらとんでもなく泣くだろ」

 「……はい?」

穏やかに続けられていた会話が途端に暗雲を侍らせる。

 「…例えばだよ。

なんだかんだアイツ、悲劇のお姫様気質っぽいからな」

それをマズいと即座に感じた鱶丸はわざとらしくも見える笑みを浮かべて更に続けた。

 「それに昔っからアイツの事になるとムキになってたしな、お前。それをちょっと思い出してさ」

 「……なんだ、そういう事。もう、急に変な事言わないでよ」

今にも笑い声を上げそうに話す彼を見て、ケンカの原因が沙紀美でないと考えた空は侍らせていた雲を払う。

 「それで、身体は大丈夫なの?」

 「あぁ、まぁな。このぐらいならなんともない」

出した右腕で力こぶを作るジェスチャーを見せる鱶丸。

その腕は明らかに震えていたが、空はただ頷き。

 「ん、なら良し。一眠りすれば大丈夫そうだね」

彼を肯定した。

しかし、鱶丸は首を振る。

 「いや、もう行くわ。あんまり迷惑かけてもよくないしな」

そう言って身を起こす。

……しかし。

 「痛ッ…!」

 「ちょっ!」

無防備に倒れそうになる身体を空が咄嗟に受け止めた。

 「バカ!気を失ってたくせに平気なわけないでしょ!?ちゃんと寝てなきゃ!」

空の腕にかかる鱶丸の体重。重すぎるその体重は、彼の身体に力がロクに入っていない事を教える。

 「ともかく、今は寝てて。後で沙紀美君に連絡するから。それならいいでしょ?」

寝かすようにしてベッドへと横たえさせる空。

半ば呆れ気味な彼女の発言はどこか自信めいた想いが乗せられていて、この提案は飲み込んでもらえるだろうと考えられていた。

 「…………いや、それもやめてくれ」

けれど、鱶丸から返ってきたのは明確な否定。

 「…どうして?」

あまりに意外な返事に空は真剣な表情を見せる。

鱶丸と沙紀美。二人の兄弟関係は非常に良好だ。両親に言えない事でも互いになら言えるーーそういった出来事はこれまでにも何度もあり、逆にどちらか一方が伝えるのを拒む、と言った事はこれまで一度もなかった。

この二人が……特に鱶丸が、沙紀美に対して怪我の理由や、そもそもの怪我をした事を伝えないなどというのは彼女の経験上あり得ない。

 「沙紀美君にすら言えない事なら、お母さんたちに連絡しなきゃいけないけど」

彼に限って犯罪に手を染めているのはなおの事あり得ないと分かってはいる。それでも、一つの安全確認として機能していたモノが拒まれたのだ。嫌が応にも彼女の中に緊張が生まれてしまう。

 「…それはもっと駄目だな」

 「ならせめて青乃君には話して。じゃないと、警察にも連絡するよ。

……一応、『事故だ』って助けてくれた人が言ってたから、犯人も捕まえたいし」

そう言いながら再びスマフォの電源を点ける。

 「……青乃も駄目だし、警察も良くない。多分、説明してもまともに取り合ってはもらえない」

 「どういう事?」

 「……悪いけど、それも言えない」

 「言えない…って」

スマフォを握ったまま言葉を無くす空。

兄弟でも話せない、男同士でも話せない、家族にも公的機関にも話せず、女友達である自身にも話せない。

空の知る限り、彼がここまで拒否するのは一度もなかった。

 「…そんなに大変な事なの?」

 「いや、他に迷惑かけたくないだけだ。大丈夫だよ」

それでも頑として『大丈夫だ』と言い続ける鱶丸。

事ここに至り、空はやっと事の重大さを悟る。

 「分かった。だったら、お父さんにはちゃんと話して。虎徹さんならいいでしょ」

その上で提案されたのは鱶丸の父親だった。

 「……親父、か」

 「それでもダメだって言うなら、この部屋からは出さないよ。

多分、それが一番嫌でしょ?」

部屋の出口に当たる扉の前へ来るよう座り直し、選択を迫る空。

少しの間沈黙が訪れ、その後鱶丸が頷いた。

 「親父にだけなら、いいか」

 「分かった。それなら、虎徹さんの電話番号教えて」

 「あぁ。親父が帰ってくるのはもう少し遅くなるだろうけど、それでもいいか?」

 「寝心地が悪く無いなら」

小さく会話を交わして番号を伝える鱶丸。

数秒後、スマフォを耳に当てた空が数言話し、再びの・今度は長い沈黙が室内に漂った。









 「来たな」

 「みたいだね」

暫くすると室内にインターフォンの音が響き渡った。

恐らくは虎徹だろう。

 「行ってくる」

 「こけるなよ」

 「青乃君じゃないんだから平気だよ」

酷く短い会話を交わし、空が部屋を後にする。

その数分もしないうちに扉が開けられる。

 「よ」

 「おう」

ラフな格好に身を包んだ、鱶丸にも負けない屈強な肉体を持った男ーー虎徹が立っていた。

健康的に焼けた肌が隣に立つ空と対象的に映り、どこかトリックアート的な不可思議さがある。

 「まーた随分派手にやったなぁ。生きてるか?」

 「見ての通りだな」

 「お前じゃなくて相手だよ」

 「…知らね」

扉の前で立ったままの虎徹と会話する鱶丸。

その頃合いを見図って空が中へ促す。

 「空は外に居てもらってもいいか?」

 「……ホントは嫌だけど、分かった。終わったら連絡お願いね」

 「ありがとう」

鱶丸に頼まれるがまま部屋を出た空は扉を閉める。

数秒後、階段を降りる音が聞こえてから虎徹が口を開いた。

 「ったく、いきなり知らない番号からかかってくるかと思ったら空ちゃんなんだからびっくりしたよ。結婚でもするのか?だったら父さん、シチュが逆だと思うな」

 「バーカ。アイツが好きなのは俺じゃなくて沙紀美だっての」

 「ははは。分からんぞ?女心と秋の空って言ってな、心変わりは早いもんだ」

 「だとしてもあり得ないな。俺もアイツも、お互いにそんな感情持ってねぇよ」

薄く笑う鱶丸につられ、虎徹も笑みを見せる。

 「ま、それもそうか。じゃなきゃ自分のベッドに寝かしたりしないもんな」

けれど和やかな声が上がったのもそれまで。

虎徹の顔が真面目なモノへと変わる。

 「で、今度は誰のためにやったんだ。ここまでされたんなら向こうも相当だったんだろ」

 「…まぁな。人類最強の女が可愛く見えるくらい強い奴だったよ」

 「驚いたな。一人にやられたのか」

 「あぁ。獲物は持ってたけど、無くたって強かった。手も足も出ないくらい」

 「……信じられないな。自慢じゃないが、お前が負けるなんて想像したこともないのに」

 「…負けてはねぇ。ただ強かっただけだ。まだやれる」

 「馬鹿言うな。我慢してんだろうが呼吸がおかしい。多分、ちょこちょこ骨がやられてんだろ。本当は喋るのがやっとなんじゃないのか?」

 「……んなことねぇ。走れるし、飛べるし、シャドーボクシングだってできる。

見たいならラジオ体操だってしてやるぞ」

 「バカタレ。冗談言ってる場合じゃねぇだろ」

 「……だな。

なぁ、親父」

 「なんだ」

 「一つ、聞いていいか」

 「構わないけど急にどうした。今のお前を心配するより重要な事か?」

 「…………沙紀美の、家族に会ったらどうする」

 「…どうもしない。俺の息子の望むようにするだけだ」

 「俺が、どうしても嫌だって言ってもか?」

 「今言っただろ。【俺の息子の】望むようにするって。

これは母さんとも決めた事だ。俺たち親は息子たちの意思を優先する。お互いの想いがかみ合わなかったとしたら当人同士でケリをつけろ。

……俺たちは親だが兄弟じゃない。お前たちにしか分からない事だってあるはずだ。気も遣わせたくないし、お前らももう、一人としての自覚が芽生える頃だ。親に決められた事に素直に納得できるわけもない。

代わりに、お前たちがどちらを選んでも最後まで面倒は見る。卑しくも親を名乗ったんだ。断られたって責任はとる」

 「親父…」

 「だからまぁ、行ってこい。

お前のやる事だ。とんでもない間違いってこたぁねぇだろ」

言いながら虎徹は立ち上がる。

 「空ちゃんには俺から上手く言っといてやるから、少ししたら部屋を出ろ。

…あんまり、遅くならないようにな。母さんも心配する」

 「……ありがとう。親父」

 「いいんだよ。後悔しないよう、しっかり悩め」

そう言って、虎徹は部屋を後にした。

 「しっかり悩め、か。

……向こうに着くまでにどうするか決めねぇとな」

寂し気に独り言ちた五分後、鱶丸は重い身体を引きずりながら空の家を後にした。












 

 夕陽が赤らんだ海の果てへ沈んでいく。

手前で広がる青は既に黒みを帯び、より深い闇を呼び寄せるかのようにコンクリートの壁を打ち鳴らす。

 「……確か、ここだよな」

不穏にも感じる潮騒に紛れて聞こえるのは何処かぎこちない歩みで倉庫街に現れた鱶丸の声。

可能な限り平静を装ってはいるが眉間には抗い難いシワが寄っている。

呼吸さえ整え切れずにいる鱶丸だが、それでも彼の脚は止まらない。

 「……待ってろよ」

絶えず鼓膜を強打する鼓動にも意識を向けず、先へと進み続ける。

ゆく先はただ一つ。

死戦が繰り広げられたあの倉庫だ。

彼はそこで何があったのかは知らない。だが脚は、ただひたすらにそこへ向かって行く。

理由は本人にすら分からない。……あえて言葉にするなら、虫の知らせというやつだろう。

一歩、近づくごとに引き締まっていく彼の心。

目的の地に着いた時には、もう固まっていた。

 ーーノエルも混ぜてきっちり話さねぇとな。

そう、心に決めて。

 「……あら、随分遅かったわね」

 「…あぁ」

鋭利な物で人為的に切断されたシャッターから洩れる薄明り。

その真下で、呆然と立ち尽くしていた斑模様の少女が言葉を投げる。

 「残念だけど、ここにはもう私しかいないわ」

 「……なに?」

親切心から来るものでも、怒りを扇動するためでもなく、ただ事実を口にした少女ーーノエルは、僅かに朱く染まっている髪をなびかせる。

キラリキラリと光を含むその髪は美しく、どこか妖しく、されど寂寥感に満ちていた。

だが今の鱶丸にはそんなものを見定める余裕などない。

出来るのは耳に届いた言葉を確かめるために辺りを見渡す事。

……そうして愕然とする。

転がっているのは、三つの死体。

臓器を溢した女性、片足以外の四肢を失くした少女、上半身のないーー恐らくは男性。

状況とは不思議なもので、一つを知ってしまえば嫌が応にも脳へ浸透していく。

例えその一つに受け入れがたいものがあろうと、驚くほどすんなりと、悲しいほど簡単に。

 「……お前が、やったのか」

 「いいえ」

 「…どうして違うと言い切れる」

 「シエルのために約束をしたから」

 「なら、そのシエルってのは…沙紀美はどこにいるんだよ」

淡々と発せられる不愛想な言の葉。

鱶丸にはその遺体たちが何なのか…誰なのかはもう検討がついている。

それでも彼は驚かない。

この女や妖怪と関わり合いを持てば、いずれは誰かしらが命を落とすと、初めて妖怪憑きに襲われた日から感じていたから。

なれば、自ずと意志は固まっていく。知らず知らずのうちに、残酷なまでに【何を護るべきなのか】だけが明瞭に研ぎ澄まされていく。

彼にとってのそれが、沙紀美だった。

両親や友人は遠ざけた。渦中にいるのは己と彼のみ。

ならば徹底すべきは弟の……沙紀美の安全だけ。

けれど。嗚呼、けれど。

 「もうここにはいないわ。残念ね、もう少し早ければ会えたかも知れないのに」

女は、事実を突きつけた。

ーー刹那。

 「凄い、もう回復したのかしら」

鱶丸の拳はノエルの掌に包まれてた。

 「たった今治ったよ。お前のおかげでな」

鱶丸の右目から頬を伝う一筋の光。対になる左目に光るのは憤怒の灯。

二人の距離は今、互いの心を感じられるほど近くにあった。

 「これでも信じてたんだぞ…!お前は何があっても沙紀美には手を出さねぇって!!」

 「私たちの事情も知らないのに勝手な事言わないでもらえるかしら?」

拮抗を見せる二人。

力点にかかる力は即座に二分割され、互いに両手を防ぎ合う形になる。

 「もうお前の事情なんざ知らねぇ。人殺しにくれてやる理性も知性も、俺は持ち合わせてねぇんだよ!!」

 「そう、残念ね。あの子はそんな貴方とも話をしたがっていたわ」

 「……!!うるせぇ!!!」

 「!?」

猛り、鱶丸は一気に両腕の力を抜く。

均衡を失った二人の力は一気に鱶丸の後方へと駆け抜け、ノエルの身体は前のめりに倒れゆくのを余儀なくされる。

浮遊にも似た感覚を覚えるノエルの頭部。その顎下へ脅威が迫る。

 「……くぅっ、この!!」

 「何!?」

強烈な意思を纏って持ち上げられる膝。

一秒にも満たない後の衝撃を想起させノエルは焦るが、彼女に染み付いた生への執念は鱶丸の膝が当たるよりも僅かに速く彼の手を土台に身体を空中へと持ち上げるのに成功する。

 「ふざけ、やがって!!」

一人分を保つのがやっとな彼の脚は意図せぬ少女の体重によってバランスを崩し、後方へと倒れていく。

 「悪いけど、そう簡単にやられるわけにはいかないの!!」

己の状況を瞬時に見極めたノエルはそのまま着地の態勢をとった。

 「当たり前だ!」

同様に、今までの経験則からどうするべきかを見極めた鱶丸は握り締めていたノエルの両手を離し、そのままバク転の態勢に移行した。

この攻防で両者に痛手はない。だが、一瞬速く着地に成功したノエルは、その僅かな猶予を利用して着地したばかりの鱶丸へと回し蹴りを放つ。

脳が着地の成功を理解した瞬間に鱶丸の元へ飛んでくる鎌とまごうほどの鋭利な蹴り。

 「う、おおおおお!!」

空を裂く音と共に切迫した凶器を、間一髪鱶丸の両腕が受け止めた。

 「…しぶといわね」

 「伊達にケンカして来たわけじゃねぇからな…!」

最早本能に近い速度で受け止めた蹴りだが、ダメージがないわけではない。

そもそもの累積していた怪我に加えて今の鮮烈な一撃は、鱶丸の両腕の骨に死刑宣告を伝えるに充分過ぎるている。

 ーーヤベェな、ギリギリ繋がってるって感じか。

鈍痛と鋭痛が混ざり合った痛みに顔を歪ませるも彼の闘志は燃え尽きていない。

今の彼の中にあるのは皆の、沙紀美の仇を討つ事。

この惨状を目の当たりにした瞬間から鱶丸の中に彼女を信用するといった考えは霧散している。

加えてあの口ぶり。

執念じみたこだわりを見せていたはずの沙紀美は、森田や那須それに誘拐犯と思われる女を葬ってまでその手にしたにも関わらずここにはいない。

そうなれば考えられる可能性はたった一つ。この女は沙紀美をーーシエルを保護し、家族としての時間を取り戻すのではなく、何らかの理由に則って殺すのが目的だったに違いない。

……つまり、ノエルが沙紀美を語る際に過去形だったのはもう目的を果たしたからなのだろう。

その理由はきっと陳腐なものだったに違いない。

一族の伝統だとか、憑いている妖怪の力を増すために必要だったとか、そんな部屋の隅に溜まる埃と同じくらい価値のないモノだ。

そんな愚かしい思考を持った獣に負けるわけにはいかない。

鱶丸は己にそう言い聞かせ、激痛を無視し、更なる攻撃へと転じるためノエルの隙を探ろうと脚を跳ね除けようとした。

その間際に見えたのはノエルの右腕。

蹴りを放った後にとられる格好とは明らかに違う不自然な手の表情。

それはまるで何かを投擲したような指の形をしていてーーー

 「…しまッ!!」

【それ】に気が付いた時にはもう遅かった。

視界の端に映っている何かが物足りない鞘。

耳に届くは無空さえ切り裂くほど鋭利な落下音。

 「悪いけど、私はまだ死ぬわけにはいかないのよ」

ノエルの言葉が聞こえた時にはもう手遅れだった。

辺り一面に飛び散る真っ赤な液体。

痛みに気が付くよりも早く、鱶丸は自分の左肩から血が吹き上がっているのを目の当たりにした。








to be next story.

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