7. 嘘つきと人攫い

 エルはベルヴェルクと名乗ったその男と共に馬に乗って運ばれていく。することもないので見下ろして数えてみると、その馬には足が八本あった。

「……走りにくくないのかな」

この馬スレイプニルのことか? まあ、普通でない馬だからな」

「そうなの?」

「何しろロキの子だ」

 含み笑いしながら言われたその聞き覚えのある名と、言われた言葉がつながらず、エルは思わず目を見開いて首を傾げる。

「あの人の……?」

「ああ、そなたはあやつに魅入られていたのか。まあ、そなたの縁者にも執着しておったからな」

 それから彼はゆっくりと八本足の馬の出自について語った。


 かつて、彼らの住む国の周囲は頑丈な城壁で囲まれていた。だが長きにわたる巨人や他の神族との戦いによって、城壁はほぼ失われた。

 ある日、一人の石工いしくがやってきて、美しい女神を差し出すことを条件に、その城壁を再建してみせるという。もちろん彼らは断ろうとしたのだが、あの悪戯者が神族たちに囁いた。

 いわく、建築の期間を冬至から次の夏至までとし、誰の助けも借りずにその間に城壁を完成させることができれば、望みのものを取らせようと。ただし、完成しなければ城壁はそのままに、報酬もなく立ち去らなければならない。そうすれば、無償ただで半ば完成した城壁を手に入れられるではないか、と目論んでいたのである。


 これに対し、実は巨人が化けていた石工は、彼の馬を使わせてくれるならばその条件で引き受けようという。神々は最初は反対したが、結局のところ悪戯者に唆されてその条件で合意してしまう。


「ところが、この馬というのが曲者でな。石工よりも目覚ましい活躍をし、本当に夏至までに完成させてしまいそうになったのだ」

「約束通りでしょう? どうしてダメなの?」

「石工が要求したのは、我らのうちで最も美しい女神だ。もし彼女を差し出そうものなら、私は同胞に殺されただろう」

「……でも、約束したんでしょう?」

「神族ならば、偽りなど吐かぬと思うか?」

 ベルヴェルクは面白そうに笑う。その笑みの意味がわからず、エルが首を傾げると、彼は手綱を握っていた右手でエルの左腕に触れた。すかさず、並走していたジークが低く唸り声を上げる。馬上の主はちらりとそちらに目を向けたが、開いている方の目の上の片眉を上げるばかりで気にした風もなく、その手首に嵌った腕輪を示す。


「これは、私がそなたの縁者からの捧げ物の返礼として与えた物。捧げ物には礼をせねばならぬと古き約定しきたりで決まっている。だが、これは、そうとは気づいてはいなかっただろうが、返礼の品などではなく彼の者を捕らえる罠だ」


 ディルは生涯この腕輪を身につけなかったから、その罠に気づかなかった。イーヴァルかロイあたりが警告したのか、あるいはアルが他の男から贈られた物を身に付けるのを嫌ったためか。

 いずれにせよ、その結果、迂闊なエルがここにいる、ということなのだろう。


「でも、どうして?」

「美しいものを手に入れたいと願うのは自然なことではないか?」

「そういうの、人攫ひとさらいって言うんじゃないの?」

「攫って何が悪い」

 言う声は笑みを含んでいて、本人が言うほどその倫理や常識はエルたちが抱くものからかけ離れてはいないのだろうが、それでも構わずこうして攫う程度には傲慢なのだろうと知れた。今それについて抗議をしても意味がなさそうだったので、エルは話の先を促す。

「……それで、城壁はどうなったの?」

「完成が間近になり、誰もがあの悪戯者を責めた」


 どんな手段を使ってもいいから、その完成を妨げよ、と。あの厄介で美しい青年は肩を竦めて頷くと、姿を消した。ややして、石工が働く城壁のそばに美しい一頭の雌馬が現れた。石工の馬はその雌馬に夢中になり、二頭でどこへともなく消えてしまった。結果、石工は城壁を期限までに完成することができず、呪いの言葉を吐きながらも去っていった。


 そうして、神々は堅牢な城壁を手に入れたのだという。

「狡い……」

 エルの率直な感想にも、ベルヴェルクは口の端に笑みを浮かべただけでさらに話を続ける。

「それからしばらくして、あの悪戯者がこの馬に乗って戻ってきたのだ」

「……それってもしかして」

「そうだ。あやつの別名は『変身者』。どんな姿にも自在に変えられるのだ」

 だからと言って、性別どころか種族まで丸ごと変わった上に、馬と子を成すとは想像の遥か斜め上だ。だが、隻眼の神はただ肩を竦める。

「神と人が子を成すことができるなら、神と馬が子を成してもそう驚くことでもあるまい」

「いや、驚くよ、普通」

容貌かたちが似ているのならばよいのか?」

「普通はそうじゃない? 何を綺麗だと思うかも、種族によって異なるでしょう?」

 馬に美しさを見出す人に求婚されていたのかと思うと何やら複雑な心境だ。そんなエルの様子に気づいているのか、手綱を握る主はくつくつと低く笑う。

「あれは必要に迫られてというところだろう。まあ、そういうやからではあるが、私もあやつもそなたやそなたの縁者を美しく思う。馬よりも遥かにな」

「……やっぱり褒められてる気がしないんだけど」

「美意識はそなたらとそれほど異なりはしないということだ。たとえば、そなたはあれを美しいと思うだろう?」


 促されるままに眼を上げれば、いつの間にか目の前には大きな館がそびえ立っていた。柱も壁も全てが黄金でできている。その輝きは今エルの腕にある腕輪と同じようにきらきらしくはない抑えた色で、華美というよりは穏やかな色合いに見えた。

 柱には蔦が巻きつき、壁には緻密な彫刻が施されている。だが、その上空には烏が飛び回り、あまつさえ、その門扉には狼が吊り下げられている。どこをどう見ても不穏だった。


 馬の脇を走っていたジークが明らかに警戒した様子を見せる。エルは馬が立ち止まった瞬間にベルヴェルクの腕から逃れてすべり下り、ジークの首を抱きしめた。その温かな体に少し安堵して、馬上の男を見上げる。

「どう見ても、怪しいんだけど」

「まあ、基本的には死者を招く館だからな」

「……ええ⁈」

「別にそなたを死なせようとするわけでもないが」

「そんなところに用はないと思うんだけど」

「言っただろう、招待だと」

 隻眼の神は静かな笑みを浮かべてそう言う。その声は穏やかだったが有無を言わさぬ響きを宿していた。ジークが低く唸り声を上げたが、エルはどこか不安を感じてその首をもう一度抱きしめる。二人の様子を見下ろしながら、ベルヴェルクは眉を上げて頷いた。


「そなたの予感は正しい。私は横暴ではないと自認しているが、我が招待を断るような無礼者に容赦する気もない」


 それは、どう聞いても脅しに他ならなかったが、ロイが言っていた通り、神族という者たちが破格の力を持っているのなら、ここで逆らうのは得策とは思えなかった。なおも気配を尖らせるジークの首を撫でて、目線を合わせる。

「仕方がないよ。とりあえず、行こう」

 でも、と小さな声で続ける。

「どうにもならないと思ったら、ジークだけでも逃げて。二人とも捕まったりしたら……」

 言いかけた言葉は、鋭い牙で遮られる。脅すように、あるいは何かの誓いのように軽く首に突き立てられた牙は、それ以上、エルが弱気な言葉を吐くのを許さなかった。生まれた時から共にいた相手だから、言葉を発することができなくても何を言わんとしているのかは、十分に伝わってしまった。

「……巻き込んでごめん」

 言った言葉に、もう一度軽く首を甘噛みされる。自分が望んでついてきたのだ、とそう言っているのだと、それさえもわかってしまうから。

「本当、ジークは甘すぎるよ」

 微笑んでその首を撫でて立ち上がり、馬上の主を睨みつける。

「じゃあ、お招きをありがたく受けることにいたします」

「よかろう」

「でも、『招待』なら、帰ることもできるわけだよね?」

「……そなた次第だな」

 馬を下りながらそう言う顔は、明らかにただでは帰してくれそうにはなかったが、エルには選択肢はない。


「ようこそ、エルヴィラ。黄金の館ヴァルハラへ」


 不敵に笑ったその隻眼をまっすぐに見つめ、エルは差し伸べられたその手をゆっくりと取った。

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