27:おもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎ

 八月下旬、始業式前日。

 正午過ぎに寮に戻ると、使用人たちに加えて有紗と杏が菜乃花を出迎えた。


 守屋が淹れてくれた紅茶を飲みながら、大広間で話に花を咲かせる。


 会話が途切れた拍子に、菜乃花は腕時計を見て言った。


「男性陣はいつ帰ってくるんだろうね」

 千影がくれた腕時計の針は午後三時を示している。

 千影が帰ってくるのをいまかいまかと待ち、もう既に二時間近く経過していた。


「乾先輩は夜になりそうじゃない? 七時ギリギリまで女子友達と遊び惚けていそう」

 杏と要を含む寮生たちは無料通話アプリのグループに参加している。

 菜乃花はそのグループを通じて寮生全員から今日の夜七時に花火をする約束を取り付けていた。


 ちなみに花火大会の開催を提案したのは菜乃花だが、花火大会にかかる諸々の費用は総司が出してくれる。


 寮に住まわせてくれていることを含め、本当に総司には頭が上がらない。


「あー、ありえる」

「乾先輩はどうして成績がいいのかしら? 中間も期末も天坂先輩に次ぐ二位だったんでしょう? あれだけ遊んでるのに、不思議だわ。勉強らしい勉強をしてるのはテスト前の一週間だけよね。天坂先輩は普段から真面目にコツコツ勉強されてるから1位で納得なんだけど、乾先輩は納得いかない。三位だった人より絶対勉強量は少ないわよね」

 有紗は長い腕を組み、首を捻っている。


「総司様は影の努力を見せないから天才だと思われてるけど、実は乾先輩みたいな人を天才というんでしょうね」

 杏が意見を述べた直後、大広間の扉がノックされた。


「失礼致します。ただいま総司様と千影様がお帰りになられました」

 扉の向こうで、守屋がそう言った。


「!!」

 菜乃花は反射的に立ち上がった。

 誰よりも先に大広間を飛び出し、玄関ホールで待機する。


 さほど待つことなく千影たちは現れた。

 二人の荷物は要が持っているため、千影も総司も手ぶらだ。


 海外で夏を満喫してきたらしく、久しぶりに見る千影の肌は少し日焼けしていた。

 気づいた彼の変化はそれだけではなかったが、それはさておき、菜乃花は微笑んだ。


「久しぶりだね、千影くん。総司先輩。お帰りなさい」

「ただいま」

 千影は照れたように笑った。


「まるで実家みたいな言い方だね」

 総司が薄く笑う。


「総司先輩、千影くんに聞きましたよ。当主と喧嘩したんですってね?」

「そうだね、別に殴り合いをしたわけじゃないけど。舌戦を繰り広げてきたのは確かだ。海千山千、百戦錬磨のじーさまとやり合うのはしんどかったな。途中何度かクソジジイって言いそうになった」


(それはちょっと……だいぶまずいんじゃ……?)

 菜乃花の頬に流れる冷汗を見たのか、総司は苦笑した。


「でも、じーさまにはこれまで育ててもらった恩もあるし。おれの教育に大金をつぎ込んでるわけだし。おれが憎くて厳しくしてるわけじゃないのはわかってるから、どんなにムカついても我慢して受け流したよ。長時間無理に笑顔を維持したせいで頬の筋肉が吊りそうだった」

 総司は顔をしかめ、自身の指で頬を揉んだ。


「ま、千影の冷遇は改善されたから。戦った甲斐はあったよ」

 総司はどこか雨上がりの空を思わせる、清々しい表情を浮かべた。


「……舌戦に勝ったなら、それで終わりですよね? 心配するようなことは何もないんですよね?」

 真顔で尋ねると、総司はきょとんとした。


「ああ。大丈夫だけど、何? 千影が好きな癖におれの心配までしようってわけ?」

「当たり前じゃないですか。心配して何が悪いんです。千影くんは関係ありませんよ」

 ムッとして口を尖らせると、総司は目を瞬かせ、それから頬を掻いた。


 会話は終わったと判断し、菜乃花は千影に目を移した。


 一連のやり取りの間、千影は黙って突っ立っていた。


 やはり、その立ち姿は以前と違う。

 改めて見て確信した。


「千影くん、姿勢が綺麗になったね。猫背になってない。夏休み中に総司先輩から指導されたの?」

「そう。せっかく見た目が洗練されたんだから、堂々と胸を張って歩けって。常に天井から糸でつられているように意識しろって、口酸っぱく言われた。ちょっとでも背中が曲がっていたら無言で背中を叩いてくるんだ。兄貴は意外とスパルタだった」

 千影は不満げに総司を見たが、総司は素知らぬふりをしている。


「いいと思う。せっかく格好良いんだから、千影くんはもっと自分に自信を持つべきだよ」

 何故か千影は眉間にしわを寄せ、片手でこめかみを押さえた。


「……園田さんって、さらっとそういうこと言うよな……いつでもどこでも褒め殺してくるから反応に困る……」

 目の錯覚だろうか、千影の頬がわずかに赤くなっているような気がする。


「だって、本当のことだもん。千影くんは世界で一番格好良くて素敵な人だよ」

 千影に歩み寄ろうとしたが、しかし、菜乃花の足は総司に阻まれた。


「おれの目の前でアプローチするの止めてくれない? 千影はおれのだからあげないよ」

 総司は千影の肩に腕を回して抱き寄せた。


「いつ俺は兄貴の所有物になったんだ……?」

 弟のツッコミを無視して、総司は千影の肩に頭を乗せた。

 あまつさえ菜乃花を見て、ふふんと得意げに鼻を鳴らす。


「……!!」

 あまりのことに菜乃花は頭から煙を噴き上げ、拳をわなわな震わせた。


「ニースで見た夕陽は綺麗だったね、千影。その後はホテルの部屋で二人きり。熱く激しい夜を過ごしたよね」

「…………!!!??」

 言いたいことは山ほどあったが、もはや言葉にならない。


「その言い方だと物凄い誤解を招きそうなんだけど……園田さん、顔が怖い。トランプやチェスをしただけだからな?」

 千影はなされるがままだが、その顔には疲労が滲んでいる。

 行く先々でブラコンの兄の問題行動に悩まされてきたのかもしれない。


「千影くんから離れてくださいっ!!」

 とうとう我慢ならず、菜乃花は総司を力ずくで引っぺがしにかかった。


「高校生にもなって弟に抱き着く兄がいますか!!」

「いるじゃんここに」

「開き直らないでくださいっ!? ブラコンなのは知ってましたけど、物事には限度ってものがあるでしょ!? 本当に人格変わりましたね、まるっきり別人じゃないですかこの猫被り!! 嘘つき!! ああああなんてこと!! 頬擦りしないで! 勝ち誇った顔しないでずるい!! 私もしたい!!」

「園田様は大変正直な方ですね」

 菜乃花たちから少し離れた場所で要が頷いている。


「ねえ、前から思ってたんだけど、天坂くんってヒロインポジションじゃない? 本来ならあそこには菜乃花がいるべきじゃないかしら? ほら、杏から借りた少女漫画にもあったでしょう。幼馴染の兄弟に愛されて困っちゃう、的なやつ」

 有紗は隣にいる杏に声をかけた。


「そうね。残念だけど、菜乃花だから……としか言いようがないわ」

 杏が眼鏡を押し上げた一方、菜乃花はいまだに喚いていた。


「千影くんからはーなーれーて!!」

「え、おれに指図する気? 園田さんの寮費はおれが出してるってこと忘れてない? そんな偉そうな態度取っていいのかな? 本当にいいのかなー後悔しないかなー?」

「……っ、ずるい!! この人とんでもなくずるいよおお!!!」

「はいはいよしよし」

 泣きついてきた菜乃花の頭を杏が撫でる。


「……これも前から思ってたんだけど、何故菜乃花は杏のほうにばっかり行くの? たまには私にも縋ってきてよ。そろそろ泣くわよ」

「えっ!? ごめん有紗! そんなつもりじゃなくて――」


「なあ兄貴、そろそろ離れて欲しいんだけど」

「やだ。冬の寒さに耐え忍ぶ花のように、長い年月を耐えに耐えて、ようやくこうして堂々と千影に触れるようになったんだよ? これまで触れなかった分を取り返すためにもおれは引っ付く。できることならこのまま永遠に引っ付いていたい。一生養うから嫁に来て。ずっとおれと一緒に暮らそう?」

「どうしよう……兄の愛が重すぎる……」


「カオスですな」

 ぎゃいぎゃいとあちこちで寮生たちが騒ぐ中、守屋は微笑みを浮かべて言った。


「ええ、全く」

 要は荷物を抱え直して頷いた。


「園田様が来られる前の館は静かでしたな。それがいまや、おもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎ。わたくし、使用人兼0号館の寮監として、あまりのギャップに風邪を引いてしまいそうです」

「でも、このほうが楽しいと思いませんか?」

 要は笑って守屋を見た。


「ええ、全く」

 さきほどの要と同じ言葉を返し、守屋は笑みを深めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る