28:花火を君と

「では花火大会を始めまーす。お集りの皆々様、心の準備はいいですかー?」

 右手にガスライターを持った大河が一同を見回した。


「心の準備って、大げさな」

 適度に暗い闇の中、総司が呆れたように言う。


 星が瞬く夜、菜乃花たちは敷地内にテニスコートや野球場がある大きな公園に来ていた。


 近くに燃えるようなものは何もなく、ついでに人通りもないため、花火をするには最適な広場に寮生全員が集まっている。


「はーい、準備ばっちりです!」

 夜風に吹かれながら、菜乃花は拳を握って元気よく返事をした。

 千影と花火をしようと約束してからというもの、このときが楽しみで仕方なかったのだ。


「菜乃花ちゃん、良いお返事ありがとう。花丸をあげちゃう。じゃあ行くぞー」

 大河はガスライターに火を灯し、地面に設置された蝋燭にその火を移す――と見せかけて、皆で包みを破いて一か所に集めていた花火に着火した。


「!!!」

 全員が顔色を変え、蜘蛛の子を散らすようにその場から一斉に逃げ出す。


 直後、花火が大爆発を起こした。


 噴出花火は噴水のように高く噴き上げ、ロケット花火が空を飛び、手持ち花火は色とりどりに輝きながら地面で激しく噴射し、回転花火は逃げた菜乃花たちを追うように四方八方に散り、回転しながらこれでもかと火の粉をまき散らす。


 花火と共に白い煙が立ち上り、破裂音が連続して炸裂する。


「あははははは! すげー! たーのしー!」

 全員が呆然とする中で、大河は一人だけ愉快そうに手を叩いていた。


「お前はアホか!!」

 総司が大河の足に蹴りを入れた。


「いてっ。なんだよ、だから心の準備はいいかって聞いただろ? ちまちま一個ずつやるより、こっちのが派手で良いじゃん」

 大河は不服そうに口を尖らせた。


「良いわけあるか!! 情緒もへったくれもねーだろこれじゃ!! キャンプファイヤーか!?」

 総司の怒りは最もである。


「まあまあ、目くじら立てずに楽しもうぜ? こんな光景、そうそうねーよ? 全部一気に着火したから目ぇ離してる間にすぐ終わるぞ?」

「誰のせいだよ……」

 総司は疲れたように肩を落とし、身体ごと花火に向き直った。


 この花火大会の出資者は総司だ。

 説教は後にして、花火を見届けなければもったいないと思ったのかもしれない。


「……凄いわね。確かにこれは人生で初めて見る光景だわ。初めてにして最後でしょう」

 腰に手を当て、有紗が苦笑する。


 どの花火も全力で光り輝いているため、この広場だけ昼間のように明るい。

 火薬の匂いと光と音の洪水の中、花火を見つめる皆の姿が良く見える。


「普通は思いついてもやらないよな。もったいないし」

 噴出花火を見つめて千影が呟く。

 彼の瞳の中で金色の光が揺らめいている。


「綺麗だね」

 菜乃花は一歩彼に近づいて言った。

 すると、千影はこちらを見てから、また花火に目を戻し、そっと口角を上げた。


「ああ。綺麗だな」

 それきり何も言わず、菜乃花は花火を見つめた。


 手を繋ぐわけでもなく。

 甘い言葉を囁き合うわけでもなく。


 彼の隣に立って、同じ花火を見ているだけ。


 ただそれだけのことが堪らなく幸せで、時が止まればいいとすら思う。


 しばらくして花火が終わり、広場に静寂と闇が戻った。

 少し離れた場所にある街灯が夜闇に抵抗をしているが、強烈な花火の輝きに比べればささいなものだ。


 一気に暗くなり、近づかなければ表情もわからなくなってしまった。

 闇に目が慣れるまで少々時間がかかりそうだ。


「……これで終わりなんですか?」

 有紗が総司に尋ねる。


「終わりだよ。こいつがいるのを知っていながら、一か所にまとめて置くように指示したおれが間違ってた」

 総司は頭を押さえて首を振った。


「どうしましょう? 片付けて帰りますか?」

 今度は杏が質問した。

 仕えるべき主人を前にすると反射的に畏まってしまうのだろう、彼女は行儀よく身体の前で手を合わせている。


「いや、適当に時間を潰そう。たまには童心に帰って遊具で遊ぶのもいいかもね。千影たちはこれ。プレゼント」

 総司が寄ってきて、千影に小さなビニール袋を渡した。

 彼の手元を覗き込み、顔を近づけて確かめると、中身は線香花火のようだ。


「え。兄貴、これ……」

「終わったら連絡して。じゃあね」

 手を上げて総司は背を向け、遊具がある方向へ歩いて行った。

 当然のように要が付き従う。


「グッドラック」

 ガスライターを菜乃花の手のひらに押し付けてウィンクし、大河が後に続く。


 去り際に杏はさりげなく親指を立て、有紗は頑張れ、とでもいうように菜乃花の肩を叩いた。

 話し声と共に複数の足音が遠ざかっていく。


(え? え?)

 皆が行ってしまい、広場には千影と菜乃花だけが取り残された。


(……どうしよう……)

 どうにも気まずく、窺うように横目で千影を見る。


「……やろうか。花火」

 千影が静かに言った。


「そ、そうだね。せっかくだし、やろう」

 菜乃花はぎくしゃくとした動きで頷き、ガスライターを使って蝋燭に火を灯した。


 蝋燭の光の前で、千影がビニールの包みを破き、袋の上に線香花火を並べた。

 その中から一本取り上げ、千影に続いて線香花火に火をつける。


 菜乃花は千影の向かいでしゃがんだ。

 小さな音を立てて金色の花火が爆ぜる。

 さきほどの目を焼くような強烈な光の乱舞に比べれば、随分とささやかな光だ。


「…………」

 千影は長い睫毛を伏せ、黙って手元の線香花火に視線を注いでいる。

 菜乃花も彼に倣い、しばし線香花火の輝きに見惚れた。


「……綺麗だな」

 今度は千影が言った。


「そうだね。すごく綺麗。それに、すごく幸せ」

「……俺がいるから、とか言う?」

「言っていいなら、言う」

 彼が手に持つ線香花火の玉が、ぽとりと地面に落ちる。

 五秒と経たず、菜乃花の線香花火の光も後を追うように消えた。

 少しだけ水を張ったバケツに燃え尽きた花火を入れてから、千影は新しい花火を渡してきた。


「はい」

「ありがとう」

 受け取り、彼に続いて火をつける。


 ぱちぱちと花火の爆ぜる音がする。

 夜に光る線香花火は芸術品のように綺麗だ。


 でも、菜乃花は美しい花火よりも、千影をちらちら見てしまう。


(花火に夢中の千影くん……いいなあ……素敵……)


 夜風に彼の髪がふわふわ揺れている。

 その柔らかそうな髪に触れてみたいと思うのは罪なのだろうか。

 花火をつまむ右手と、身体の傍で軽く握られた左手。

 その手に、指に、自分の指を絡めたい、と思うのは――


「……何?」

 さすがに気になったらしく、千影が顔をこちらを向けた。


「いえ、その……見惚れてました」

 目を伏せ、正直に白状する。


「……。園田さんは、俺のどこが好きなの?」

 ややあって、千影が尋ねてきた。


「全部」

 即答すると、千影はまた少し沈黙して、再び口を開いた。


「……質問を変える。どうして俺を好きになったんだ? イメチェンする前の俺は『冴えない眼鏡』って言われるほどダサかったんだぞ? 自分に自信なんて全然なかったし、好きになる理由が全くわからない。いまだって、俺より格好良い奴なんて山ほどいるだろ。なんで俺なんだ?」

「……そうだね」

 どう答えたものか。

 菜乃花は言葉を選び、考えながら、爆ぜる線香花火を見つめて語った。


「千影くんのことを意識するようになったのは、ずっと前。具体的に言うと四月の半ばくらいかな。教室にも寮にも居場所がなかった私は放課後、毎日のように図書室の自習スペースで勉強してた。あそこに千影くんもいたよね。あの人、いつもいるな。いつも真面目に勉強してて凄いな、偉いな。あの人に負けないように頑張らなきゃって思ってたの。中間で学年トップになれたのは千影くんのおかげって言っても過言じゃないと思う」

「いや、それは過言だろ。俺は何もしてないんだから」

「そうかな」

 足元に虫がいることに気づき、サンダルを履いた右足を引く。

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