戦争中盤、支配権争奪戦





 この空間を支配されている。


 とどのつまり、カタリナ=グラフィックにそんな風に思い込ませる事ができれば、結城陸斗とセレナの作戦は成功だった。


 これはただの対人格闘戦。

 それを大袈裟なガジェットやスパコンを使用して、限界以上の安全を手に入れただけに過ぎないのだ。


 だから全ての危険は回避できる。

 そして先端が凶器と化したワイヤーを紙一重でかわすと、カタリナが赤い瞳をギラリと輝かせる。


「なるほど、確かに回避性能はスパコンのそれだな。まるで自動操縦の飛行機のように墜落だけはあり得ん訳だ」


「っ」


 早い。

 精神へ与えたショックからのリカバリーの速度。弱点の看破、観察力の鋭さ。どれを取っても陸斗の背筋に怖気を走らせるには十分な眼光が少年の心臓を確かに照準する。


「だが私への攻撃手段は? 女を殴る趣味はないなどという理由でもなければ銃器の一つでも持ってくるべきだったなあ、人間‼」


「くそっ‼」


 ガバリとカタリナの右の太腿が薔薇のように開花する。

 その拍子に下着が露出しても、少女としては何の羞恥心もないらしい。


 アーク溶断光線が来ると判断したセレナがVRゴーグルみたいな画面が真っ黒になる。そう、見なければカタリナの放つ閃光は問題ない。


 そして同時に指示されたステップをダンスのように踏めば、攻撃は当たらない。


 そう、当たりはしない。

 だがそれだけだ。


 一見、絶対に見える回避もいつまでも続かない。陸斗が一度足を絡ませてコケてしまえば、その瞬間に全てが終わる。


警報アラート。ミスカタリナが距離を詰めつつあります。ボスの反応速度を上回る距離になれば危険と判断してください』


「それも含めて俺の足の運びを指示しろ」


『オーダーを承認』


 とんっ、とんっ、と陸斗の靴の底がリズムを奏でるのに対して、一方のカタリナは新たにサイボーグ部分を起動させる。スマートフォンやコントロールなど必要ない。ただ脳に繋がる『赤い石』によって、ただ思念で、いいや怨嗟でもって破壊のための兵器が目を覚ます。


 ざわり……‼ と動く。


 くすんだゾンビの金髪が。


「なっ……ッ!?」


「地上の犬の技術すら盗む。……科学者が貪欲な生き物ってのは相場が決まってるだろうが」


 呪いのような怒りが女性らしい言葉遣いを噛み殺した。


 そう、メアリーと同様の筋肉繊維のような性質を持つ髪の毛。メドゥーサか何かのようにバサリと髪の毛が蠢き、それは躊躇なく陸斗の足を突き刺しに掛かる。


 己の体をサイボーグ化する。

 自分の人生を狂わせた元凶であるメアリーの技術すら盗んで、己に搭載するほどの見境のなさ。


『只今より全身の指示プロトコルへと移行します。腕や足、特に重心や胴体の位置には気を配ってください』


「っ‼」


 まるで近未来のダンスゲームみたいだった。


 緑色の立体的な映像が視界に飛び出す。陸斗の体のシルエットが次に移動しなければいけない場所へとホログラムのように浮かぶ。


 必死で着いて行くしかなかった。


 そこに体を当てはめるように動かなければ、一ミリにも満たない剣先の嵐に全身を串刺しにされてしまうのだ。


「ぐっ……‼ セレナ、タスクは進んでいるんだろうな……っ!?」


『ええボス。実行中ですが苦戦しています』


 指定されたポイントに飛び込み、ふくらはぎの辺りに髪の毛を掠めながらも何とか安全地帯に飛び込む事に成功する。


 が、セレナが追い打ちをかけるようにこんな事をVRゴーグルの中で言う。


『心拍数、呼吸数と共に上昇しています。明らかな運動不足です』


「頭脳労働専門なんだよっ!」


 舌打ちしそうになりながらも暴れ回っていると、陸斗に向けてカタリナがくっくと嘲笑う。


 あちらこそゲーム感覚だ。


 確実に反撃がない事が分かっているので、ランダムによく動く、狙いづらいターゲットを叩く無理ゲーを楽しんでいる素振りすら出てきているような。


「何だ、インドア派かクソガキ。動きに最初ほどキレがないな!」


「そう不貞腐れるなよカタリナ、世界の全てを見渡せる権利があるのにインドア決め込む俺がそんなに腹立たしいか‼」


 ピクリと。見え透いた、だが的確な挑発にカタリナ=グラフィックの瞼が動く。


 同時、メアリーを模したサイボーグの髪の毛の動きが停止する。


 わずかな戦争の停滞。

 切れた息を整える暇もなく、スマートフォンというよりもVRゴーグルに頼りっぱなしの少年は口を動かす。


「いいや、それとも外の世界にもこんなインドアなヤツがいて同族意識でも芽生えたか」


「同族だと? 本物の絶望を知らないヤツが何をほざく」


 本物の絶望。

 それが何を意味するのか、想像はできても実感は湧かない。


 絶望なんて味わった事もない。二〇年も生きていない、文字通りのクソガキにはテストの点数にガッカリするのが関の山。だが今この時だけにおいては、カタリナに言葉を届けられるのは自分だけなのだ。


 それが正しいのかは分からない。


 むしろ自分なんかにそんな資格はないような気がする。


 それでも。

 どうしても、口が動く。


 電車の中で大泣きする赤ん坊に、うるさいと母子を怒鳴りつける馬鹿な大人を許せない。できれば一発殴ってやりたい。そんな苛立ちを何億倍にも膨らませたような怒りに嫌でも口をこじ開けさせられる。


 ああ、こんな台詞を言う日が来るなんて思いもしなかったなと考えながら。


「……世界を滅ぼして何になるカタリナ」


「私からすれば、滅ぼさない理由を探す方が難しいんだがな」


「見た事もない場所にそこまで八つ当たりができるものなのか」


「八つ当たりかね? 筋も道理も通っているだろうさ」


「本当にそうかな。他の道はないのか」


「靴底で押さえつけられる人生は懲り懲りだ。私という一人の人間を台無しにしたツケは払ってもら……」


「壊す前に見てみる気はないか」


 断ち切るように、結城陸斗はそう告げた。


 無制限の長さを誇る凶器とそう変わらない髪の毛をたゆたわせながら、カタリナは眉をひそめたようだった。


「……どういう意味だ?」


「本当に壊す必要があるのか、その目で確かめてみる気はないかって聞いてるんだよ」


「君の意図が分からんね。物理法則や医学、それらを始めとした知識を全て理解した世界の何を見ろと? 検算したところで、それこそ何になる。これ以上私に無駄な時間を過ごせとでも?」


「データだけが全てなのか、カタリナ」


「むしろ他に何があるんだ、クソガキ」


「そんな自惚れた台詞を言えちまう時点で、お前は世界の一割も理解していないのかも」


「私がガキの言葉ごときに煙に巻かれるような愚か者に見えるのか。言葉遊びがしたいのなら他でやれ。ここのヴェールは最も濃いぞ」


「なら! メアリーのあの言葉はどうやって説明するんだ!?」


 ゴォア‼‼‼ と新幹線が通り過ぎるような轟音と暴風があった。


 陸斗をトンネルの反対側に渡らせないようにするために、カタリナがオブスに指示を飛ばして通路を走らせたのだ。


 掠っただけで腕が使い物にならなくなる地下生物に、陸斗の全身がゾクリとした気味の悪い震えを発する。

 ゾンビ少女のざわざわと蠢く髪の毛が今にも襲って来てもおかしくないが、カタリナは会話の続きを聞く事を選択したようだった。


「……再度聞いてやる。どういう意味だ?」


「メアリーは言ったよな、人間に生まれたかったって。次に生まれ変わったら人間になりたいって。カタリナの出自を知っていて、なおそう言えたメアリーの事はどう説明する!?」


「めでたいな、君は機械のバグの一つ一つに一喜一憂できるのか。よほど平和ボケに漬けられているらしい」


「バグだって立派なプログラム。そんな言い方もできないか」


「ただのエラーだろうが」


「そのエラーを生み出した原因は何だと思う?」


 カタリナは解答を拒否しても良かったはずだ。

 それどころか、会話の全てを拒絶して連続の攻撃を続ける事だって。


 カタリナにメアリーと同様の髪の毛が備わっている事は、セレナやリペアテレサすら見抜けていなかった。つまり攻撃が通じる公算が高い。


 その前提を忘れてしまうゾンビ少女ではないだろう。


 だというのに、彼女は応じた。

 陸斗の言葉にそれ相応の興味を引かれているのか。


「……地下のプログラムに地上のデータを打ち込んだんだ。エラーが起きて当然だろう、新たなOSをアップグレードするたびにバグが生じるのが珍しくないように」


「その原因とやらが何なのか、お前には分からないはずだ」


「……、」


「絶対に分からないはずだ、メアリーに人間になりたいとまで言わせた『何か』をお前が予測できる訳がない! 世界を壊して侵略者になり得る事を証明できたカタリナに、基幹プログラムを無視して自分を犠牲に俺を守ってくれたメアリーの真意が理解できる道理が存在しない‼」


「真意だと!? こいつはマシンだ、言葉も正しく使えねえのか‼」


「あるんだカタリナ、まだ壊さなくても良いかもしれないと思える『何か』が地上には‼」


「うるせえぞクソガキ‼」


 じゃがっ‼ という砂利を踏み締めるような音が背後から響く。


 背後を振り向く必要はない。


 VRゴーグルのようなガジェット、その後頭部に回したベルトには背後を確認するための小型カメラが搭載されている。まるで車のバックミラーのように、視界の端に後方の光景が映し出される。


 地下生物がいた。

 見た事のあるオブスや猛禽類の群れではない。


「……な」


 見間違いでなければ、ユニコーンだった。


 だが神聖な印象はほんの少しもない。

 ボディのシルエット自体はワニのような短足にゴツゴツとした皮膚。その頭部には角が備わっていたが、ユニコーンのように美しい槍の形ではなくサイに似た太い角。


 それでもユニコーンのような、と連想したのは、やはりその動きだろう。


 馬やイノシシに似た、突進の前準備。地面を幾度か後ろに蹴るその足。


警報アラート! 引き付けて回避してください! 突進の前に回避行動を始めてしまっては、追い付かれて角に串刺しにされます‼』


「っ」


 警告通り、ギリギリを攻めたつもりだった。


 しかし間に合わない。

 オブスほどではないとしても高速道路の車くらいの速度はあった。時速にして七、八〇キロの物体が陸斗の下半身に掠る。


「がァ!?」


『事前に確定していた方針通り、ヘルスチェックを開始……完了。骨への異常はありません。軽症です、ボス。痛むのは分かりますが即座に起き上がって行動可能状態を維持してください』


 スマートウォッチを介して健康を把握したセレナがそんな風に言う。


 きっとユニコーンのような地下生物がとんぼ返りして、理系高校生がもう一度吹っ飛ばされるのを警戒したのだろうが、陸斗としてはそれほど焦っていなかった。


 ポケットからスマートフォンを取り出す。

 フラッシュ部分を点灯させながら、地下生物に向けてデバイスをかざす。


 言った。



「セレナ。ゴーグルを爆破しろ‼」


『オーダーを承認』



 ドッパン‼ という液体性火薬の爆発が起きた。


 しかし陸斗の頭の上半分が吹っ飛んだ訳ではない。

 被害を被ったのは、目の前の地下生物。ユニコーンもどきに引っかけたVRゴーグルのようなガジェットが陸斗の仕込んだ火薬のせいで爆発したのだ。


 サイもどきの角と眼球、さらにはワニのような前足が丸ごと吹っ飛ぶ。


 たった一度きりの攻撃手段。

 交差の瞬間、角にゴーグルを引っかけた陸斗の行動に、スマートフォンからセレナが苦言を呈してきた。


『ボス。まだゴーグルの使用価値はあったはずですが』


「もう体力もなくなってきた。運動不足だけが原因じゃない、明らかに地下に来てから体が重い」


『いずれにせよ先は長くはありません。決着をつけるならばお早くどうぞ』


「タスクの方は?」


『八割完了、といったところでしょうか』


 幾度に渡る地下と地上のワープ。


 合計で言えば、一時間を超える地下の滞在。


 地上と地下で生態系が異なるように、長い間こちらにいれば地上の人間にも不具合が出るのか……? とこめかみの辺りから脳そのものをペリペリと剥がされるような、初めて味わう痛みに顔をしかめながら陸斗は予測をつける。


 スマートフォンのフラッシュで茫洋と浮かび上がるゾンビ少女に、少年は慎重に言う。


「……もう、後悔はしたくないんじゃないのか」


「まだ口を動かす気概があるのは褒めてやる。だがそれこそ言葉の真意が読めんな」


「時間をくれないか、カタリナ」


「何のために」


「俺ならお前に与えられるかもしれない。三日、いいや二日で良い! それが駄目なら一日、半日でも構わない! 世界を壊すためじゃなくて見て回るために地上に来い‼」


「……驚いたな、全貌を聞いても真意が摑めんとは。声を聞くに偽造という訳でもなさそうだ」


「俺にはあるんだ。あるはずなんだ……ッ!」


 顔が熱くなっているのが分かる。

 恥ずかしくて今にも爆発しそうなほど、脳が会話の続きを拒んでいるのを理解する。


 ……もう身を守るためのVRゴーグルはない。


 ……何かの気まぐれでカタリナが髪の毛を陸斗に突き刺そうとすれば、少年の人生はここで終止符が打たれる。まるで足の幅よりも狭い崖を渡るような危険な綱渡り。


 それを知ってか知らずか、カタリナから続きを促した。


「……一体何があると?」


 そう、恥ずかしいに決まっている。


 メアリーに『何か』を埋め込まれたのは、少年であるはずだ。絶対のプログラムすら否定して、自らの体を盾にしてでも守ってくれる『何か』を与えたのは理系高校生であるはずだ。人間になりたい、生まれ変わりたいと憧れを抱かせるに至る『何か』を魅せたのは結城陸斗であるはずなのだ。


 まるで別れた元カノの魅力は全て過去の自分のお陰だと言い張るような自惚れ。

 黒歴史になる事請け合いの言葉を、彼は選択した。





「俺ならお前を救えるんだ、カタリナ。あと少し、もう少しだけ俺達に時間をくれ‼」













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