デートの締めは紐なしバンジー




「……痛っ……‼」


 目の奥を炙られるような痛みに、結城陸斗の意識は覚醒する。


 頭痛を押し殺して何とか瞼をこじ開けると、ぶるりとした震えが体に走る。


 寒い。


 今は一〇月。


 Tシャツ一枚で、上着もなく外を出歩けば肌寒く感じて当然だ。


「ノー。危険です」


「っ!?」


 手首の辺りにも痛みを感じて、そして結城陸斗は自らの目を疑った。


 目の前に広がるのは、ネオンの海。


 どこまでも遠くを埋め尽くす、美しい夜景。


 それをかなりの高さから見下ろす結城陸斗は、自分が高層ビルの屋上に立っている事を理解する。


「……ここは……」


「高度は約三五〇メートル。人体の構造と耐久性を考えれば、落ちたら即死はほぼ確定でしょう」


 至近でそんな事を言うのは、共に逃亡していたメアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターであった。


 そして高層ビルの屋上といっても、安全な場所に立っているとは限らない。


 端。


 不用意にあと半歩でも踏み込めば、重力に捕まり硬い地面に激突するだろう。もし下が柔らかい巨大クッションであったとしても、打ち所が悪ければ自重で体の骨格は壊れてしまうはずだ。


 そして手首の痛みの原因は明確だった。


 顔をしかめるほどの頭痛によって、屋上の端から踏み外しそうになっていた少年の手首をメアリーが摑んでくれていたのだ。


 何かの弾みで手を取り損ねていたら、自分の命は終わっていた。その事実を理解して、陸斗は全身に気味の悪い汗が浮かぶのを感じていた。


 彼女のいやに無機質な目を見て、彼は言う。


「……助かったよ」


「不用意に動かないでください。今こちらに引っ張ります」


 メアリーの補助を受けて、危うく落ちそうだった屋上の端から手すりに摑む事に成功する。


 小さく息を吐く。


 もう一度だけ夜景を眺めて、陸斗は誰に向ける訳でもなく呟いた。


「……帰って来たのか」


「はい。目立った怪我はないようで何よりです」


「ああ、メアリーも……」


 と、言いかけたところで少年の息が詰まった。


「メアリっ、なん、何だ、何だそれ……ッッッ!?」


「……、それほど驚く事ではありません。仕様です」


「ふざけるな‼ 何で右腕がないんだ!?」


 そう、白髪ロング少女・メアリーの右腕がなかった。


 正確には右腕の肘から先。


 何か鋭い刃物で切断されたように、ごっそりと肘から先がなくなってしまっていたのだ。


「何で、どうして……ッ!?」


「……先ほどの高速移動物体・『オブス』を回避し切れませんでした。全身を巻き込まれるよりも一部を犠牲にした方があなたの生存率は高いと判断しましたので……」


「そういう事を言ってるんじゃない‼」


 結城陸斗が軽い叫び声を上げながら、わずかに震える指先でメアリーの右腕を指差す。


 あるべきはずのものが。


 なかった。


「……どうして、出血が……ない? それから、その、腕の……なか、み……っ!?」


「機械です」


「義手、だったのか……!?」


「そうではなく」


 白い髪を夜風になびかせるメアリーは、あくまでも淡々と語る。


。知能(ソフト)も、肉体(ハード)も。……信じますか?」


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 流石に言葉を失った。


 口をパクパクと開閉するだけの陸斗に、ほんの少し首を傾げたメアリーは茫洋な瞳で少年を見つめてくる。


「何か言ってください。沈黙はあまり好きではありません」


「……き、機械の体にしては、随分と柔らかいんだね。さっきの胸の感触なんか―――」

「発言のチョイスが最悪です」


「ユーモアがあると言ってほしい」


「腐ったユーモアセンスのようです」


「い、意外と口は厳しめなのかな?」


 頭の整理が追い着かない中、陸斗には思い当たる節があった。


 例えば、何のデバイスも操作せずに少年のスマートフォンを破壊した件。


 例えば、少女の言葉の端々に、セレナのような言語インターフェイスのアルゴリズムに酷似している言い回しを感じ、違和感や引っかかりを覚えた時。


 例えば、華奢な体躯の少女にしてはやけに力強い蹴りを繰り出した事。


 どれもこれも。


 人間離れしている、という表現がピッタリなのだ。


「……ダメだ」


「どちらへ行かれるのですか?」


 高層ビルの手すりから屋上の出口の方へ向かう結城陸斗に、メアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターが問いかけてくる。


「色々と解決したい疑問はあるけど、地下の空間にレアメタルを置いて来ちまった……。絶対に戻りたくはないけど、あれは『地球らぼ』の部活動の一環なんだ。雪先輩やオリヴィア先輩に迷惑をかける訳にはいかない。まずはセレナとの通信デバイスを回復させて……」


「それなら問題ありません」


「?」


「お探しのものはこれでしょう?」


 言いながら、陸斗のパーカーを羽織るセレナがそのポケットから取り出したのは赤紫色に発光したレアメタルだった。


 思わず目を剥く少年だったが、流石にパーカーのポケットに入れっ放しになっていたのに気づかないほど間抜けではない。


 現に地下空間で目を覚ました時、衣類の間に挟まっていないか確認済みだ。


「どうしてメアリーがそれを?」


「……お答えできません」

「トンネルみたいな地下空間では、液体の詰まったガラスケースに収まっていたメアリーに俺が近づいて行った。つまり俺と一緒に落ちたレアメタルをメアリーが拾う事はできないはずだ……」


「お答えできません」

「……何がある? あの地下には俺達の知らない事がどれだけ眠っているっていうんだ!?」


「お答えできません」


「くそっ‼」


 掛け値なしに死にかけたというのに、その正体すら知る事ができない。そのもどかしい事実に、陸斗は苛立ちを隠せなかった。


 しかもメアリーの回答は『知らない』ではなく、『答えない』だ。

 頭を掻いて、しかしそれ以上メアリーに何かを言う前に陸斗の体がふらりと揺れた。


 セレナにヘルスチェックをさせる必要もない。頭痛に全身の疲労。流石に体に無理を強いてしまったらしい。


「……限界だ。もう疲れた、今は問答をする気は起きない」


「私にとっては好都合です」


「メアリー、お前も家に来てくれ」


「……男性の家に不用意に行くのはふしだらな女性であるというインストール情報があり……」


「機械なんだろ」


「しかし戦車から言語などよろしく、無機物にも女性形と男性形が存在するものは長い歴史の中でもれっきとして存在しており……」


「もうツッコませないでくれ。こっちはカルチャーショックでくたくたなんだ」


 片手を顔に当てて屋上の出口に向かおうとすると、だが背後のメアリーからストップがかかった。


 そういえば、なぜか彼女は屋上の手すりからこちらへ来ようとしない。


「待ってください」


「何が?」


「ここはビジネス会社の屋上です。どうやら普段は立ち入り禁止空間に指定されているようなのですが」


「それが何だよ? というか、その情報はどうやって手に入れたんだ」


「地下空間からの出口によりここまで飛ばされましたが、逆に言えばセキュリティランクの高い建物の屋上から高校生が二人降りて来れば、多少は問題になります」


「……確かに」


「事情を説明すれば良いかもしれませんが、理解を求めるには長い時間がかかり、しかも私はこちらの社会には疎い。何かの拍子に正体が露見すれば、最悪パニックにも繋がります」


「じゃあどうしろってんだ。何か名案でも?」


「はい陸斗。こちらに来て私の手を握ってください」


「?」


 女性からの大変嬉しい申し出に怪訝な顔をする辺り、ちょっとメアリーへの信頼度が怪しい感じの結城陸斗。


 手すりから陸斗の方へ手を差し出されると何だかメアリーとバックの夜景が重なってちょっと怖かったりするのだが、まあ引きずり込まれる訳でもないだろう。


 そのまま手すりの方に少し歩いて、差し出された白髪ロングの少女の手を摑んでみる。


「……、」


「どうかしましたか?」


「いいや」


 触った感触が三澤花恋とやはりほとんど変わらなくて驚いている、などという感想は今は伏せるべきだろう。言ったところで何の生産性もない。


 そして。


「では」


「なあ、これで一体何を……」


 直後だった。


 まあ引きずり込まれる訳でもないだろう、とか何の根拠もなしに考えたのが間違いだった。


 思いっきり引きずり込まれた。


 しかも手すりの向こうに着地する事も叶わない。いいや、そもそもメアリーは陸斗をその手で引っ張ったのではなく、少年を摑んだままビルから飛び降りていたらしい。となれば、もう足掻きようがない。


 ただ重力に捕まり、そのままコンクリートの地面へと激突に向かう。


「ああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 落下の絶叫中、キョトンとした顔でメアリーがこんな風に問いかけてきた。


「……? ひょっとして怖いのですか?」


「当たり前だっ‼」




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