29:恋をしたのは君だから

「階段から落ちて、寮で一緒に暮らすようになって。千影くんの家の事情を聞いたとき、偉いな、凄いなって思ったの。家族に見放されても放課後居残って勉強するなんて、私には無理。お前なんて要らないって言われたら、絶対泣くし、やさぐれちゃう。でも、千影くんは違った。道を外すことなく、ただひたすら勉強に打ち込んでた。強い人なんだなって、心から尊敬した。それからも色んな話をして、千影くんの人柄を知っていくうちに、どんどん惹かれていって。気づいたらどうしようもなく好きになってた」

 絶え間なく弾け続ける手元の線香花火を見つめたまま、菜乃花は無自覚に微笑んだ。


「具体的に好きなところを挙げろって言われたら、本当に全部なの。千影くんは寮にいていいのかなって思い悩んで、夢に見るまで思い詰めてた私のために歓迎会を開いてくれた。私は千影くんの、その優しい人柄が好き。千影くんのちょっと低い声は、聞いてると落ち着くから、ずっと聞いていたくなる。千影くんの柔らかそうな髪が好き。私を見つめる瞳が好き。通った鼻筋も、真摯な言葉を紡ぐ唇も、頬の輪郭も、全部好き」

 彼の好きなところを一つずつ挙げていけばキリがない。

 それでも、彼が望むなら――菜乃花の好意が信じられないというのならば語ってみせよう。


「階段から転げ落ちて動けなくなった私を担いでくれた、逞しい腕が好き。泣いた私の腕を慰めるように優しく叩いて、意外なほど強い力で私の手を引いてくれたその手が好き。千影くんといると、胸が温かくなるの。幸せなの。こうして一緒に線香花火をしているいまだって、泣きたくなるくらいに幸せだよ」


 感情が高ぶり、本当に視界が滲んでしまったため、菜乃花は目を擦った。


「こんな気持ちになるのは千影くんだけ。どんなに格好良い人がいたって、私は千影くんがいいの。千影くんじゃなきゃ嫌だ。好きなの。大好きなの。信じられないなら、私は毎日千影くんに好きだって言う。全校生徒の前で誓ってもいい。私が裏切ったら全校生徒が敵に回って、学校にいられなくなるでしょ? でも、それでもいいよ。私は絶対に千影くんを裏切らない。この先もずっと好きでいる自信があるもの」

 線香花火の玉が地面に落ちた。

 手元に残った花火は細い煙を上げ、すぐにその煙も消える。


「……終わっちゃった」

 そこでようやく菜乃花は顔を上げ、千影を見た。


「……千影くん?」

 千影の花火も既に燃え尽きていたが、問題はそこではない。


 千影の顔が闇夜でもわかるほど赤く染まっている。


「どうしたの?」

「……どうもこうも……」

 千影は左手で顔を覆い、ため息をついた。


「……ああ。もういい。負けた。認める」

「え?」

 首を傾げると、千影は目を逸らして言った。


「だから。俺が園田さんを好きになるかどうかの勝負。俺の負けだよ」

 いまだにその顔は赤い。


「………………えっ!?」

 菜乃花は仰天した。

 喜ぶべきだと理性が訴えているが、あまりのことにまだ理解が追い付かない。


「本当に!? なんで!?」

「なんでって、ここまで熱烈に告白されたらもう受け入れるしかないだろ。ただでさえ園田さんはいつもストレートに好意を伝えてくるから、気持ちが揺らいでたのに。いまのはトドメだ。もう降参するしかない」

「…………」

 苦笑する千影を見ても、頭の中が真っ白だ。

 言うべき言葉が思い浮かばない。何も。


「……るるかはどうするの?」

 るるかが身近にいる三次元の女子なら絶対に嫌だが、二次元ならば千影がどれだけ愛そうと菜乃花は気にしない。


 それなのに、混乱のあまりどうでもいいことを聞いてしまった。


「アプリはアンインストールするよ。るるかとチャットルームで会話してても、たまに会話が噛み合わないことがあるんだ。そういうとき、るるかはやっぱりただのAIなんだって痛感する。虚しいし、現実から逃げるのもそろそろ潮時だって思ってた。るるかより、園田さんと話してるほうが楽しい」


(るるかより私のほうが……)

 照れ臭そうに笑う千影を見て、菜乃花は口を半開きにした。

 間抜けな顔をしている自覚はあるが、衝撃が大きすぎて、体裁を整える余裕がない。


「……私のこと、本当に信じられるの? 女性不信なんじゃなかったの?」

 鼓動が少しずつ早くなり、じわじわと体温が上がっていく。


「ああ。琴原さんのことはずっと引っ掛かってたけど、でも、さっきの告白は女子への苦手意識とか、トラウマとかも全部、ものの見事に綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれたよ。全校生徒の前で誓うとまで言われたら、もう信じるしかないだろ。やるって言ったら園田さんはやるからな。そういう園田さんだから好きになったんだ」


 千影は明るく笑った。

 それは初めて見ると言ってもいいくらい、晴れやかな笑顔で。


 ずっと傍で見てきた菜乃花には、彼が心の底から笑っているのがわかった。


「……。好きって、……」

 それ以上なにも言えず、唇が震えた。

 鼓動はうるさいほどに鳴り響き、甘く痺れるような熱が身体中を駆け巡る。


(都合の良い夢でも見てるのかな……?)

 足元がふわふわして、現実感がない。


(頰をつねっても痛くなかったらどうしよう)

 菜乃花が頰に手を伸ばしたそのとき、千影は手に持っていた花火を地面に落として立ち上がった。


 菜乃花も花火を手放し、立って向かい合う。


 緩やかな夏の夜風を浴びながら、菜乃花は彼の言葉を待ちわびた。


「宇宙で一番園田さんが好きです」

 千影はまっすぐな眼差しで菜乃花を見つめ、右手を差し出した。


「付き合ってください」

 それはまるで奇跡のようだった。


 優秀過ぎる兄への劣等感に苛まれ、いつも居心地悪そうに背中を丸めて俯いていた千影はもういない。


 彼は凛と背筋を伸ばし、真正面から菜乃花を見つめて微笑んでいる。


 彼の目に自分が映っている。

 自分だけが。


「…………。はい」

 菜乃花はしっかりとその手を握った。

 握り返された手から彼の温もりを確かに感じる。


 そこでようやく夢ではないと実感した。


 万感の思いが胸にこみ上げて、菜乃花は目を潤ませた。


「泣いてる」

 再び目元を拭った菜乃花を見て、千影が笑う。


「泣くでしょ! 泣くよ! 嬉しすぎるもん……やだな。またみんなにからかわれる」

「いつものことだろ。こうなったら開き直ろう。俺はそうする」

 千影は笑い、繋いでいた手を離した。

 屈んで地面に落とした花火を回収し、二つともバケツに入れる。


「花火、続きやるだろ?」

「やる。もちろん、やるよ」

 菜乃花は急いで二度首を縦に振った。


「花火もやるし、文化祭も一緒に回ろう。秋になったら紅葉狩りして、冬はクリスマスを一緒に祝って、それから春は」

「わかったから。園田さんがやりたいこと全部、付き合うから。落ち着いて」

 笑いながら言われて、菜乃花は肺に残っていた全ての息を吐き出し、深呼吸した。


 彼の言う通り、焦る必要はない。

 これは夢ではなく現実で、千影はこれからもずっと傍にいてくれるのだから。


(……それでも、やっぱり、夢みたいだ)

 幸せすぎて、菜乃花は泣き笑いのような表情を浮かべた。


「それじゃ、まずは文化祭だね」

 リボンをつけたポニーテイルが夜風に揺れる。

 

 二人を見守るように、空では銀色の月が輝いていた。




《END.》

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