機械のココロ
「ぐっ、痛う……ッ‼」
「陸斗。大丈夫ですか?」
「目がっ、目がァああああ……」
『暗い空間に慣れつつあった視界に、突然加工技術に匹敵する溶断溶接の輝きが入り込んできたのです。失明したっておかしくない光量です』
「ノー。私が事前に距離を取ったので失明だけは避けられたはずです」
逃避行を続けていた。
地下の空間、トンネルの真ん中を走ってしまうとまたオブスに弾き飛ばされる可能性があるため、走行しているのは道の隅っこだ。
安定にお荷物役の結城陸斗といえば、襟首を摑まれたままスーツケースみたいに引きずられていたのだった。ちなみにあまりの逃走の速度に時々足が浮いてしまうが気にしたら負けだ。怖いは怖いが、足を止めたらさらなる恐怖が襲ってくる事請け合いなのだ。
メアリーの髪の毛は半分ほど焼かれたはずだが、電磁性複合細胞の恩恵で超成長植物のように元通りに戻りつつある。
一息つこうとして、しかし陸斗はギリリと歯噛みする。
「……くそっ、痛恨だった」
『ボス』
「フェリネア=グラフィックから地下やメアリーの話は聞いたが、彼女自身がどういう人かを全然聞いてなかった‼ 何なんだ、あのゾンビはフェリネアの何だ!?」
『ゾンビ嬢です、ボス』
「ゾンビだあんなもん! どこに女の子要素がある‼」
ようやく回復してきた視界にホッとしつつ、スマートフォンの画面をぶっ叩く陸斗。
デバイスに当たり始めるようになったら科学者として終わりかもしれない、と少年はやや真剣に懸念しつつ、今はそれどころではないと思い直す。
「メアリー、お前が眠ってたケースはどこだ? ゴールはそこしかないんだ!」
「前方一二キロメートル先です」
徒歩なら泣きたくなる距離だが、バイクのようなスピードを出せるメアリーならば踏破可能ではある。
「セレナ」
『ボス』
「どう思う? フェリネアとあのゾンビ」
『ええボス。いまいち関係性が見えてきません。おそらく事前情報の欠如が原因です。もっとフェリネア嬢の身の上話を聞いておくべきでしたが、仕方のない事でしょう。地上ではそれが難しい状況でもありましたもの』
「仕方ないけど悔やまれるな」
『わたくしにその感情は理解できませんが、今すぐフェリネア嬢とコンタクトを取ります』
「ああ、狙われる理由くらいは知っておきたい」
流石に電話で悠長に長話に付き合える余裕はない。
そちらはセレナに任せて、陸斗はスマートフォンのフラッシュを背後の暗闇に向ける。
「セレナ。オブス通過のノイズはあるか?」
『いいえボス。あったら速攻でお知らせいたします』
「何キロ進んだか、三キロ単位で報告しろ。どういう方式か分からないけどGPSマップは遣えるんだろ」
『オーダーを承認』
「あとメアリー!」
「はい陸斗」
高速移動のせいで風を叩く音が聴覚を埋め尽くしていても、声は問題なく届くらしい。
完全に元に戻ったメアリーの髪の毛に今度こそ息を吐きながら、先ほどのゾンビ嬢の動きを思い出す。
「さっきのゾンビ、完全にメアリーの速度に着いて来てた。あれどうやって背後に回り込まれたんだ?」
「はい陸斗。おそらくサイボーグ化されたあの右足に秘密があります」
「何だ、ローラースケートみたいに高速回転する車輪でもついてるってのか? あとは雑技団みたいに片足立ちしておくだけで追い着けるとか」
「もっと単純でしょう」
「?」
「オブスに貼りついて移動したのではないでしょうか」
『ええボス。こちらについては同様の演算結果が出ています。あそこまでゲテモノと化した右足ならば、オブスのウロコに足をめり込ませておくだけで高速移動を可能とするかもしれません』
ようは安全装置すらない、雑なジェットコースターという訳だ。
やはりゾンビ並みの面倒臭さだ。
耐久値が高く、暗闇を得意とし、しかも攻撃力はハリウッド映画のゾンビよりも数倍高い。そして冷静に思考する陸斗は舌打ちする。
「暗闇の中で武器にアーク溶断光線を選択した理由が最悪だ」
『ええボス。完全に目潰しも目的とした攻撃でした。ミスメアリーがいなければ袋叩きにされていたでしょう』
一撃目で目を潰して、二撃目で確実に心臓を止める。
殺害だけを追求した、悪魔的な攻撃手段のチョイスセンス。
明らかに正常な科学者の思考回路から逸脱している。だというのに、彼女の持つ右腕や右足のそれは絶対に科学技術を必要とするハイテク兵器。
「……マッドサイエンティスト、か」
と呟いた直後、スマートフォンの画面に警告アイコンが躍る。必要以上にバイブレーションが強く震える。
ギョッとする理系高校生に、思った通りの人工音声が飛んでくる。
『
「っ、メアリー‼ 通路の端っこにいるだけで本当に大丈夫なのか!?」
「はい陸斗」
とメアリーが答えた直後、空気を丸ごと持って行くような轟音と共に、オブスがスポーツカーのように通過して行った。
三メートル横。
街の歩道ならば全く問題のない距離だが、それが時速二〇〇キロ以上で通過する巨大生物だと心臓にかかるストレスは比べ物にならない。
『再度
陸斗が優秀な秘書プログラムに返答する時間的余裕はなかった。
ッダン‼ という大きな着地音。
音源は体操選手のようにクルリと宙で縦に一回転した、くすんだ金髪の持ち主。今ので実証されてしまった。本当にゾンビは高速移動生物のオブスを移動手段として使っている。
(……電車に飛び乗るみたいにオブスに貼りついてるのか? もし違うとしたら……)
頭に仮説が一つ浮かぶ。
しかし言語化する前に、ゾンビの少女は金髪の奥の赤い方の瞳が不気味に光る。
「喰え」
『喰らえ』ではなく『喰え』。
そこに違和感を抱く前に、ゾンビ少女の纏う紺色の帯の隙間から赤黒い色の蛇が一〇匹ほど飛び出す。
陸斗を狙ったゾンビの攻撃にメアリーが割り込む。今度こそ白い髪の毛で全てを串刺しにしていく。
仮説に確信を得た陸斗は叫ぶ。
「オブスだけじゃない……。お前、地下生物の司令塔なのか‼」
「全てを操れる、という言い方はどうかと思うがね。このじゃじゃ馬だけは扱い切れねえ」
ゾンビ嬢の語気が、口調が荒れる。
直後、串刺しにされていた赤黒い蛇からスプレーのような音が炸裂する。穴の開いたスプレーから空気が洩れるようなその音は、蛇の尻尾が射出される音だった。
そう、射出。
トカゲの尻尾のように自ら尾を断ち切るだけではなく、蛇の鋭い尻尾の先端がメアリーの体に次々と突き刺さっていく。
「メアリー!?」
『警報(アラート)。ミスメアリーの関節部分に数発被弾したのを確認。電磁性複合細胞が回復し切らなければ逃走も難しい状況に陥りました』
無秩序な攻撃であるのにも拘らず、一発も陸斗に当たらなかったのはメアリーが髪の毛で尻尾の矢を全て弾いたからだ。
守られるだけの存在は、明らかな不利に対して秘書プログラムに助けを求めた。
「セレナ‼」
『え、ボ 。ミスメア……ジジガッ、移動しガザジジ! 突き……ザガガガ‼』
「セレナ。セレナ!?」
「そう慌てるな。今時は中学生でも妨害電波くらい知ってるだろう?」
通信が遮断されている。
そう気づいた時には、スマートフォンに頼りっ放しになっていたツケが回ってきた。
ゾンビ少女の右足が唸りを上げる。再びサイボーグの太腿部分が薔薇のように開花して、それが陸斗に突き付けられる。
閃光。
「消し飛べ。そのポケットの中身だけを残してな」
「……っ?」
閃光が迸る。
その直前、メアリーが動く。
飛びついたのだ。
太腿そのものに覆い被さるような形で。
まるで手榴弾の破片が飛散するのを防ぐために、一人の兵士が自身を犠牲にする軍事演習のようだった。
だが目の前で起こっている事は現実だ。
「メア―――‼」
さらに白い髪の毛が繭のような塊を作る。
それが陸斗の腹部に押し付けられたと思ったら、凄まじい力で後方に吹っ飛ばされる。まさにトランポリンに正面衝突されたらこれくらい跳ね飛ばされるかもしれない、という光景だった。
それに顔をしかめたのはゾンビ嬢だ。
「チッ」
本格的な舌打ちを一つ。
薔薇の花からアーク溶断の閃光を炸裂させ、メアリーをトンネルの反対側の壁まで叩きつけてから右腕のサイボーグ部分を起動させる。
ゾンビの手から空気が弾けるような音がして、ワイヤーが射出される。
先端にはハサミのような凶器が付属されている。
狙うは陸斗のポケット。
メアリーのせいで後方にゴロゴロと転がり続ける理系高校生のジーンズを切り裂こうとする。というよりも太腿そのものをぶった切るような勢いで。
『
距離を取った事で妨害電波の範囲から脱出したのか、スマートフォンからセレナの人工音声が響く。
状況に置いて行かれつつある陸斗だったが、いつもの声には反応する事ができた。
真横に転がった少年に、容赦なくハサミ付きのワイヤーが襲う。足の付け根を一刀両断されるのだけはギリギリ避ける事ができたが、それでもジーンズのポケットを切り裂かれる。
ワイヤーが胃カメラのように自在に動くのか、そのポケットの『中身』を摑む。
ゾンビ少女はニヤリと笑って、掃除機のコードのようにワイヤーを即座に回収する。
少女の手にあるものが収まる。手に入れた物品を赤子のように優しく撫でて、ゾンビは口を紡ぐ。
「ふふ、ふは、ああ、ああ‼ やっとだ、永劫の時だったぞまったく‼」
「しまっ……!?」
ポケットに入っていたのはレアメタル。
ゾンビ嬢がそれを手に入れる事が一体どういう意味を示すのかは分からない。
だが本能で察知する。
まずい気がする。
まるで、どの宝箱かは分からないが、それでも黄金の鍵を手に入れた海賊を目撃してしまったような。
「りく、と」
トンネルに叩きつけられたメアリーの声だった。
アーク溶断光線を間近でまともに喰らったせいだろう、胸部や腹部に目も当てられない損傷があった。あれほど焼かれて、あんなにも壊されて、それでも電磁性複合細胞の回復は望めるのか。
メアリーはすぐには走れないだろう。
結城陸斗は完全に足手まといだ。頼りになるセレナもゾンビの妨害電波のせいで機能不全に陥る可能性が高い。
ここからの挽回を計算しようとする陸斗に、しかし崩れかけのアンドロイド少女が取った行動は彼の予測を大きく外れた。
「……お見送り、ありがとうございます。ここまでで、結構です」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………な、に?」
そこで陸斗は違和感を覚えた。
その足元。
唐突に陸斗の立っている場所が青く淡い光に包まれていたのだ。メアリーの表情が初めて曇る。その変化は、絶対にスマートフォンのライトの角度のせいだけではないはずだ。
その腹部や胸部、メチャクチャになって内部のコードや部品さえ露出してしまっている自身のボディを破損した手で惜しそうに撫でながら、その口が動く。
「買っていただいた服を、ボロボロにしてしまって、申し訳ありません」
「チィ‼」
全力の舌打ちを落としたのはゾンビ少女だ。
サイボーグ部分をメアリーか陸斗、どちらに突き付けようか逡巡する。そしてその迷いが明確な差を生み出した。
足裏にあった地面を摑む感覚が消える。
「陸斗」
幾度か味わった、地上と地下を行き来する、あの感覚。
「これは、言ったところで何の意味も持たない言葉なのですが」
結局、ゾンビの少女は太腿の薔薇をメアリーに突き付ける事にしたのか、怨嗟にも似たオレンジ色の熱線が闇を引き裂く。
「もし、機械に『次』が……そう、人間で言うところの生まれ変わりのような魂の転生があるのならば」
そんな仮定があった。
自分だけ安全地帯に放り込まれる。
その直前だったと、記憶している。
泣きそうな顔で。
アンドロイドとは思えない表情で。
人工知能なんかとは程遠い、幾億もの感情の海で足掻く幼子ように。
世界に溺れて、それでも地上が良いとわがままを言うのすら押さえ込まれた、その痛苦の声。
聞き間違いでなければ、きっと彼女は人工音声でこう出力していた。
「今度こそ、私も人間に生まれたいです。陸斗」
地下空間の全てを叩く、少年の慟哭があった。
それこそ、何の意味も持たない言葉の津波だった。
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