第3話:命を大切に

 今、ニュースなどを見ていると出てくるのは暗いニュースばかりで明るいニュースはほとんど出てこない。そして、明るいニュースがあったとしても暗いニュースに隠れてしまい、一瞬で打ち消されてしまう。


 最近の傾向としては暗いニュースが流れる度に“命を軽視しているのか?”と思う人もいるだろうが、有効求人倍率などの数値が低下していることで、雇用の不安定傾向が加速し、労働可能年齢に達している労働人口に対して十分な雇用機会が充当されていないような部分も見受けられる。その結果、相対的に失業者も増え、経済も停滞してしまっているように感じる。これらの状況を打破するために何らかのアクションが必要になっているように感じるが、プライマリーバランスの停滞により一時的な効果しか期待できないのが現状だろう。そして、商業関係も撤退や事業規模の縮小、店舗の吸収など試行錯誤が繰り返されているが、これらの影響は労働者側に跳ね返っており、失職による無所得に陥っている人もいる。これら以外にもあまり公にはなっていないがさまざまな未遂事件が増加している。


 なぜ、そのような行動に出てしまうのか?私はそのような人たちの共通項や背景から推測できることと自分自身の気持ちが合致することもある。


 1つ目は“喪失体験”だろう。今の労働基準法では正規雇用者は基本的には終身雇用が保証されているため、解雇等になることはほとんど無い。しかし、非正規雇用者は終身雇用が保証されていないため、企業の状況に左右されてしまう。例えば、企業の経営悪化など組織を建て直さなくてはいけなくなるなど従業員の雇用を維持・継続雇用が困難になる状況下におかれた場合に人件費を削減することが必要になる。すると、一番先に解雇等を受けるのはアルバイトやパートなどの非正規雇用者と派遣社員や契約社員などの準非正規雇用者だ。これらに該当する人たちは基本的には退職金が発生しない(契約社員は所属企業、派遣社員は派遣会社との契約に準ずる)ため、リストラを含めた人員整理などをする際に余計な人件費がかからずに退職もしくは解雇することが出来るのだ。


しかし、正規雇用者は会社都合である場合には事前通知をしなくてはいけないし、場合によっては退職金を支払う必要が出てくるのだ。これらの格差が今まで蔑(ないがし)ろにされてきたことで所得格差などの経済的格差、育児などの際にも仕事をその都度辞めなくてはいけないという待遇格差などの保証格差が顕著に表れてしまっている。その結果、このような雇用形態の人にとっては個人の生活が崩壊してしまうことで経済的に困窮し、一時的であっても生活保護などの公的支援に頼らざるを得なくなる。そのため、現行の状態では受給者が急増してしまうのだ。その上、パート・アルバイトと契約・派遣社員の間にも失業保障の格差が出ているため、前者は次の仕事が見つからないと所得がなくなってしまう。しかし、後者は失業保険を会社側で加入していた場合には会社都合として失業保険を受給できる。そのため、短期間なら職が見つからなくとも生活には困らないのだ。


 しかし、人間は何かを失うと精神的に追い込まれていくこともある。そんなときに周囲がどのようにその人を支えていくかで、その人が良い方向にも悪い方向にも変わっていくことになる。


 今の日本ではさまざまな弊害が交錯していて、その中で耐えていたとしても知らないうちにおかしくなっていくのだ。もちろん、全員がこれに当てはまる訳ではない。しかし、今の日本は誰かに打ち明けることを罪に感じること、仕事を失っても就職先が見つからないことなど生きづらい事柄が多く起きることで問題の大きさが変わってくる。だからこそ、追い詰められることなく安心出来る段階的なプロセスを提示し、それらを着実に構築することで問題解決の筋道が立っていくということになる。


 2つ目は“人間関係”だ。今の日本は厳しい上下関係があり、これらの弊害が社会に出る前の18歳未満(日本の労働基準法では15歳以上は就労可)までに起きることがある。その例として挙げられるのがいじめや派閥だ。いじめは同い年であっても相手の事を下に見ることで自分の方が偉いという認識を相手に植え付けるのだ。そして、そのいじめなどを誘発するのが、いじめている人と同じグループもしくは別グループで協力関係にある派閥だ。これら派閥が学校や地域などに存在しているとお互いの派閥で上下関係を決めようとする。その結果、全てのケースで当てはまる訳ではないが、別の派閥や無派閥の人が狙われやすいのだ。


 これが、社会人になったときに顕著な形でかつ従順的関係として表れる場合がある。なぜなら、中学校以降は上下関係を双方に築いていき、同時に部活動や全体活動など集団でかつ学年が混合で行われる機会が増えていく。そのため、自然の内に段階的であっても上下関係を覚えてしまうのだ。しかし、個別の価値観によってはハラスメントの認識がいじめの認識と同じ感覚になってしまうのだ。そして、教育的見地や社会的見地でも認識が異なることもあるため、個々が適応しにくい場合もあり、今のハラスメントの定義が曖昧(あいまい)になっている場合があり、ハラスメントだと認定されるには時間がかかる場合がある。しかし、ほとんどの事例を鑑みるとハラスメント行為がいじめの延長線上の行為とみなすべきもののように感じる。


 今の日本は人間関係を構築するのが難しい。その上、ハラスメントなどの行為も横行している事を考えると、相手と一定の距離感覚を保つことが大事なのだが、それも難しいのだ。仲良くなってしまうと昇格や昇任した際に誤解される可能性がある。だからといって関係性があいまいだと仕事をする際に気まずくなってしまうことや信用性がなくなってしまう。つまり、個々のパワーバランスにおける価値観の容認と適度な距離感を保った関係性の構築が重要になるのだろう。


 3つ目は“相互承認の欠如”だ。これは、社員同士、学生同士など同等もしくは同業などの一定のセクターで平等な関係性を保つために必要な作業であるが、現在の社会ではこの定義が偏向的なものになっており、お互いにお互いのことを限られたセクター内において認めるという感覚が無いもしくは不十分だからだ。もちろん、相手の考えを否定するのではなく、建設的に受け取れるような状態なら良いのだが、一方的に相手もしくは本人がやっていることで、これをやっても問題ないという認識の違いがこれらの欠如につながっていく場合がある。そして、これらの人しくが積み上がり、ハラスメントやいじめなどにつながっていき、場合によってはこれらが職権乱用行為につながっていくのだろう。

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