私怨の恨みで戦場へ
「づ……っっっ‼」
二日酔いで頭痛に苛まれるのは、こんな感覚なのだろうか。
どこか思考にフィルターが掛かる中、結城陸斗はそんな風に思っていた。
「……、」
もはや自分が一体どんな表情をしているのかも分からない。
ただ、手には傷ついたスマートフォンが握り締められてあって、それは無意味に強烈なフラッシュを放っていて、ジーンズのポケットは切り裂かれていて……そして、街はいつものように機能していた。
そう、いつものように。
オブスによる『侵略』は収まっているのか、と勝手に少年は予想をつける。
「……セレナ。現在地をアナウンス」
『ええボス。学校から八キロ、研究所リペアテレサから一二キロほど離れた飲み屋街、その店の屋上です』
しばらく。
崩れ落ちるように、その場に留まっていたような気がする。
ようやく頭痛が過ぎ去ると、理系高校生はノロノロとした動きで体を起こす。特にセレナからのナビゲーションはない。おそらく行動方針を伝えていないからだろう。
立つ。
まだ二本の足で立てる。
なぜだかその事に強い苛立ちを覚えたが、それでも外の壁に備え付けられた非常用の梯子から地面に降りて行く。
路地裏から通りに出ると、そこは確かに飲み屋の店が軒を連ねる飲み屋街だった。
まさにゾンビだったような気がする。
何もかも重たい体を引きずるようにして、騒がしい飲み屋街を抜けて行く。
「……大通りに出るには?」
『ええボス。直進二〇〇メートル、一度右折です』
地下にいた時間なんて、数えられる程度に短かったはずだ。
だというのに、いつの間にかもう一一時を回っていた。
そろそろ帰路についたっておかしくない時間帯だというのに、街は平和で溢れていた。
立ち飲み屋の中年の男二人がジョッキをガチンガチンと突き合わせながら、こんな事を言っていた。
「いやあ、自衛隊ってのはやっぱり持っておくべきなんだなあ!」
「気持ち良いよな! 結局一時間で侵略者が押さえ込まれたって話だろ? 何かにビクビク怯えていた訳じゃあねえがこれほど安全を見せつけられた日ってのは気分が良いぜ‼」
つまりそういう事らしい。
真実が表に出る事はなく、世界は都合良く回っていく。
これで終わった。
世界は救った。救われた。
リペアテレサで地下に向かう前にセレナと言い合った、世界の救済。その目標のために努力し、計算して、望みを叶えた。
「……、」
そぞろ歩く。
隣の人の声が聞き取りづらいほどの雑踏の中でも一六歳の少年が飲み屋街を歩いていれば職質でもされるのではないかと思ったが、その心配はなかった。
きっと誰も、少年の事など見えていない。
いいや、それどころか目の前に転がっている真実さえ。
結城陸斗だってそうだ。
現にそうだった。
いつまでも。
どこまでも目標なく歩いて行って、そしてようやく何の力も持たない少年はポツリと呟いた。
あまりにも小さく。
だが今までにないほどに強く。
「……聞き間違いなものか」
誰もが聞いていて、誰もが聞いていない。
自分だけが知っていて、自分以外は誰も知らない。
「彼女は言ってた、人間に生まれ変わりたいって」
一度ダムが壊れてしまえば、もう止められなかった。
すぐさっきの事のはずなのに、夢のように今すぐにでも薄れてしまいそうなその記憶。せめて絶対に消失しないように、何度も脳内で反芻する。
「確かにこの耳で聞いた、確かにあの口で言ってたんだ。今わの際、他に何を口走ったっておかしくないのに、最後の最後に出た言葉がよりにもよってあんな言葉だった‼」
陸斗自身があのアンドロイド少女に何を生み出したのかは知らない。
分からない。
想像すらつかない。
だけどこの二日にも満たない短い時間の中で、人工知能に大切なものを植え付ける『何か』が少年にはあったのだ。
思わず否定したくなるが、彼自身が何と言おうとも、歴然としてそれは存在しているはずだ。
そして何より。
「……否定、しないぞ」
歯噛みする。正直な感情が溢れ出す。
まだまだ少年は少年だ。大人みたいに賢く立ち回れる訳がない。
ならばそれなりのやり方というものがある。
「……巻き返してやる」
今一度、スマートフォンを強く握り締める。
それは可能性だ。
絶対に手から零れ落ちない希望の光。
「クソッたれが、必ず帳消しにしてやる……ッ!」
曲がっていた背筋が伸びていく。
ゾンビから人間へ。
死んでいた心が再び息を吹き返すように。
腹に力を込めて、あらん限りの大声でもって彼は宣言する。誰も聞いていないからこそ、絶対にブレない宣誓として。
分かたれる時、何も言えずにただその光景を見送ってしまった不甲斐ないクソガキに対して、今この時より未来に向かうために。
「ここから巻き返してやる‼ 協力しろセレナ、絶対にメアリーを助け出す‼ 歯が立たなくても抗う手段がなくても関係ない。これは、ここだけは! 俺の人生の意味全てを懸けてでも取り戻す‼‼‼」
声の届く訳のない、一五〇〇キロメートル深くの地下に向けて言ったって、生産性の欠片もない。
だがスマートフォンからの返答は変わらない。
あくまでいつものように、何ら変わらない起伏の声で、こんな優しい解答があった。
『オーダーを承認。救済の対象を世界全体からミスメアリーへと変更します』
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