第4話:なぜ人を追い詰めてしまうのか?

昨今、私がニュースなどを見ていて心に引っかかる言葉がある。それは、“~に対する報復とみて~”・“~とのトラブル”などいわゆる“不明確な理由による行為”の延長線上で行為に走るのだ。


 特に、誹謗中傷など事実と異なることを書き込まれることや一方的な思い込みで勝手にその人の人物像が作り上げられてしまうことも問題視するべき部分ではないだろうか?


 なぜ、人間はお互いに尊重することが出来ないのか?なぜ、知らぬ間に追い詰めてしまうのか?


 私がさまざまな状況から仮説を立て、その内容を仮定して分析をすると意外な事実が見えてきた。1つ目は“誹謗中傷といじめとの因果関係”だ。これは、誹謗中傷と何の関係もないように見えるが、いじめの感覚で誹謗中傷をしているケースが後を絶たないのだ。誹謗中傷する人の心理としては“この人ならこれくらい言っても大丈夫だろう”というスタンスで来る。つまり、幼少期から日常的に発生してかつ物事のセクター間におけるベクトルがずれている場合も少なくない。すると、それが定常化してしまうことでどの立場であってもこれが正しいという判断になってしまうのだ。


 これは問題視している部分とは異なるが、社会的なベクトルと個人のベクトルがずれていることになり、そこでトラブルが発生してしまう。

2つ目として“個別の許容範囲における誤差もしくは認識格差”だ。


 たいていの場合は“一般常識”という1つのカテゴリーの中でいくつかの考え方やローカルルール等が細分化されて存在しているが、これらの認識格差が地域間の認識や許容範囲の誤差を生む結果になる。そのため、彼らの中で“これは正しい”・“これは間違っている”という判断基準が異なっている場合もある。特に芸能人や有名人を攻撃する人たちの多くは有名人に対する嫉妬から来る誹謗中傷とその人達が一般的にやっている行動に対する批判をはき違えている場合が多く、そのことが過剰になるとなるだけ相手にとっては精神的にも心理的にも大きなダメージを負ってしまう。その結果、彼らが深く傷ついてしまい、あってはならない状況を生み出してしまうのだ。


 特に芸能人や有名人で顔出しをしている人にとっては表面からは分からないが、常にかなりのストレスを感じている。そして、一つ一つの行動が周囲に見られていることからネット上などで追い詰められてしまうと、「自分は監視されているのではないか?」と勘ぐってしまう場合も少なくない。


 だからこそ、ネットリテラシーが十分に認知され、安全なネット環境を提供できる状態になるまではセキュリティを厳しくすることや投稿内容の時差投稿(ユーザー側には投稿完了という表示になるが、実際には運営会社のチェック作業をするため、非表示の状態になる。)など誹謗中傷に対する対策を取らないと、万が一何かあった場合に運営責任などを問われるケースも少なくないだけでなく、情報開示などを進める上でもきちんと運営会社側で最低限のチェックを行っていたか?(公衆衛生を著しく乱す可能性のある内容に関しての修正や却下)など双方できちんと管理することが重要だろう。


 仮にチェックすることが難しいのなら禁止ワードを設定し、その内容を含む投稿を非表示もしくは個別通知を出して編集できるようにすることも重要ではないだろうか?


 この問題は全て1つの原因につながっていて、幼少期からのいじめをしていた感覚がスマートフォンなどの電子機器等を所持したときに不特定多数の人を攻撃することにつながり、その攻撃相手が何も言い返してこない場合には更に攻撃を仕掛けるという負の連鎖を引き起こすのだ。そして、現在は端末所持年齢の低年齢化に伴い、子供たちが端末を持ち始めることでトラブルも増えていく。日本では最低所持年齢の定めはないが、今後はある程度の基準や年齢を定める必要があるのではないかと思う。


 今は全てにおいて便利な世の中になっている。しかし、その裏では危険が日に日に増しており、これらの問題に対する対策も不十分であることは明確だろう。


 個人のモラルで維持できる部分もあるが、きちんと総合的な判断が出来るような体制を作らなくてはいけないように感じる。


そして、相手を否定するのではなく、相手を受け入れかつきちんと和解を成立させなくてはいけない。


 しかし、今の社会を見ているとこれらの行為が引き金になっている場合も少なくはないため、これらの問題に向き合っていたとしてもなかなか気がつくことはない。そして、個人のモラルも大事だが、組織のモラルも大事だろう。なぜなら、組織というのは取引先などの相手があって成立しているのだが、どうもパワーバランスが崩壊しているのではないか?と疑いたくなるような事例も多数見受けられている。例えば、企業というのは相手に可能な限り安く売り、価格帯に応じて利益が出るように店頭で販売するという手法が一般的だが、ごくまれに価格帯が相手の足下を見て価格を操作している場合があるからだ。


 これは、人間関係における相手との力関係に似ていて、相手とこれから長期的に関係を構築できると思った場合にはお互いに苦しまないようにお互いに中間点を見つけて着地するが、自分よりも立場が下だと思う場合やこの人ならこれぐらいやっても大丈夫だと思っていると、人間の性なのか無意識のうちにやってしまうのだ。


そして、組織に属している場合は相手も「せっかく大手さんからお話をもらったのに・・・」という心理になる。これを利用して値段を吊り上げる、しつこく勧誘するなど可能な限りその人を利用してノルマや販売額を積み重ねようと思っているのだろう。結果として、そのような人の方が普通の販売をしている人からすると販売実績の上昇率は早いが、継続契約数は徐々に減っていく。だからこそ、きちんとしたやりとりが出来ないとすべての信頼関係が壊れていく。


 今は、どちらかというと会社などの大きい組織の方が守られ、個人が守られていないように感じる部分が多い。もちろん、会社も守らなくてはいけないが、そこはきちんとバランスを整える必要があるように感じる。例えば、会社のミスで契約者などに損害を与えてしまった場合や意図的に通知義務を怠り、消費者に損害を与えてしまった場合など企業側が責任を持たなくていいという勝手な規約などどう考えてもパワーバランスが全体的に崩壊している。だからこそ、相手の立場に寄り添い、可能な限り被害を低減させるためにもお互いにトラブルストップ出来るよう、詐欺・不正利用等の消費者の決済や振込の有無にかかわらず、リアルタイムで被害情報などの共有や一部規約の一本化など自社の損害を減らす努力と利用者や契約者にも損害が加わらないようにするだけでなく、会社側で損害補填できるよう保険会社と提携して損害保険に加入することや審査を厳格化するなどお互いに自己防衛が必要だろう。


 つまり、人が生きていくとさまざまな経験をする。しかし、その経験が良い経験もあるが、悪い経験もある。しかし、悪い経験を良い経験に変えるためにも1人で解決させるのではなく、お互いに協力し、早急に影響を軽減させることが大事だろう。そのようなことが要因として一線を越えてしまう事もある。だからこそ、お互いに協力し合い、そのような心理が長期化せず、そのような被害が発生しないよう十分な対策をする必要があるように感じる。

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