地下の絶望的逃亡撃
歩行と共に思考も止まった。
これで耳を疑わない方がおかしい。結城陸斗は苦笑いになりつつ、再度確認を取った。
「待った、メアリーさん」
「はい、待ちました。……どうしてさん付けですか? 確かにあなたよりも見た目はお姉さんですが」
リクエスト通りにぴったりとその場で停止する白髪ロングの巨乳少女に、目を剥く陸斗は苛立つように質問を重ねる。
「今、その、何て言った? 地下一五〇〇キロメートル……? せめて、こう、そう、一五〇〇メートルの間違いだろう?」
「ノー。一五〇〇キロメートルです」
「ウソだろ……?」
「繰り返すようですが、一五〇〇キロメートルで合っています」
「あり得ない! だって、そんなの!」
頭をガシガシ掻きながら、脳内の引き出しをひっくり返して思い出す。
苦手なオッサン教師の理数系の授業では、一体どう習ったか。
「……確か地球は地殻、マントル、そして核の順に構成されていたはずだ。一五〇〇キロメートルだと地殻をぶち抜いてマントルに到達してるって事になるぞ!?」
「ノー。マントルは上部と下部の二層に分類され、核も外核と内核に分類されます。ひょっとして勉強は苦手なのですか?」
「俺の成績は今どうでも良い! つまりここは下部マントルをぶち抜いた場所だっていうの か!?」
「……理解力はあるようです」
普段なら鼻で笑っていただろう。
あり得ない、と。たとえ気絶する前にレアメタルから熱光線が迸り、目覚めた空間がトンネルみたいな場所でも、ここが地下一五〇〇キロメートルですと言われても馬鹿でも信じないだろう。
だが。
少年には一つ、ずっと引っかかっていた事があった。
「……あのウロコまみれの死骸と、一〇〇の群れの猛禽類……っ‼」
こちらを見てくるメアリーの視線も気にせず、スマホを失った陸斗は歯噛みしていた。
つまり、何だ。
あれは、まさか。
「あれは、『侵略』がウワサされてる地下の化け物だったっていうのか……っっっ!?」
「地上の人間にはそんな風に思われているのですね」
「……、……?」
メアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターのその言い草に形容しがたい違和感を覚えるが、その疑問を言語化する前に変化が起きた。
パーカーを羽織ったというのに前のチャックを一向に閉める気配のない白髪の少女が、こんな風に切り出したのだ。
「……探知されました。捕獲されるまで一五〇秒」
「は?」
「急に何言い出してんだ説明しろ的な視線ですが、これは私が悪い訳ではありません」
「一体何を……」
「あなたが私を管理ケースから出したのが原因です。位置情報が移動しつつある事によって、ヤツに探知されました。まもなく手先がこちらに来るでしょう」
「ヤツ? 手先って!?」
「説明にも時間を要します。あと一二五秒」
大きく舌打ちしてから、大量の疑問を一気に飲み込む結城陸斗。
そして言った。
「メアリー、一つ聞かせろ」
「何でしょう」
「そいつは、ヤバいのか?」
「はい。しかし探知されるのは私の存在だけであるため、私を放置しておけばあなたに被害的な問題はな……」
「なら決まりだ、早く出口に向かうぞ。言い換えればあと二分はあるって事だ!」
言うと同時、陸斗はメアリーの手を摑んで歩を進めた。
が、逆に引っ張られるように、ガクン! と思い切りつんのめった。手を握られた白髪ロングの少女が 一歩も動き出そうとしなかったのだ。
「メアリー? どうした、時間がないんじゃないのか!?」
「……はい。いえ、ただ先ほど待ってくれと言われたリクエストがまだ解除されていません。動いてもよろしいですか?」
「出口に向かうぞって言ったろ! 良いに決まってる!」
順調に走り出したは良いものの、一体どちらに走れば良いのかも分からない。
ここは地下一五〇〇キロメートルらしい。
今は『まともな疑問』の部分に思考を回せないが、メアリーが何を『出口』と称しているのかもサッパリなのだ。
妨害電波の元凶を探る際に、一本道のトンネルから何度か横道に逸れた記憶がある。そのため陸斗の方向感覚はグチャグチャだ。これがセレナの指定したテーマパークの方向か、それとも全く違う方向に向かっているのか、それすらも怪しくなってくる。
「くそっ、セレナを失ったのがマジでキツい!」
「セレナとは何なのです? さっきから気になります。説明してください」
「お互い気になる事がいっぱいだな! とりあえずお前だけ疑問が解消できると思ったら大間違いだバーカ‼ はいこの別れ道どっち!?」
「右です。コケないでくださいね」
ゴムとゴムを擦り合わせるような音を靴裏で鳴らしながら、急な右カーブを曲がっていく。
そして忠告されたというのに、曲がる勢いが強過ぎて壁に激突しそうになり、それを回避しようとした瞬間に地面の感触が消えた。
平たく言えば、足を滑らせて腕から落下しそうになったのだ。
「うォあ!?」
「手が掛かりますね」
硬い地面との衝突を覚悟した陸斗だったが、実際にはそうはならなかった。
メアリーが握っていた少年の手を握ったまま砲丸投げのようにゆったりと回り、地面と激突しようとしていた少年の体を引っ張り上げたのだ。
まるで複雑な社交ダンスのようだった。
そして一体何がどうなったのか、感覚的には遠心力を使って女子に振り回された陸斗の顔が柔らかいものの中に突っ込んだ。
「ぷはっ」
「……なるほど。非日常とも言える危機的なシチュエーションの方が、性的興奮を促す台詞よりも燃える、という結論で良いのでしょうか」
暗闇のせいなのか、それとも白髪の少女を見上げている角度のせいなのか、何だかジト目で見つめられているような気がするのはやっぱり気のせいだろうか。
結城陸斗が顔から突っ込んだのは、壁の激突から救ってくれたメアリーのその大きな胸の中央だったのだ。
「……ま、まあ硬い壁とか地面に衝突するよりは全然嬉しいけど」
「謝罪、という概念はないのですね」
「ごめんなさい! どうか通報だけは‼」
「……事故の要素が強いのは認めます。緊急事態につき許しましょう」
右に逸れた横道をさらに進む。
陸斗が延々と歩いたトンネル空間とは異なり、もう横道はそれほど広くない。灰色の地面を蹴って奥へ奥へと向かう中、横に並ぶメアリーが言う。
何だか斜め上を見つめる瞳には焦りの色が滲んでいるようにも見える。
「……捕獲されるまで残り二〇秒を切りました」
「っ!? さっきから不吉な事ばかり言ってないで具体的に‼」
「説明するよりも見た方が早いでしょう。まもなく来ます」
メアリーは意味の分からない事を言った。
そして直後に、意味の分からない事ではなくなった。
「……マグマ……?」
結城陸斗の口から飛び出したその単語は、しかし目の前の光景を的確に表現していた。
ドロドロとした粘質な赤い液体のような、それ。まだ三〇メートル以上も距離があったはずだが、陸斗の皮膚がヒリヒリとした痛みを発する。まるで小さな太陽を目の当たりにしたような気分にさせられる。
スライムのように粘性があるため津波のように襲ってくる訳ではないが、芋虫のように器用に体を動かして、もぞもぞとこちらに近づいて来る。
ウロコまみれの怪物や猛禽類の群れよりはマシだが、不気味さで言えば五十歩百歩だ。
しかもそれなりに速度があるのが最悪か。
セレナシステムを使えないので正確な計測はできないが、おそらく人間の全力疾走くらいの速さはある。
そして触れた壁や地面を蕩けさせながら、マグマの粘液の目標は真っ直ぐに陸斗達の方を捉えている。
「マジかくそっ‼」
「マジです」
「っ、メアリー! 急ぐぞ、出口は!?」
「一〇〇メートル直進した先にあります」
まるでカーナビのように落ち着いた口調だったが、内容は絶望的だ。
一度でも触れられれば皮膚が丸ごと溶けるような物体から一五秒以上も逃げ回らなければならない。しかも障害物のない直進のルートで。よしんば障害物があったところで、マグマの塊の持つ熱が全てを溶かしていってしまうはずだ。
「おいどうするんだ!?」
「確かにこのままでは危険ですね。こうしましょう」
何か策があるのかと思った。
結城陸斗は隣の少女に注目して、そして後悔した。
一体何の冗談なのか。
なぜだかダンスを踊るように一回転したメアリー=ミレディアーナ=クラウド=ブロックバスターは、素早く裸足の踵を繰り出した。
誰に?
隣の少年に向けて、だ。
「がぶっ!?」
思い切り胸の真ん中、みぞおちに炸裂したキックの勢いに陸斗の足がリアルに浮く。
そして勢いを吸収し切れなかった彼の体は、そのまま直進のトンネル空間をカッ飛ぶ。全力のライナー系ストレートゴールシュートであった。
初めてサッカーボールの気分を味わった陸斗は、全身を地面に打ち付ける。壁に叩きつけられなかったのが不思議なくらいだ。服もあちこち破けたようだが、ろくに被害の場所をチェックしている余裕もない。
「……ぐっ……ほぶあ……ッ‼」
みぞおちに踵の蹴りがめり込んだ事によって呼吸困難に陥り、ジタバタと手足を振り回す陸斗。
しかし今は問題のマグマの粘液だ。
吹っ飛ばされた方を見てみると、こちらに走ってくるメアリーはまだ無事だった。だが緊急的な避難手段は持ち合わせていないのか、もうすぐ赤い粘液に追い着かれそうであった。
「メアリー‼」
「問題ありません。そこにいてください」
だがそう言ったメアリーの背後には、もうマグマの粘液が迫っていた。
触れる。
呑み込まれる。
思わず目を覆いそうになる光景だった。
だが、陸斗のパーカーを羽織った白髪の少女にマグマが触れる、その直前。
十字に交差するトンネル空間を、メアリーが走り抜けた瞬間。
彼女のすぐ背後を何か巨大なものが猛スピードで通過して行った。
轟音を散らしながらメアリーの背後を横切ったのは、先ほど陸斗を驚かせた列車みたいな例のアレだ。地面にレールは敷かれていないというのに、列車やリニアモーターカーのような高速で走行する謎の物体。
それが横切る。
そう、メアリーの背後を追尾して来ていたマグマを丸ごと吹っ飛ばす形で。
ただの液体ではなく、粘性があったのも手伝ったのだろう。マグマに衝突するだけではく、列車のような謎の塊はマグマに溶かされながら巻き込み事故のように陸斗の視界から消えて行く。
十字に交わるトンネル空間だったために、その高速で移動する塊の行き先を見る事はできない。
だが、一つだけ鈍い音が混じっていた。
マグマを吹っ飛ばした音ではない。
そう。
「メアリー!?」
「……軽く腕を打ち付けただけです。活動に支障はありません」
陸斗の持っている懐中電灯がブレる。
わずかに照らされた白髪ロングの少女は、左手で右腕を押さえ込んでいた。
おそらく高速で移動する塊に体をかすめたのだろう。完全にメアリーの背後を通過したように見えたが、車のような塊からは逃げ切れなかったのだ。
しかし当座の危機は去った。
マグマさえ遠ざかれば、あとはゆっくりでも出口から出れば良い。
「っ!?」
考えが甘かった。
奥。
十字のトンネルのさらに奥から、もう一塊のマグマの粘液が姿を覗かせたのだ。
「くそっ、メアリー‼」
「分かってます」
若干、顔をしかめているようにも見えるメアリーは、それでも這うようにして陸斗の方へとやってくる。
危ない。
もはや本能的な行動に近かった。
みぞおちの痛みを押し殺し、少年はメアリーの元へ向かう。肩を貸すようにして、彼女の指定した方向に歩を進めようとする。
が、数秒後に彼女はまた訳の分からない事を言った。
「ストップです。そこで止まってください」
「は!?」
背後からマグマの粘液が人の全力疾走ほどもある速度でこちらに迫って来ているという事態なのだ。
止まれと言われて素直に停止できるような状況ではないが、それでも結城陸斗の足は止まった。
不意に不可解な出来事が起きたのだ。
「……何だ、これ?」
「出口です」
突如として、陸斗達の立っている地面が淡い青色に輝いたのだ。
マグマが迫る。
その数秒前だった。
地面の感触が。
再び消えた。
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